福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

浄土とは(仏教大辞典による)その6

2013-12-06 | 法話
浄土の方位、荘厳の多少、住民の種別等は皆その因位における任意の発願によりて不同を生ずるとせらるるところなるも、若し史的立場よりすればその間におのずから、一種の発達変遷を認むることあるが如し。

なかんずく、阿閦の佛刹には女人あり、人民は皆樹より五色の衣服をとりてこれを着すと云ひ、また忉利天につうずる三道の宝階ありとなすがごとき、浄土の叙述として其の思想のすこぶる原始的なるを認めざるべからず。

弥陀の浄土には女人なく、かの国に生ずるものは皆化生にして、自然虚無の体、無極の身を受くとし、且つ食あるも実に食するものなしといひ、又大海小海なく、須弥山金剛囲山等なしとし、阿閦佛國経に比すればその叙述おおいに径庭ありといへども、なほかの國中に忉利四天王等の諸天ありとし、且つ無数の声聞の存在することを説けり。

文殊師利佛土厳浄経巻上には、文殊師利の國中に声聞縁覚の名もなしと云ひ、

大智度論第三十八には、若し清浄なるものは則ち三悪道三毒なく、亦二乗の名もなく、亦女人もなく、一切の人は皆三十二相ありと云ひ、瑜伽師地論第七十九には清浄世界の中にはもっぱら菩薩僧のみ止住す、すでに第三地にいれる菩薩は願い自在によるがゆえに彼において愛生す。異生及び非異生の声門独覚若しくは異生の菩薩の彼に生することなしを得るものなしといひ、

梁訳摂大乗論第十四には浄土の中に八の不可得、二の可得あり、ゆえに一切佛最微妙清浄と名ずく。八の不可得とは一に外道、二に有害の衆生、三に生姓家冨とうの差別、四に悪行の人、五に破戒の人、六に悪道、七に下乗、八に下意下行の諸菩薩なり。
二つの可得とは、一に最上品意行の諸菩薩、二に諸の如来なりと云へり。

是れ皆浄土は初地以上の菩薩の所居にして地前の菩薩および二乗、ならびに凡夫女人等の雑居するところにあらずとなすの説なり。









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