大智度論第九十三に「浄佛土あり三界を出ず。乃至煩悩の名もなし」と云ひ、
瑜伽師地論第七十九に「清浄世界の中には那羅迦・傍生・我鬼の得べきなく、又欲界色界無色界なし」といひ、
摂大乗論巻下に「諸仏如来の浄土は三界の威義を出過す」と云へるは、すなわち浄土をもって出過三界の妙所となせるものにして、阿閦、弥陀等の浄土の叙述に比しておおいに進歩発達の跡を追躡するを得べし。また諸経中には諸仏浄土の等同又は其の優劣を比説せるもの多し。即ち
須頼経に貧者須頼当来成仏の時の国土を善化と名ずく、阿閦佛の東方妙楽世界のごとしと云ひ、
文殊師利佛土厳浄経巻上に棄悪菩薩当来成仏のときの国土を安穏と名ずく、阿閦佛の妙楽世界の功勲厳浄と等しくして、異なりあることなしと云へるごときは、ともに阿閦の国土を基調となせることを示し・・
瑜伽師地論第七十九に「清浄世界の中には那羅迦・傍生・我鬼の得べきなく、又欲界色界無色界なし」といひ、
摂大乗論巻下に「諸仏如来の浄土は三界の威義を出過す」と云へるは、すなわち浄土をもって出過三界の妙所となせるものにして、阿閦、弥陀等の浄土の叙述に比しておおいに進歩発達の跡を追躡するを得べし。また諸経中には諸仏浄土の等同又は其の優劣を比説せるもの多し。即ち
須頼経に貧者須頼当来成仏の時の国土を善化と名ずく、阿閦佛の東方妙楽世界のごとしと云ひ、
文殊師利佛土厳浄経巻上に棄悪菩薩当来成仏のときの国土を安穏と名ずく、阿閦佛の妙楽世界の功勲厳浄と等しくして、異なりあることなしと云へるごときは、ともに阿閦の国土を基調となせることを示し・・