最近大日経疏を再読していたのですが暑さと漢文の煩雑さ等に悩まされて遅々としてはかどりませんでした。
そこへ昨日突然昭和56年に行われた幻の講伝「權田快寿大阿闍梨の大日経疏奥の疏講伝録」を頂いたのです。一日中夢中で夜中まで聞きました。以前高野山上でうけたときは分からなかった全体像もよく分かった気がします。そして悉曇も伝授を受けて昨年印可を頂いていたことが大変役立ちました。平成17年の高野山での大日経講伝や24年秋の悉曇考試ではこの年で無駄なことをしていると我ながら自嘲気味に思っていたのですがこうして次々とつながってくると流石に仏様御大師様のお導きを感じずにはおれません。講伝のなかでも權田阿闍梨は「お大師様への恩返し」と何度もおっしゃっていました。「愚僧は愚僧なりに年をとっても日日研鑽を怠るな、研鑽して報恩行に努めよ」とお大師様と先祖がお盆の入りにお諭しくださったのだと受け止めました。
そこへ昨日突然昭和56年に行われた幻の講伝「權田快寿大阿闍梨の大日経疏奥の疏講伝録」を頂いたのです。一日中夢中で夜中まで聞きました。以前高野山上でうけたときは分からなかった全体像もよく分かった気がします。そして悉曇も伝授を受けて昨年印可を頂いていたことが大変役立ちました。平成17年の高野山での大日経講伝や24年秋の悉曇考試ではこの年で無駄なことをしていると我ながら自嘲気味に思っていたのですがこうして次々とつながってくると流石に仏様御大師様のお導きを感じずにはおれません。講伝のなかでも權田阿闍梨は「お大師様への恩返し」と何度もおっしゃっていました。「愚僧は愚僧なりに年をとっても日日研鑽を怠るな、研鑽して報恩行に努めよ」とお大師様と先祖がお盆の入りにお諭しくださったのだと受け止めました。