今朝いつものように瞑想をしたのですが、途中で突然瞑想がいつもより深まった気がしました。そしてなぜか「今、生死を超えている様な気がする」ということを少し感じたのです。そのときはそれだけでしたが瞑想から出て考えると「生死をこえている」と感じたのは「心」で心は生死どころかすべてを超えているものだったと気が付いたたのです。般若心経のいう「不生不滅、不垢不浄、不増不減・・」というのもすべて「心」の世界をいってるのだと気が付きました。心は元からあるものだから生まれもしなければ死にもしない、心は穢れて入るとか清らかとかという価値観では測れない、心は「すべて」だから増えもしなければ減りもできない・・。心はこれほど深さ大きさの極まりないものだ・・・という事でしょう。これはだれでも考えれば当たり前のこととわかります。当たり前のことをいまごろなにをいっているのだとおもわれるまもしれませんが、この単純なことにやっと体できずかされはじめた気がしました。(ただ凡夫の自分にはこういう「心境」もすぐもとの木阿弥に戻ることは目に見えていますのでとりあえずこうして記録にとどめておくことにします。)
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