今日は高野山検校琳賢入定の日です
琳賢は密教大辞典等に「高野山検校、字は円如、俗性平氏。紀州那賀郡神崎の人。初め東大寺順海に従い華厳を受け、後高野山の慶俊に諸尊法を受け、良禅に従って両部灌頂を受け、弥勒院に住す。顕密兼学・事教二つながら全く、時人呼びて小聖人といふ。保延五年十一月高野山十九世検校。堂塔を興し経典を書写し、興法利生に勉め、嘗て炎天に雨を祈るや
善如竜王常に法壇に現じ、甘露滂沱たり。久安六年(1150)八月十四日寂す。壽七十七.その示寂するや全身舎利となり、滅後六十年を経て承元元年後鳥羽上皇御幸山の砌、その廟窟を開しめられしが、定身厳然として端座合掌し恰も生けるが如くなりしといふ。本朝高僧伝、高野春秋、真言伝等。」
真言傳七には「阿闍梨琳賢は紀伊国那賀郡の人、俗姓平氏。初めは東大寺順海にあひて華厳宗を学ぶ。後に高野山の慶俊に随って諸尊法を受、又良禅阿闍梨につきて両部灌頂を伝ふ。つひに高野検校に至って堂舎を建立し仏経を造写す。興法利生、出離解脱のいとなみ怠ることなし。近来久安六年八月中旬俄かに小悩を受け弥勒の像を安じて五色の幡をかけ、手に密印をむすび口に名号をとなへていきたへにけり。土御門、後鳥羽院、建久元年三月、高野の行幸あり。其の時、彼の琳賢が墳墓四壁自然に崩れて其の中あらはなり。其の姿を見るに端座合掌のありさま存生の人にかはらざりければ、月卿雲客其の砌にのぞみて礼拝をなし、緇素上下渇仰を致して来縁をむすぶとみへたり。」
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