地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の4/7
四、土作の地蔵の感應
中古江州香賀の郡(滋賀県甲賀郡か)にあやしき栖して侍りける法師字をば光賢房と白しけるさして信心なかりけれども御長三寸二分をはしける土作の地蔵を一躰秘蔵し奉りて持ちたりけり。彼の尊像は昔讃州宇多津の傍にて弘法大師幼少の御時一佛二菩薩の尊容を三方餘躰土を以て作り奉りき。又此の三尊を土に練合わせ丈六の地蔵の形像を一尊作り奉り伽藍を建立して供養し玉ひけるに歳霜つもりて三百餘年に及べり。されば堂舎は崩れて礎もなく本尊雨露の為に破れ落ちて塚の如くとり玉ひ、芝生茂りて其の跡を埋みき。其の後自ら野原と成りけるに或人結縁を催してやありけん、彼の原の塚の辺なる草の根を掘りける所に土中より土佛を掘出し奉りて、不思議のことながた先ず合掌して見奉るに或は観音或は地蔵の二菩薩の像なり。其の後も人々此に来たり堀求めけれども其の人の信不信によりて得る人,得ざる人ありけるこそ奇特なり。彼の光賢房の土佛も其の一尊にてぞまします。如何はしたりける地蔵二体を背合わせに作り奉りたる像なり。されば拝し奉る人ごとに天晴木佛にてましまさば分け奉り各々三人得益をすべきものをとぞ申しけり。去る程に光賢房別して信心はなかりけれども世の重宝にてあるよしを聞き及んでぞ秘蔵し奉りける。長月の夜なるに月のくまなきを詠(なが)めて人々数多居並びて万(よろず)の古今の物語を尽くしける中に彼の光賢房睡り切にして後には打轉て伏し入りける中に、あなあさまし、我を縛りて行よなと音を上て助けを乞ひてぞ絶にけり。人々驚きこはいかなることぞと醫藥の功を假るに其の効なし。人々仰天して彼是とするほどに夜も漸く明けにけり。思はざるに息を吹出して南無地蔵とて手を動かしけるを皆人喜んで水を面に灑ぎなんどしければ、やがて人心付けり。集り居たる人々扨(さて)いかなることにてか侍りつるぞと問へば光賢房冥途の次第を語りて、手に汗を握り申しけるは、居睡の始めには幻の心地して月のあきらかなるを以て心の暗を晴らして感極まり無きに半天(なかぞら)に白き飛花二葉落来るを見る。漸近くなりければさにてはあらで蝶の戯れて舞来るかとみへたりける。手に取んとしけるに蝶にはあらず、人長さばかりの異類に見成りける。既に頂に中ほどになりければ彼の物何までと云て二つの足を摑みて縁より庭に引落として打ち伏せ鐵の縄にて縛て鐵棒以て打つこと三百計(ばかり)もなり。されば血を吐き骨を痛めて苦しきこと云ふばかりなし。二(ふたり)の鬼勇み悦びて自を追立いつ゛くともなく曠玄の野原荊棘の細路を急ぎ行きける。哀の中に思ひけるは如是の平地すら尒(しか)なり行末の険阻の高山いかがしてか越行べきと涙の隙に向ふ山を見上るに峯には白雲たなびきて手を立てたるごとき厳山なりしを兎角の思に間(ひま)なく麓に付と等しく責上ること電光よりも速かに一人の鬼王自らの頭を引上げて、あれをみよ汝が上る山の信施の報は雨の如く、不信の責は劔の如しとて怒りに舌を巻き、破戒の責に音を呑む。鬼王の責の少し緩ぎしとき此の道の末を見ければ険々としさかしき山高々とそびへたる峯に路幽に見へたるに、僧の形なる人手を取りくみて二人下り玉ひけり。光賢思ひけるは僧にて御座さばさりとも慈悲の心はあるらん。