今日は嵯峨天皇が自ら「光定戒牒」を書かれた日です。国宝で比叡山にあります。(以下「宸翰英華」等に依ります。)
三筆といわれた筆跡と深い仏道信仰に裏付けられた心も震えるご宸翰です。
「光定戒牒」は「伝教大師の弟子光定(779~858)が、823年(弘仁14)4月14日比叡山の一乗止観院で菩薩戒をうけた時の戒牒。嵯峨天皇の宸筆。伝教大師の弟子光定は、師の意をうけ、大乗戒壇の設立に奔走し、ついに大師入寂後7日にして設立の勅許を得、4月14日一乗止観院で14名の受戒が行われた。嵯峨天皇がこの時の受戒者の1人光定の戒壇設立の功績にたいして下したのがこの牒」以下わかる所を書き下しておきます。
「近江国比叡山延暦寺菩薩壇所
霊山浄土釈迦如来応当正覚を奉請し菩薩戒和上と為す。
金色世界文殊師利菩薩摩訶薩埵を奉請し菩薩戒羯磨阿闍梨と為す。
覩史多天弥勒菩薩摩訶薩埵を奉請し菩薩戒教授阿闍梨と為す。
十方世界一切如来応当正覚を奉請し菩薩戒導證阿闍梨と為す。
十方世界一切菩薩摩訶薩埵を奉請し菩薩戒同法等侶と為す。
受菩薩戒比丘光定稽首和南衆聖足下、竊に無明長夜に戒光を以て炬と為し滅後の規範木叉師と為す(注1)。以依、賊縛比丘草繋を王游に於いて脱し、乞食沙門鵞珠死後に於いて顕す(注2)。故に能く三観佛乗、三身を究竟に結し三種浄戒三田を初発に開く。但し光定宿因多幸勝縁に遇うを得、妄を棄て真を尋ね戒品を精祈す。庶ふ無上仏種此に藉り栄を敷く塵労稠林(頻りに起こる煩悩)、茲に因って殄滅す。今弘仁十四年四月十四日を契り比叡山延暦寺一乗院において菩薩大乗を受く、伏して願はくは衆聖慈悲抜済謹和南疏。弘仁十四年四月十四日」
(注1、具足戒には戒和上と羯磨阿闍梨と教授阿闍梨,それに7人の証人(〈三師七証〉が必要。
(注2、「大荘厳論(十二)」にある、鵞珠比丘が珠を飲み込んだガチョウを庇う為に盗賊の汚名をかぶせられたが後にガチョウが死んで汚名が晴れた、という逸話。
「鵞珠比丘、赤色の衣を著し、城に入って乞食す。尋(ツイ)で一家に至るに、(穿珠)衣の色、珠に映す。鵞是れ肉なりと謂って、遂に乃ち之を呑む。主、珠を見ず。乞食の比丘に『盗まれるる』と謂ふ。因って而るに打たれ、不殺戒を護るが為の故に、終に言はず。乃至鵞死す。云々」)
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