此殺害の業は他の身心を苦むる故、その餘業が自の身心にそひ来て、生々の處に悩み苦む。此も経中に二には多病と云。
今日人間世界に現に見る所の短命の者・多病の者は、過去世に作りなせし所の殺生の餘業が等同流類してかくの如くと云うことじゃ。(「等流因等流果」といい、蒔いたタネと同じ結果が、返ってくること。)この業相の影は不可思議なるものにて、一度その果報定れば改易せられぬじゃ。
看よ。現今多病なる者が、種々の藥術を以て救療するも、多くは其験を得ぬ。身心を歸投して神祇に祈るも多は其徳を得ぬ。藥術効なしとはいはれぬ。神祇徳なしとは云はれぬ。唯業力が強きものにて改易がならぬじゃ。
初業因の時慎まねば。果報を得る時に至っては。免るることがならぬじゃ.
(業の力が強いと加持祈祷も医療も手をつけられない。これは初めに業をおこすのを慎んでないから)
今日人間世界に現に見る所の短命の者・多病の者は、過去世に作りなせし所の殺生の餘業が等同流類してかくの如くと云うことじゃ。(「等流因等流果」といい、蒔いたタネと同じ結果が、返ってくること。)この業相の影は不可思議なるものにて、一度その果報定れば改易せられぬじゃ。
看よ。現今多病なる者が、種々の藥術を以て救療するも、多くは其験を得ぬ。身心を歸投して神祇に祈るも多は其徳を得ぬ。藥術効なしとはいはれぬ。神祇徳なしとは云はれぬ。唯業力が強きものにて改易がならぬじゃ。
初業因の時慎まねば。果報を得る時に至っては。免るることがならぬじゃ.
(業の力が強いと加持祈祷も医療も手をつけられない。これは初めに業をおこすのを慎んでないから)