憑みあり、我れ思はざるに鬼王のために縛せられて斯る苦を受ることよ。争(いかで)助玉はざるやと思ひて、鬼王も責めず急に行けるほどに速やかに一二人の沙門我を助けさせ玉へ、犯さざるに鬼王の為にとらはれ如是の苦を受く。方便の御手を垂れて吾を抜済し玉へと白して左右を顧たりければ、鬼王急に退散して行方知れずなりにき。光賢喜しさ何に譬ん方なし。沙門の曰(のたまはく)、汝纔に吾に結縁あるにより此に来れり。唯佛も吾も無縁の衆生を済ふに便なしと打捨て通(とをら)せ玉ひけるほどに取り後れ奉りなば又先の鬼王ともに取られん事を哀く思て二人の僧の中に立ちはさまりて歩けるほどに始め鬼王に責られて行けるには東に向かひて行きけるが僧に逢奉ては北方に向かひて行けり。彼の沙門の玉ひけるは人として行業なきものは巷に叫び身にふれて結縁しき人は奈落に沈みなんとて十里ばかりもすぎぬらんと思ひける所に大河ありて瀬の廣きこと十餘町、橋も舟もなかりければ、渡るべきに便なし。先に立ち玉へる御僧走り下り渡り玉ひき光賢も彼の僧に付き奉り渡りけるに僧、波を歩み玉へばともに波を踏み水をつたひ玉へば共に水をつたひて程なく御足半ばにて西の岸に三人ともに付き玉ひけり。彼の水際には玉の砂ありて青松枝をささゑて塵一点もなかりけり。砂は踏ども足に痛みなし。風は吹けども松に冷(すず)しくして身もゆたかなり。彼の松の影に付きて十町ばかり北に向ひ行けるに、此の山の奥に貴き寺ましますと覚へて、谷合に玉の石畳、金の欄干ありて高々たる山門見へたり。彼の門の中に入りて寺中の躰を拝見しけるに棟梁遥かに雲に聳へ半天をささゑたり。軒端の金物は星を列ねて霞の隙に輝き、朱丹柱を彩て三十丈(90m)も有らんとをぼしき山門なり。内を見入りて見ければ瑠璃の庭に翠の樹ありて真珠の飾を垂れたり。金銀の光を交へたる精舎いらかをならべ、五色の光明宮殿を照らして、見るに心も涼しく身の毛も横竪(よだつ)ばかりなり。先に立ち玉へる御僧の内に入り給ひけり光賢も共に入りなんどしけるに其の頂俄かに大きになりて門戸に塞がりて更に入ることをゑず。餘のかなしさに手を挙げて頭を探てみれども別に本の頂にことなることもなし。後より来り玉へる御僧の我も隙あらす身なりとて、内につと入玉ひけり。光賢御衣の袖にとりつきて、願くは沙門つれて入せ玉へとて涙を流しけるに僧の曰、汝は彼の門の額を見知りたるやと。若し此の文をしらざる人は此の門の中に入ることあたはずとぞ仰せける。光賢見上げ見るに紺地の彩色金の文字とばかりは見たれども何の文字とさだかに知らざりしほどに門内に入ることあたはず。まことに住立門側して遥かに其の僧を見たてまつりてぞありける。漸やありて彼の僧出玉ひ、汝今度は入ること有るべからず。只其の道を南に向ひ本の如く皈るべし。末に五濁乱漫の辻あるべし。それより汝が古里に皈りて此の額の文を學んで来らば門に入るべきこと我等と異なることはあるべからず。其の入りなんとき我来たりて迎へんとの玉ふと示し給ふと覚て如是に活(よみがえって)後習學して思ふ。此の額の文字は妙法蓮華経序品第一なり、彼の二人の僧は光賢が秘蔵し奉りし土作の地蔵にてぞ在す。さて光賢、僧の示しの如く彼の門を去て本の道へ皈り下りける程に、彼の松原を過ぎて又廣き河原に出て足に任せて行けるほどに彼の原の末に村立かと見へけるを近付よりて見ければ草木の村立にてはなかりけり。