福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は定済が蒙古退散の為宮中で一字金輪法を修した日

2023-04-29 | 法話

文永五年4月29日は定済が宮中で一字金輪法を修した日です。文永三年には蒙古国書が届いており宮中も自ら国難を祈ったのでしょう。定済は鎌倉時代の真言僧。醍醐寺座主・東大寺別当・東寺長者。弘安四年正月十九日には勅命を受けて伊勢神宮に参り、蒙古降伏を祈祷しています。一字金輪法は息災法ですが最深秘の法として往古修法出来るのは東寺長者に限られていました。(密教大辞典等)

「本朝高僧傳・城州醍醐寺沙門定濟傳

釈定濟は久我内大臣定通源公子。母氏は後嵯峨帝の乳母なり。童丱、憲深僧正に依り剃髪受業、聡明隊を出。稍齠年に及び母に随ひて帝に見ゆ。帝曰く、『他日学道成熟せば當に汝を護持僧と為すべし』と。濟此より辛勤精進、博く性相を学ぶ。初め東南院樹慶に就きて三論を習し、幽旨に通ず。又醍醐に帰り定親僧正より両部灌頂を受く。寛元元年三會講畢る。衆立義と称す。僧官連昇。建長五年法印に叙す。八年醍醐座主に任ず。正元元年春、法務を兼ぬ。弘長二年東寺長官を司る。文永元年朝家祝祷、清滝祠に就き読経呪願。賞するに俊譽を以てす。十年六月旱、又清滝に祈り賞を受く。七月十六日月食を祈り験を得て闕無し。優賞、正に転ず。是の年冬十一月座主職を前權大僧正道朝に譲る。帝崇寵渥、遂に大僧正に任ず。建治二年四月望月食を祈り験を得、賞して定演を以て權僧都に任ず。二年夏旱、詔を奉じて法雨を神泉苑に祷りて應有り。弘安四年正月、勅を奉じて伊勢大神に詣り元戎を調伏す。夏六月、西院に於て不動使者法を修し、蒙古を降伏す。五年十月三日奄然として化す。年臘不詳。濟、道福富饒、三宝院回禄の後堂、未だ建たず、自ら衣財を捨て悉く旧観に復す。又屡結縁灌頂を修す。弟子三人あり。定勝・道海・定海。門葉蕃矣。」

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