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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

角田さんに「理趣経の『欲』とはなんぞや」という質問をいただきました。回答その1

2011-02-21 | Q&A
1、まず理趣経百字の偈です。ここに「大欲」が出てきます。

ほさつしょうけいしゃ だいししんせいし  こうさくしゅうせいり じふしゅでっぱん
 菩薩勝慧者  乃至盡生死   恒作衆生利  而不趣涅槃

はんじゃきゅうほうべん  ちとしつかち  しょほうきゅうしょゆう いっせいかいせいせい
 般若及方便   智度悉加持  諸法及諸有   一切皆清浄

よくとうちょうせかん れいとくせいちょこ  ゆうていきゅうあくしゅ ちょうふくしんしょゆう
 欲等調世間   令得浄除故  有頂及悪趣    調伏盡諸有

じょれんていほんぜん  ふいこそぜん  しょよくせいえきぜん  ふぜんりきんせい
 如蓮體本染  不為垢所染  諸欲性亦然   不染利群生

たいよくとくせいせい たいあんらくふうじょう さんかいとくしさい  のうさけんこり
 大欲得清浄   大安楽富饒   三界得自在  能作堅固利


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菩薩は勝れし知慧を持ち、なべて生死の尽きるまで

恒に 衆生の利をはかり、たえてねはんに趣かず。

世にあるもの[=方便]も、その性[=般若]も、智慧の及ばぬものはなし。

もののすがた[=有]も、そのもの[=法]も、一切のものは皆清浄し。

欲が世間をととのえて、よく浄らかになすゆえに、

有頂天 もまた悪も、みなことごとくうちなびく。

蓮は 泥に咲きいでて、花は垢に 染されず。

すべての欲もまたおなじ。そのままにして人を利す。

大欲は清浄なり、大なる楽に富み饒う。

三界の 自由身につきて、固くゆるがぬ利を得たり

(翻訳文:金岡秀友 東京美術「理趣経」)


2、大欲の意味

この百字偈の最後に「大欲得清浄 大安楽富饒(たいよくとくせいせい たいあんらくふうじょう)」とあります。
この「大欲」を密教大辞典では「小欲に対す。一切衆生を悉く済度せんとの欲心を云ふ。理趣経に大欲得清浄大安楽富饒といへり。・・・この大欲は菩提心より起こる。菩提心に自利利他の二心あるがゆえに而も大菩提心より起こる欲は自他平等にして彼此の差別を見ざるが故に大欲といふ。即ち無辺際の大欲なり。・・・」といっています。

3、さらに百字の偈の「欲等調世間 令得浄除故 有頂及悪趣 調伏盡諸有」のところを松長管長の「理趣経講讃」では「真言行者は・・・大欲をもって世間一般の自己中心的な小欲の汚れを浄化するがゆえに上は有頂天から下は三悪趣にいたるまであらゆるものを調伏して小欲を大欲に変えた世界を実現させることに努める。・・」と訳しています。

4、これらの例からして理趣経のいう「欲」は自他一如の境地にたって衆生済度に勤めることをいうということとおもわれます。欲望肯定で有名な十七清浄句の「妙適淨句是菩薩位 慾箭淨句是菩薩位 觸淨句是菩薩位・・」などもすべてこの文脈で理解すべきと思われます。 これがとりあえず回答第1弾です。


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