史料綜覧巻十五 / 元和三年1617十一月廿一日条
「廿一日・・・是ヨリ先 呂宋(るそん)ノ船 土佐ノ海岸ニ漂著ス 是日 同国大守 書ヲ土佐高知城主山内忠義ニ寄セテ 其扶助ヲ受ケタル好意ヲ謝ス」
江戸幕府は徳川秀忠。元和二年には家康死去。イギリス船、オランダ船の貿易港を平戸と長崎に限定しています。山内忠義は伯父山内一豊の養嗣子で土佐藩第二代藩主。野中兼山を登用して寛永の土佐藩政改革を行っています。鎖国時代にもフィリピン人を助けるなど人道的藩主でもあったと思われます。
史料綜覧巻十五 / 元和三年1617十一月廿一日条
「廿一日・・・是ヨリ先 呂宋(るそん)ノ船 土佐ノ海岸ニ漂著ス 是日 同国大守 書ヲ土佐高知城主山内忠義ニ寄セテ 其扶助ヲ受ケタル好意ヲ謝ス」
江戸幕府は徳川秀忠。元和二年には家康死去。イギリス船、オランダ船の貿易港を平戸と長崎に限定しています。山内忠義は伯父山内一豊の養嗣子で土佐藩第二代藩主。野中兼山を登用して寛永の土佐藩政改革を行っています。鎖国時代にもフィリピン人を助けるなど人道的藩主でもあったと思われます。