福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

人を許す瞑想

2018-01-03 | 頂いた現実の霊験

今夕いつものように瞑想をしていましたが、ふと「今迄怨んできた人たちを思い出してみよう」という気が起きました。本来それは瞑想の中で行うようなものではないのですが、ついつい幼少期から70歳の今日までの人生途上の様々な出来事を思いだして折々に怨んだ人びとを思い出していきました。すると次々止めどなくでてきました。総勢30人位になりました。恐るべき数字です。しかしこの人たちとの関係を考えるといずれも怨むことばかりではなく結果として当方が助かっていたことがあることが分かりました。助かっていることがなくても怨むほどの事ではない些少なことであったこともわかりました。思いだしてみるといかに多くの人を勝手なつまらない思い込みで怨んでいたかを思い知りました。瞑想の中ですべての人を許しました。こういう経験ははじめてでしたがすっきりして気分よく瞑想をおえました。出定後も今迄の人を怨む気持ちは全て消え失せました。有難いことです。

佛教では「貪瞋痴」の三毒といい、十善戒にも「不瞋恚戒」「不邪見戒」があります。
法句経には有名な怨みに関する句があります。
「五 世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし
二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、實語を以て妄語者に(勝て)。
二三一 身の怒を護れ、身を覆護すべし、身惡行を捨てて身にて妙行を行へ。
二三二 語の怒を護れ、語を覆護すべし、語惡行を捨てて語にて妙行を行へ。
二三三 意の怒を護れ、意を覆護すべし、意惡行を捨てて意にて妙行を行へ。
二三四 身を護り又語を護る賢人は、(又)意を護る賢人は實に能く護れるなり。」

老子六十三章には有名な「怨みに報いるに徳を以てす」の句があります。終戦直後の蒋介石総統の言葉に出てきます。
「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以ってす。難きをその易きに図り、大をその細に為す。天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。ここを以って聖人は終に大を為さず、故に能くその大を成す。それ軽諾は必ず信寡く、易きこと多ければ必ず難きこと多し。ここを以って聖人すら猶おこれを難しとす、故に終に難きこと無し。(老子六十三章)」
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