日仏会館ではフランスからレビー氏とか(シルヴァン・レヴィ。フランスの東洋学者、インド学者。1926年から1928年まで三たび日本に滞在し、日仏会館の初代所長をつとめた。「日仏会館学報」を創刊し、また高楠順次郎とともに仏教百科事典『法宝義林』の編纂を開始。)、フシエ氏(「仏教美術研究」 アルフレド・フシエ 大雄閣)とか、マスベロ氏というような学者が来て相助けて日仏仏教辞書の編纂中であります。日本の仏教辞書をフランス語に訳して日仏仏教辞典法宝義林をいま拵えております。一巻は既に出来上りましたし、二巻を印刷して殆ど出来上っております。私とレビー氏との出版主任でやっております。これは震災後私が西洋に行きました時に、大正九年にフランスで私も加わって決議したのであります。仏教辞書を拵えるということについては日本学者の協力は必要であるから、日本で拵えて送ってくれというふうの話でありますから、こっちでも金がなくては指を染めることも出来ない。そのうちに向うがたまらなくなってレビー博士が日本に出て来た。二、三人連れて來て日仏会館で編纂している。こっちも加勢して進行している。幸いに大阪の和田氏が編纂費を出してくれるので一巻はすでに出版した。評判も相当に宜しいので一同喜んでいるのであります。
とにかく一切経を向うの人が平気で読めるようにしたいという希望であります。日本にこれだけの偉大なる文字があるが、それを辞書もなく、索引もなく、註釈もなくて、自由自在に読むものは西洋人にはない。日本人の力を借りなければいけないのは当然である。こういうことがはっきり西洋の人の頭に今では分ってきたのであるからかかる順序に進んだのであります。とにかくわれわれはインドに出てインドに亡びてしまい、シナに出てシナで亡びてしまったものを保存している。しかもインドにもなく、シナにもなく、朝鮮にもセイロンにも安南にもないという組織でこれを研究して持ち続けている。それはどういう組織かというと、まず教学の組織としては、一切経を研究するのにはそれぞれの順序がある。倶舎(因果関係を明かす)、唯識(識が世界を作っているとする)、三論(空を説く)というように順序がある。「唯識三年倶舎八年」というように今まで伝えられた。推古帝の時に法隆学問寺が出来まして、それが聖徳太子の時の大学であった。それから東大寺が仏教大学の組織を有するに至った時には、普通の大学と分れて、普通の大学は大学頭を戴いて法制、暦数、史書などの研究をする。仏教の方にも法相衆、三論衆、華厳衆など部門を分っていた。
とにかく一切経を向うの人が平気で読めるようにしたいという希望であります。日本にこれだけの偉大なる文字があるが、それを辞書もなく、索引もなく、註釈もなくて、自由自在に読むものは西洋人にはない。日本人の力を借りなければいけないのは当然である。こういうことがはっきり西洋の人の頭に今では分ってきたのであるからかかる順序に進んだのであります。とにかくわれわれはインドに出てインドに亡びてしまい、シナに出てシナで亡びてしまったものを保存している。しかもインドにもなく、シナにもなく、朝鮮にもセイロンにも安南にもないという組織でこれを研究して持ち続けている。それはどういう組織かというと、まず教学の組織としては、一切経を研究するのにはそれぞれの順序がある。倶舎(因果関係を明かす)、唯識(識が世界を作っているとする)、三論(空を説く)というように順序がある。「唯識三年倶舎八年」というように今まで伝えられた。推古帝の時に法隆学問寺が出来まして、それが聖徳太子の時の大学であった。それから東大寺が仏教大学の組織を有するに至った時には、普通の大学と分れて、普通の大学は大学頭を戴いて法制、暦数、史書などの研究をする。仏教の方にも法相衆、三論衆、華厳衆など部門を分っていた。