福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨夜は十六夜でした

2018-01-04 | 法話
今年は2日が満月で昨夜が十六夜でした。毎晩庭が明るく驚かされます。
昨夜などは庭が白く見えて雪が降っているのか、とさえ思わされました。
月光は幻想的なもので照らされた地上は雪とか霜が降っているように思わされます。
「弾く琴の 音(ね)のうちつけに月影を 秋の雪かとおどろかれつつ(貫之集)」とか
「牀前 月光を看る 疑うらくは是れ地上の霜かと・・. (李白・「静夜思」)」
「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月 (明恵上人歌集)」
の句を思い出させます。

私も10年近く前に四国太龍寺で求聞持行をさせていただいたとき、9月でしたが夜中に諸堂参拝にでようと行者小屋を開けると庭を十五夜のお月様が照らしていてまさに雪かと思わせられたことがありました。

月は密教では重要な役目があります。曼荼羅の諸尊はみな月に乗っておられます。月輪観は重要な密教観法です。

大山光淳「密教観法の研究」には月輪観のありがたさが書かれています。
「密教観法の研究」
月輪観(注1)は実修的には最も円満なるものの如く、しかも諸観法中極略の法で、その功徳たるや深広、やがて即身成仏する秘法となるべきもので、心地観経に「もし凡夫有りてこの観を修する者は所起の五逆四重十悪及び一闡提如是の罪悉く皆消滅す」(大乘本生心地觀經發菩提心品第十一に「若有凡夫修此觀者。所起五逆四重十惡及一闡提。如是等罪盡皆消滅。即獲五種三摩地門」)と。摂真実経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)には釈尊成道の玄理を示して、自心を求め自心を観じなくてはならないことを高調されてある。曰く、釈尊が六か年間の苦行に猶菩提を成ずる能わず、やつれはてた肉体を支えながら運び、菩提樹下に至り金剛坐に坐し、そして静かに金剛定に入り給うに、その時毘盧遮那如来が無数の化神を示現し普く虚空に遍満し給ふ。それから無数の仏たちは皆異口同音に現前の菩薩に告げらるるには、云何ぞ成仏の法を求めざるや、となじるように仰せらるのである。菩薩はこれを聞き諸仏を恭敬し慇懃に合掌し佛に申されるいは、我いまだ成仏の法を知らず、ただ願わくは慈悲を垂れて菩提の道を示したまえと。その時諸の化佛は菩薩に告げて、善男子、心はこれ菩提、當に自心を求めよと。かくて無数量の佛は異口同音に法身求心の真言を説かれたとある(五相成身観をいう)。以て心月輪観の成仏の親因たる理を知るべきである。

大日経疏の一に「本不生際とは即ちこれ自性清浄心、自性清浄心とは即阿字なり」(大毘盧遮那成仏神変経疏一に「行者於外塵中心不可得。復觀内身五蘊。亦如聚沫泡芭蕉幻化。自求性實尚無所有。況於其中得有心。如是從麁至細去廣就略。乃至現在一念識。亦無住時。又復從衆縁生故。即空即假即中。遠離一切戲論。至於本不生際。本不生際者。即是自性清淨心。自性清淨心。即是阿字門。以心入阿字門故。當知一切法。悉入阿字門也」)といひ、また大日経疏第十二には「この阿字、即ち是れ一切仏心なり」(大毘盧遮那成佛經疏卷第十二悉地出現品第六之餘に「又此中我ma字 又麼聲即是不生義也亦是歎 中説法更問也 本寂無有上者。此本字中即有阿聲。即 不生義。以不生故即是不滅。是故本來寂然。此法第一微妙更無過也。能寂諸根故。六根常淨諸惡永滅故云寂也。此阿字即是一切佛心也。今佛偈中説此阿字者。即是説自證法中一切語意中。雖有所説。然此内證之境終不可了知。由自證法不可説故)。大日経疏第十七には「一心とは即ちこれ阿字なり」とある。しからば心月輪自性清浄心は直に阿字であって、又蓮華を付会して連・月・阿の三法を以て一法の命根と通会し或は連・月・阿は三即一、一即三の円融の三諦、これまた本有の三身にして、連は身密、月は意密、阿は口密、即三密即一の深義を表すともいう。されば心月輪観は必ず蓮華と共に阿字観へ入らざるを得ない。心月輪秘釈(注2)に「月輪は両部瑜伽の総名、二界曼荼羅の全体、色心諸法盡くこの門を摂す」という。これは月輪観を以て両部に通ずる秘法たるを教えたるものにて、「種子を阿字において得るが故に胎蔵という。体性鑁字に成るを金剛と名く。」とあればその種子によって両部別観となり月輪観に即して阿字観の存するを知るのである。

