Q、高野山には大名はじめ諸人がこぞって墓をつくり又骨を納めています。この所以は?
A,
結論はお大師様が「我が山に送りおかるる亡者の舎利を、われは毎日三密の加持力を以って、まず安養の宝刹に送り、当来には我が山の慈尊説法の聴衆菩薩となるべし。」とおっしゃっているからです。
塵添壒嚢鈔には、「『日本には九品の浄土がある。下品下生は東大寺、下品中生は東寺、下品上生は熊野山、中品下生は大安寺、中品中生は金峰山、中品上生は河内の獅子の岩屋、上品下生は摂州賀峯山、上品中生は天王寺、上品上生は高野山』と鎮西の須古の検校親通のもとへ唐より渡った一切経の上に記されていた。・・・高野山はこのように上品上生の浄土でもあり、これは清涼山の文殊の示現である。・・東寺の定額僧勝実が善通寺の別当に補任され下った時、御筆の一紙を感得したといふ文がある。『居を高野の樹下に卜して、神を兜率の雲上に遊ばしむ。日々の影向をかかさず。処処の遺跡を検知す。』
高野草創の砌を望む人はその巨益は空しいはずは無く、ことに此の山は大師がまのあたり入定留身された地である。高野に身骨をおさめる人はどうして有縁の益にあずからないということがあろうか。また大師の御記の文に云う『舎那の秘印をむすんで先の身を秘し、身を樹下に留むといへども意は兜率の内院にあり。しかりといえども遺跡を加持して日々の影向を欠かさず、有信の者に至っては其の身に幸を授かり、不信の者は先業を恨むべし。ただし我が山に送りおかるる亡者の舎利を、われは毎日三密の加持力を以って、まず安養の宝刹に送り、当来には我が山の慈尊説法の聴衆菩薩となるべし。』この御記の文は宝性院の経蔵にあるといふ。このような仔細によりとりわけ高野山に納めおくのである。」とあります。
A,
結論はお大師様が「我が山に送りおかるる亡者の舎利を、われは毎日三密の加持力を以って、まず安養の宝刹に送り、当来には我が山の慈尊説法の聴衆菩薩となるべし。」とおっしゃっているからです。
塵添壒嚢鈔には、「『日本には九品の浄土がある。下品下生は東大寺、下品中生は東寺、下品上生は熊野山、中品下生は大安寺、中品中生は金峰山、中品上生は河内の獅子の岩屋、上品下生は摂州賀峯山、上品中生は天王寺、上品上生は高野山』と鎮西の須古の検校親通のもとへ唐より渡った一切経の上に記されていた。・・・高野山はこのように上品上生の浄土でもあり、これは清涼山の文殊の示現である。・・東寺の定額僧勝実が善通寺の別当に補任され下った時、御筆の一紙を感得したといふ文がある。『居を高野の樹下に卜して、神を兜率の雲上に遊ばしむ。日々の影向をかかさず。処処の遺跡を検知す。』
高野草創の砌を望む人はその巨益は空しいはずは無く、ことに此の山は大師がまのあたり入定留身された地である。高野に身骨をおさめる人はどうして有縁の益にあずからないということがあろうか。また大師の御記の文に云う『舎那の秘印をむすんで先の身を秘し、身を樹下に留むといへども意は兜率の内院にあり。しかりといえども遺跡を加持して日々の影向を欠かさず、有信の者に至っては其の身に幸を授かり、不信の者は先業を恨むべし。ただし我が山に送りおかるる亡者の舎利を、われは毎日三密の加持力を以って、まず安養の宝刹に送り、当来には我が山の慈尊説法の聴衆菩薩となるべし。』この御記の文は宝性院の経蔵にあるといふ。このような仔細によりとりわけ高野山に納めおくのである。」とあります。