修験宗旨書・・・25
法螺口決第五通(法螺は金剛界曼荼羅の種子ばん字の智体をあらわすとされ、これを聞くものは阿字本不生の門に入り、悟りを開くとされる)
夫れ修験所持の法螺とは金界果分の法門、声聞実相の内証なり。しかれば則ち教外無相にして法義を唱え仏祖不伝にして妙理を備う。故に三世の諸仏番番に出世し説法大会の砌大法螺を吹き三界の天衆を驚かし衆生煩悩の眠りを醒まし中道法性の覚位に帰せしめたまう。或る記にいわく、如来の説法を以て獅子吼に喩えること、その故は獅子は畜獣の王也、彼の音を聞く一切の畜獣類諸魔軍、皆悩烈して死す。この如く如来の説法を聴聞して衆生煩悩の魔軍、三毒邪見の獣忽ちに滅るがゆえなり。高祖の釈にいわく、金剛三昧の螺を立て魔障降伏の威を振るう、声字実相の声を顕し、内証心蓮の尊を驚かす、と。しかるに今、修験の行者また仏位に至って自性法身の説法を表す。即身に大法螺を具足す。頌にいわく、「三昧法螺声、一乗妙法説、経耳滅煩悩、當入阿字門」(出典不明、法螺の文とされる)。故に長眠之を聞いて驚覚し、永夜之に依りて忽ちに暁る。実に是法身説法の内証、声塵得道妙理なり。裏書にいわく、當道の引敷とは獅子乗を表し、法螺の声即彼の獅子吼なり。故に所乗の獅子の声を表す能乗行者の道具と為す。立螺という名目、獅子吼に依って以て之を知るべきなり。次に(法螺に巻く)螺緒とは獅子繫縛の宝索なり。根緒五寸は五智、両の緒合せて三十七尺は三十七尊、赤色は智相、緒の太さは水指量也。梵字のばん字の形のこれを結べば衆生能生の根源、二水和合の形相なり。臍輪にこれを著くる、臍輪は水大、梵字のばん門なり。右の脇は智門なり、是れ皆金剛界の曼荼羅を表す、如来説法衆生利益の巧用なり。両の緒の事、先達の位にいたってこれを曳く。故に今これを略す。次に立螺の辺数に四種あり。先ず宿入の螺とは三音三音三音半と之を立つ、合わせて十音なり。十界隋類普門応身の説法(仏が相手に応じて説法する)を表す。次に宿出の螺とは三音半・二音半・一音半合わせて八音なり。八転声、八邪の迷妄を転じて八正道の直道を示すことを表す。次に案内の法螺とは五音三音に之を立てる。御左右という義なり(おんそう、近くに)。返答の法螺とは三五辺と之を立つ。次に駈相の法螺とは二音二音二音の之を立つ、合わせて六音なり。六波羅蜜の法門を表す。返答の法螺前に准じてこれを立つ。右一一の表門、修験得体の内証、自宗表徳の実義なり、先達の意業に依って了簡多しと雖も宝蓮上人の伝に任す。非機の輩においては聊かもこれを示す莫れ。
法螺口決第五通(法螺は金剛界曼荼羅の種子ばん字の智体をあらわすとされ、これを聞くものは阿字本不生の門に入り、悟りを開くとされる)
夫れ修験所持の法螺とは金界果分の法門、声聞実相の内証なり。しかれば則ち教外無相にして法義を唱え仏祖不伝にして妙理を備う。故に三世の諸仏番番に出世し説法大会の砌大法螺を吹き三界の天衆を驚かし衆生煩悩の眠りを醒まし中道法性の覚位に帰せしめたまう。或る記にいわく、如来の説法を以て獅子吼に喩えること、その故は獅子は畜獣の王也、彼の音を聞く一切の畜獣類諸魔軍、皆悩烈して死す。この如く如来の説法を聴聞して衆生煩悩の魔軍、三毒邪見の獣忽ちに滅るがゆえなり。高祖の釈にいわく、金剛三昧の螺を立て魔障降伏の威を振るう、声字実相の声を顕し、内証心蓮の尊を驚かす、と。しかるに今、修験の行者また仏位に至って自性法身の説法を表す。即身に大法螺を具足す。頌にいわく、「三昧法螺声、一乗妙法説、経耳滅煩悩、當入阿字門」(出典不明、法螺の文とされる)。故に長眠之を聞いて驚覚し、永夜之に依りて忽ちに暁る。実に是法身説法の内証、声塵得道妙理なり。裏書にいわく、當道の引敷とは獅子乗を表し、法螺の声即彼の獅子吼なり。故に所乗の獅子の声を表す能乗行者の道具と為す。立螺という名目、獅子吼に依って以て之を知るべきなり。次に(法螺に巻く)螺緒とは獅子繫縛の宝索なり。根緒五寸は五智、両の緒合せて三十七尺は三十七尊、赤色は智相、緒の太さは水指量也。梵字のばん字の形のこれを結べば衆生能生の根源、二水和合の形相なり。臍輪にこれを著くる、臍輪は水大、梵字のばん門なり。右の脇は智門なり、是れ皆金剛界の曼荼羅を表す、如来説法衆生利益の巧用なり。両の緒の事、先達の位にいたってこれを曳く。故に今これを略す。次に立螺の辺数に四種あり。先ず宿入の螺とは三音三音三音半と之を立つ、合わせて十音なり。十界隋類普門応身の説法(仏が相手に応じて説法する)を表す。次に宿出の螺とは三音半・二音半・一音半合わせて八音なり。八転声、八邪の迷妄を転じて八正道の直道を示すことを表す。次に案内の法螺とは五音三音に之を立てる。御左右という義なり(おんそう、近くに)。返答の法螺とは三五辺と之を立つ。次に駈相の法螺とは二音二音二音の之を立つ、合わせて六音なり。六波羅蜜の法門を表す。返答の法螺前に准じてこれを立つ。右一一の表門、修験得体の内証、自宗表徳の実義なり、先達の意業に依って了簡多しと雖も宝蓮上人の伝に任す。非機の輩においては聊かもこれを示す莫れ。