福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

逆転人生

2021-07-03 | 法話

逆転人生

・「夫に39歳で先立たれ、女手一つで育てた息子にも大学卒業直前に交通事故で先立たれた女性。直後、勤めていた生花店も倒産、その後は廃棄物運送会社に就職して今79歳。二人を供養するために頑張っているという。」(NHK「人生のピンチ」)

・「自閉症の子が小学五年の時、母親は癌で死去、その後父親が男手一つで育てたその子は国際展覧会で優勝するほどの絵画の特異才能が有ることが分かり今は芸術家として活躍している。」(民放)。

・西田幾多郎は姉・弟・娘2人・長男と死別し父は破産、一度目の妻とは離縁しているが、学士院会員。京大名誉教授。  文化勲章受章。

・南方熊楠の長男熊也は精神障害施設に入所したままで一生を送った、熊楠は臨終の時「熊也」と叫んだという。しかし昭和天皇は熊楠の学徳を称えられ『雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊の國の生みし南方熊楠を思ふ』と詠まれた。

・三歳で両手両足を壊疽で失った岐阜県の中村久子は七歳で父と死別。十歳の時に弟と生別。継父から虐待を受けた後、見世物小屋に売り飛ばされるも後に結婚。昭和12年41歳の時、東京日比谷公会堂でヘレン・ケラーと出会い、ケラーは久子を、「私より不幸な人、私より偉大な人」と抱きしめた。42歳で「歎異抄」を知り浄土真宗の信仰。執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を始め65歳で、厚生大臣賞を受賞。「無手無足は仏より賜った身体、生かされている喜びと尊さを感じる」「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語る。

・大石順教尼は大阪堀江の芸妓であったが「堀江の六人斬り」に遭遇、両腕を失いながらも、結婚、出産、離婚などを経て口に絵筆をとりつつ障害者自立のための活動に献身。1931年(昭和6年)に大阪高安に庵を建て、婦女子のための収容施設を作る。1933年(昭和8年)に高野山金剛峯寺にて得度。山科の勧修寺に身障者の相談所「自在会」を設立し、自分と同じ立場の身体障害者の自立を支援する福祉活動に励み、1951年(昭和26年)に塔頭寺院・佛光院を建立。

 

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