福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

金山穆韶師の「仏教における個体の観念」・・・54

2017-07-04 | 霊魂論
其の中第九阿摩羅識はこれ唯真非妄の心である。この第九の唯真非妄の識体深細なれどもなほこれ真妄相対の真心である。而も心性の体は相対を絶せる絶対体即ち非真非妄の心ならざるべからず。この非真非妄の絶対心、これ第十の一々心識である。この非真非妄の第十の一々心識の体、これ顕教の大乗仏教の所入所詣の究竟の果地である。所謂真諦実相の妙極である。

而も真言密教よりいへば、かかる非真非妄の心性これなほ遮情の極にして表徳の實義を明かすものにあらず、密教にてはこの非真非妄の絶対無相の極処に於て、却って無尽無数の心識を立つ、かの大日経の無量の心識、金剛頂経の五智三十七智乃至無尽の心数、釈摩訶衍論の不二心、大師の心王心数主伴無尽、色心無量実相無辺の説等はその名異なるも、その法体は一にしていずれも表徳無尽の識体を明かすものである。

この表徳無尽の識体はこれ主客能所を絶せる一如無相の超越界(第十識)において却って法爾瑜伽の身心、都絶能所の能所、本有自爾の真我の実在を釈せるものである。即ちこの
真我の体は一にして多、多にして一、各々その自体に於いて一切世界を統摂せる曼荼羅である。

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