懐感の釈浄土群疑論第二には亦因果、自在不自在、証未証、自力他力の四隻に約して浄不浄を論じ、因果相望せば仏の大円鏡智所現の土は純無漏なるがゆえに之を浄土となずけ、十地己還の本識所現の土は有漏なるがゆえに浄土となさず。
自在不自在相対せば、第三地己上の菩薩所住の土は無漏の定力自在なるがゆえに浄土となずけ、二地以下を浄土となさず。
証未証相対せば無分別智を得て遍満法界を証せる地上の菩薩の所居を浄土となずけ、未証の地前三十忍の所居を浄土となさず、自力他力相対せば、自力断惑による凡夫所生の土は清浄ならず、他力の引接により往生して受用するところの土はすなわち、微妙広大清浄荘厳にして仏心所現の無量真実の土のごとしと云ひ、
又法蔵の華厳経探玄記第三には、三乗一乗の別によりて浄土を説くに不同ありとし、其の中、三乗経においては佛自在のところに約して法性土、実徳土、色相土の三種を分かち、佛摂化のところに約して三類世界を分かち、佛摂化のところにやくして化身土、変染土、他受用土の三種を立つとし、一乗教においては果分に約して十佛自住の国土海を立て、摂化のところに約して三類世界を分かち、須弥山世界乃至樹形世界等を第一類、世界性、世界海、世界輪、世界円満、世界分別、世界旋、世界転、世界蓮華、世界須弥及び、世界相の十世界を第二類、蓮華荘厳世界海を第三累となせり。是れ、皆諸経所説の浄土が極めて多様にして一概に論定すべからざるにより、之を仏神の不同又は機感の高下等に帰し、以って其の種別を大判せしものなるを見るべし。・・(終)
自在不自在相対せば、第三地己上の菩薩所住の土は無漏の定力自在なるがゆえに浄土となずけ、二地以下を浄土となさず。
証未証相対せば無分別智を得て遍満法界を証せる地上の菩薩の所居を浄土となずけ、未証の地前三十忍の所居を浄土となさず、自力他力相対せば、自力断惑による凡夫所生の土は清浄ならず、他力の引接により往生して受用するところの土はすなわち、微妙広大清浄荘厳にして仏心所現の無量真実の土のごとしと云ひ、
又法蔵の華厳経探玄記第三には、三乗一乗の別によりて浄土を説くに不同ありとし、其の中、三乗経においては佛自在のところに約して法性土、実徳土、色相土の三種を分かち、佛摂化のところに約して三類世界を分かち、佛摂化のところにやくして化身土、変染土、他受用土の三種を立つとし、一乗教においては果分に約して十佛自住の国土海を立て、摂化のところに約して三類世界を分かち、須弥山世界乃至樹形世界等を第一類、世界性、世界海、世界輪、世界円満、世界分別、世界旋、世界転、世界蓮華、世界須弥及び、世界相の十世界を第二類、蓮華荘厳世界海を第三累となせり。是れ、皆諸経所説の浄土が極めて多様にして一概に論定すべからざるにより、之を仏神の不同又は機感の高下等に帰し、以って其の種別を大判せしものなるを見るべし。・・(終)