市川海老蔵氏が愛妻を失って直後に、幼子と歌舞伎の大舞台に出ている姿がテレビでも放映されその壮絶な親子の姿に涙が止まりません。自分自身も小学生の時母親が病没しましたし、以前の勤め先でも男やもめのケースを多く見ています。しかし個々のケースはそれぞれ絶対です。他に例があるからと言って慰めにはなりません。こういう悲惨なケースみるにつけても「不条理」ということばがまたしても口をついて出てきます。
自分はこういう「不条理」にあっている最中の人々に何ができるのか?いつも問いかけますが、具体的には何もできません、せいぜい同じ気持ちになって拝むくらいです。
先日「往生要集」をよんでいて「もし貧窮の人ありて財の施すべきものなくば、他の施を修するを見るとき、しかも随喜の心を生ぜよ、随喜の福報は施と等しくして異なる事無し(過去現在因果経)」という言葉に出会いました。これを今の心境に当てはめれば、「もし不条理の人を見て、助けること能わずは、同事の心を生ぜよ・・」とでもなりましょうか。ただ相手と同じ気持ちになろうとするしか自分にできることはありません。これをあえて仏教語で言えば四摂法の「同事」ということになるでしょうか。長阿含經等多くのお経には四摂法(布施・愛語・利行・同事)が説かれていますがこの最後に「同事」とあります。これは自分を捨てて苦しむ相手と全く同じ心・境遇になりきることです。
神仏も実は「同事」行をやってくださっているのではないでしょうか。