猶いまの観について五種の三昧が説かれている。

一、刹那三昧。暫時の三昧であって時に随って心月輪の想念に住するものをいう。

二、微塵三昧。少分の相応を得る三昧。

三、白縷三昧。生死無明の真っ暗な夜中において白浄の三昧を得る。

四、起伏三昧。観心成熟とまでには至らずして或は成り、或は成らないこともある、いわく起伏あるをいう。

五、安住三昧。前の四定(刹那・微塵・白縷・起伏・安住三昧)を修して心安定を得、能く守護して更に諸塵染汚に染まらざるに至るをいう。・・・」

注1、月輪観(一例)

一、 入堂 できれば沐浴して心身を浄めて右足から道場に入る。(入り口、又は座について塗香)

二、三礼 月輪観本尊の前で三礼。

三、着座 背骨を伸ばし座る

四、護身法

1、浄三業「おん・そははんばしゅだ・さらば・たらまそははんばしゅどかん」五所加持。

2、仏部三昧耶「おん・たたぎゃとどはんばや・そわか」

3、蓮華部三昧耶「おん・ばぞろ・どはんばや・そわか」

4、金剛部三昧耶「おん・ばざらぎに・はらちはたやそわか」

五、発菩提心 金剛合掌 「おん ぼうじしった ぼだはだやみ」 三返

六、三摩耶戒 金剛合掌 「おん さんまやさとばん」 三返

七、五大願 金剛合掌、衆生無邊誓願度.福智無邊誓願集. 法門無邊誓願覺. 如来無邊誓願事.菩提無上誓願證.

八、五字明 金剛合掌  胎大日「あびらうんけん」 七返

九、息を整える。

十、月輪観 法界定印

 目を半眼にして掛軸本尊の月輪を見つめ、目を閉じて、自分の胸の中に月輪を引き入れる。その月輪をだんだん大きくしていって、その中に自分がすっぽり納まる。さらに建物の大きさの月輪、この町の大きさの月輪、地球の大きさの月輪、宇宙全体の月輪と広げていき自他の境がなくなる。そして逆に縮めてきて、掛軸本尊に戻す。

十二

 般若心経一巻

十三、金剛合掌

 「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし

  我等と衆生と皆共に 仏道を成ぜんことを」

十四、 月輪観本尊の前で三礼。

十五、出堂 金剛合掌したまま、静かに左足から道場から出る。

(注2、覚鑁上人の「心月輪秘釈」には「・・・是滿月輪五十由旬。無垢明淨。内外澄徹。最極清涼。月即是心。心即是月。塵翳無染。妄想不生。能令衆生身心清淨大菩提心堅固不退 文 又云。繋心月 輪成就觀察。是名菩薩觀菩提心成佛三昧。若有凡夫修此觀者。所起五逆・四重・十惡及一闡提。如是等罪盡皆消滅。即獲五種三摩地門。云何爲五。一者刹那三昧。二者微塵三昧。三者白縷三昧。四故起伏三昧。五者安住三昧 云云」とあり)
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