貴賤男女集まりて市をなしけり。光賢涙を流して彼に望みて何を商やらんと立寄り見行けるに指(さして)何物を売買するともみへねども人々手ごとに物を賄(まいなふ)色ありて二十五の町立てて人往来すること隙もなし。光賢を見付て喜びを作して云ひけるは汝を失ひて三界を尋る事倒らざるといふことなし。彼の巷に来りけるよと云ひて又縛りなんとしけるところに光賢思ひけるは何なる所にも検断(非違を検察し断罪すること)はあるものなり。我彼の官所に走入りて犯さざる無道の責を受ることを述んものをと思て人に紛れて風と(ふと)出て足早に逃げ去りてけるに、件の二人の沙門に値(あひ)奉りて物言を問奉らんとうれしく思ひけんに何方ともなく去り玉ふを後より追付奉んと走りけるほどに端無く當所の管領評定所かと覺しき廳庭に着きぬ。金銀を以て閣を造り巍巍として在す。帝王かとおぼしきに右に長床あり其の上に何とも上下は分たず官人十人列坐して沙汰し玉ふ躰なり。光賢跪き涙を流し申しけるは、我は是大日本國の江州香賀の郡の光賢法師と云ものに侍るなり。罪なきに鬼王に囚はれ非道の責をうくるなり。仰願はくは君王の政道理に任せ無理の責を助玉へと白しければ、坐上にまします大王問て曰く、汝在世にいかなる修行か有ると。光賢答て曰く、自行さらにこれなしと云。又問て曰く、いかなる經呪をか讀誦するぞと。答て曰、師の命に依りて朝夕常住の法席には連なれども真實の經呪を誦することなしと答ふ。又問玉はく、汝いかなる佛像をか信仰する。答て云く、弘法大師の作り玉へる土像の地蔵を受持し奉ると白しければ、善哉汝此の力に依りて此の亭に来ることを得たり。汝が恐怖する使者は是琰王の第一の使なり。常に白馬に乗りて白幡をささげて虚空を馳せしむ事飛花落葉の如し。三界を走ること一刹那の間なり。そとには羅刹の形を現じ内には慈悲心深くあり。汝が学業都て絶して徒に信施を受けて曠劫の間無間に沈むべきことを哀みて、汝を此の廳亭に到らしむることを得たり。是則ち汝が所持の土佛の化儀是なり。故は利生門より引きて無為の浄土に入らしめ玉ふ方便なり。汝是より皈て心を起こして自ら手を垂れ法花經一部を書寫して一生の間刹那も身を放つことなかれ。怠りて鬼王の責を受け玉ふな。法花三昧に入りて真實地蔵の行人となり玉へとて細き窓より出し玉ふと思へば夢のごとくして此の如くと語りて涙を流しててぞ白しける。聞く人共に感涙を流しけるこそ理なり。されば彼光賢房此の地蔵菩薩の像を受持し奉らば菩薩済度し玉ふべきに唯欲心を以て秘し奉りければ纔に結縁門より引きて直道に入らしめ玉ふなり。然れば凢夫心を以て佛像を疎略にして或は手に取て火中に入れ、或は泥土に投げ奉りなんどするとも是を逆縁となして遂に正覚の謀と成るべし。地蔵の大悲利生の方便に加ることあるべからず。況や至心に帰依せし人は現に大利益を受くべし。當来の佛果掌を示すが如し。殊に光賢に法花書写を示し玉ふこそ誠に故有哉。其の故は地蔵と彌陀とは一躰不二の世尊なり。彌陀法花別名一躰なり。然れば則ち成等正覚の便りには何の御経か是に優(すぐ)れ何の佛かこれにすぐれさせ玉ふべきや。されば彼の光賢愚にして自用を好むものなれども身に切あんる感あれば毎日法花書写の行をなし、口には地蔵の名号を絶ず、生年八十二の生霜を経て仲冬二十四日に端座して入滅しぬ。未来の引接のほどたのもしくぞありし。