十日は日月灯明佛・天照皇太神・火火出見と鵜葺草葺不合・金毘羅様の日です。
日月灯明佛は「三十日秘仏」、天照皇太神は禁闕守護の三十番神、火火出見と鵜葺草葺不合は我が国守護の三十番神です。
10日にあてるのは「三十日秘仏」によるものですが、日月灯明佛については以下のようにあります。
法華科注に曰く「日はこれ慧なり、月はこれ定なり、定慧はこれ自行の徳、灯明はこれ化他の徳なり。また日月灯は三智なり。」と。(過去無量無辺不可思議阿僧祇劫に出世した日月灯明佛は、三乗の法を説き入滅した。以来同名の日月灯明佛が次々と出世して二万の日月灯明佛が現れたとされる。また灯明佛には八人の王子があり、皆出家した。父の灯明佛が無量義経を説くのを聴いた後、妙光菩薩(文殊)に教えを受け八人とも成仏した。また八番目に成仏した仏を燃灯佛といい、釈迦に授記した仏という。・・法華経序品に「次に復仏有す。亦、日月燈明と名づく。次に復仏有す。亦、日月燈明と名づく。是の如く二万仏、皆同じく一字にして、日月燈明と名づく。又、同じく一姓にして、頗羅堕を姓とせり。弥勒、当に知るべし。初仏、後仏、皆同じく一字にして日月燈明と名づけ、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初中後善なり。其の最後の仏、未だ出家したまわざりし時、八王子有り。一を有意と名づけ、二を善意と名づけ、三を無量意と名づけ、四を宝意と名づけ、五を増意と名づけ、六を除疑意と名づけ、七を響意と名づけ、八を法意と名づく。是の八王子、威徳自在にして、各四天下を領す。是の諸の王子、父出家して、阿耨多羅三藐三菩提を得たもうと聞き、悉く王位を捨て、亦、随い出家して、大乗の意を発し、常に梵行を修して、皆法師と為れり。已に千万の仏の所に於いて、諸の善本を植えたり。是の時に日月燈明仏、大乗経の無量義、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたもう。是の経を説き已って、即ち大衆の中に於いて結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身心動じたまわず。
是の時に、天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨して、仏の上、及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。
爾の時に、会中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩?羅迦、人、及び諸の小王、転輪聖王等、是の諸の大衆、未曾有なることを得て、歓喜し合掌して、一心に仏を観たてまつる。爾の時に如来眉間白毫相の光を放って、東方万八千の仏土を照らしたもうに、周邊せざること靡し。今見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし。・・」
日月灯明佛は「三十日秘仏」、天照皇太神は禁闕守護の三十番神、火火出見と鵜葺草葺不合は我が国守護の三十番神です。
10日にあてるのは「三十日秘仏」によるものですが、日月灯明佛については以下のようにあります。
法華科注に曰く「日はこれ慧なり、月はこれ定なり、定慧はこれ自行の徳、灯明はこれ化他の徳なり。また日月灯は三智なり。」と。(過去無量無辺不可思議阿僧祇劫に出世した日月灯明佛は、三乗の法を説き入滅した。以来同名の日月灯明佛が次々と出世して二万の日月灯明佛が現れたとされる。また灯明佛には八人の王子があり、皆出家した。父の灯明佛が無量義経を説くのを聴いた後、妙光菩薩(文殊)に教えを受け八人とも成仏した。また八番目に成仏した仏を燃灯佛といい、釈迦に授記した仏という。・・法華経序品に「次に復仏有す。亦、日月燈明と名づく。次に復仏有す。亦、日月燈明と名づく。是の如く二万仏、皆同じく一字にして、日月燈明と名づく。又、同じく一姓にして、頗羅堕を姓とせり。弥勒、当に知るべし。初仏、後仏、皆同じく一字にして日月燈明と名づけ、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初中後善なり。其の最後の仏、未だ出家したまわざりし時、八王子有り。一を有意と名づけ、二を善意と名づけ、三を無量意と名づけ、四を宝意と名づけ、五を増意と名づけ、六を除疑意と名づけ、七を響意と名づけ、八を法意と名づく。是の八王子、威徳自在にして、各四天下を領す。是の諸の王子、父出家して、阿耨多羅三藐三菩提を得たもうと聞き、悉く王位を捨て、亦、随い出家して、大乗の意を発し、常に梵行を修して、皆法師と為れり。已に千万の仏の所に於いて、諸の善本を植えたり。是の時に日月燈明仏、大乗経の無量義、教菩薩法、仏所護念と名づくるを説きたもう。是の経を説き已って、即ち大衆の中に於いて結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身心動じたまわず。
是の時に、天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨して、仏の上、及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。
爾の時に、会中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩?羅迦、人、及び諸の小王、転輪聖王等、是の諸の大衆、未曾有なることを得て、歓喜し合掌して、一心に仏を観たてまつる。爾の時に如来眉間白毫相の光を放って、東方万八千の仏土を照らしたもうに、周邊せざること靡し。今見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし。・・」