福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

なぜ苦悩の衆生の所願が成就しないのか?

2021-07-03 | 法話

なぜ苦悩の衆生の所願が成就しないのか?

Q,すべての仏様は、衆生の願いを聞き届けて苦を救ってやろう、という誓願をお持ちのはずだが、なぜ所願が成就しないのか?

A,

1,世俗の事を願わずに、悟りさえ求めて祈っておれば、仏様の力でやがて除災招福となる。俗世の欲心で祈っても佛心に反する故に願いは成就しない。(夢窓疎石、注1

2,「経にいはく(大日経のこと)いかなる心をおこすもの必ず悉地を成ずるや、いはく深信あるもの能く悉地を得、何なるをば深信という、いはく久々に修行して法験を得ずといえども疑慮を生ぜず退心を生ぜざるなり、このごとくの人必ず定んで悉地を成就す、あるは本尊、行者を試さんが為の故に、あるは諸天等その信心の浅深を試さんがために暫く以って之を抑うるがゆえに、あるは宿障重深なるがゆえに暫く不成に似たりといへども、冥(かすか)に能く成就すれども自ら知らざるがゆえに、あるいは魔旬妨げをして暫く覆蔽(ふくへい)するがゆえに、このごとく等の種種の因縁あるが故に疑怠すべからず」(どういう人が覚れたり救われるのかそれは深く信じる人だ。何を深く信じるというなか、それはなかなかお蔭が現れなくてもあきらめずに修行、祈りを続ける人だ。信心を続ける人は必ずお蔭を得る・・・。 -興教大師、末代真言行者用心))

3,「加持感応の原理 (那須政隆)」「真言祈祷はこのように三密平等の形式を通じて法界曼荼羅の境地に入住するものであるから霊験が得られるか思い悩む必要は無い。人間的生命の必然的要求によって祈らざるを得ずして祈るのが祈祷である。祈祷は元来衆生引入の方便的施設であって祈祷の形式を通じて曼荼羅に引き入れるためのものであるから祈ることそれじたいがもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうち任せるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地に恵まれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」

4,懺悔し仏さまを信じて叱られても叱られても寄り添ってますます拝めばお蔭は雨の如く降ってくる。(三井英光、注2

5,「自己の境遇に対して愚痴が出なくなるまでよくよく拝みこんでいくと自分が無になる。すると以前から働きかけてくださっていた仏様のお力が自然に現れ出るようになる。(H師)」

 

注1、夢中問答集(夢窓疎石)より・・・

「佛菩薩の真の功徳

問、佛菩薩は皆一切衆生の願を満たし給はんといふ誓ひあり。・・・しかるに心を尽くして祈れどもかなふことの稀なることは何ぞや?

 

答。・・・薬師如来は衆生の病を除滅せむと誓ひ給へども世間を見るに病者ならぬものは少なし。普賢菩薩は一切衆生に随順して給使せむと誓ひ給へども世間を見れば従者一人もなくして卑しき人も多し。・・(しかし)仏菩薩の誓願様々なりといへどもその本意を尋ぬればただ無始輪廻の迷衢を出でて本有清浄の覚岸に到らしめむためなり。しかるに凡夫の願ふことは皆これ輪廻の基なり。かようの願ひを満つるを聖賢の慈悲といはむや。しかれども先ず衆生の性欲に随ってやうやく誘引せむためにかりに所願をかなふることあり。若し人世間の所願の満足せるに誇りていよいよ執着を生じて放逸無慚愧の心を発すべきものには、その所願をかなふることあるべからず。・・されば末代の凡夫の祈ることのしるしなきことこそ、しるしなりけれ。・・・ただ無上道を祈り求めばやがて正覚を成ずるまでこそなくとも、その自善根の力により仏神の加被力(衆生に与える力)によりて災難もおのずから除こり、寿福もつつがなきほどの得利はただ今生のみにあらず、生々世々までもあるべき、・・・

もし人正念に住して或ひは道行を成ぜむがため、或ひは他人を利益せむがために現報を祈り変へむと思ひて仏力・法力によりて至誠心にて修せば定業なりとも必ず転ずべし。・・若し人凡上の執着によりて命を延べたく福を保ちたき故に祈るならば、かやうの欲心は仏心と冥合せざるゆえに感応あるべからず。・・・

 

注2、「加持祈祷の原理と実修(三井英光)」に「般若心経にある如く、一切は空で実体はない。しかれば祈れば事態は変わり効験はあらわれてくることとなる。そしてその場合、効験は必ず因縁を通して現れてくる。・・加持するのは神秘実在の大地に種をまくようなもので、すぐに生える場合と春にならぬと生えぬ場合がある。すぐに効験が表れてこないのはまだ生える因縁になってあらぬからである。・・むしろお蔭のないのがお蔭だと思うべきである。いまお蔭を出しては為にならぬと思われる時には仏様はかえってお蔭を隠していらっしゃる、それが実はお蔭である。丁度出してよい時にはちゃんと出してくださるのである。・・・そうはいっても直ちにお蔭の顕れることは皆望むところである。そのためには当事者・関係者に平生から仏の神秘加持力を信じて終始真心をもち続けるよう指導すべきである。・・また時に思いがけない障碍のあらわれることがある。・・むしろ障碍があるほどますます(関係者は)懺悔し、(行者は)修法すればかえって災い転じて福となるのである。・・仏様は真の御親だから叱られても叱られても寄り添って拝みますます修行にはげめばお蔭は雨の如く降ると知るべきである。(「三井英光、加持祈祷の原理と実修」趣意)」

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