「弘法大師の真言密教は言葉の宗教といわれます。お経は言葉そのものであり、そのことばの持っている本当の意味、即ち真言になりきることが法身(仏)と一体になりきることだということなのです。
ところが一方悟りをひらき、仏と一体になって即身成仏するということは言葉では理解できない、説明できないものだともおっしゃいます。
ことばの佛教でありながら、言葉では説明できないという、この一見矛盾におもえる教え、単純にことばとか理論では説明しえないというところにまた密教の神秘の全てがあるのです。
じつは密教の行き着くところつまり即身成仏に至るには理論だけでなく、印を結び、陀羅尼をとなえ観想する、という実践の面が大変重要なのです。これが完全に一体化しないと神秘の力へ、自分から働きかけることができないのです。
どうしてかといえば人間の身体は大日如来の一部であるからなのです。・・人間は自分の身体の中の仏性に目覚めてない、そこでその秘密力を目覚めさせるために身体の実践が必要なのです。その入り口が十善戒なのです。・・」
ところが一方悟りをひらき、仏と一体になって即身成仏するということは言葉では理解できない、説明できないものだともおっしゃいます。
ことばの佛教でありながら、言葉では説明できないという、この一見矛盾におもえる教え、単純にことばとか理論では説明しえないというところにまた密教の神秘の全てがあるのです。
じつは密教の行き着くところつまり即身成仏に至るには理論だけでなく、印を結び、陀羅尼をとなえ観想する、という実践の面が大変重要なのです。これが完全に一体化しないと神秘の力へ、自分から働きかけることができないのです。
どうしてかといえば人間の身体は大日如来の一部であるからなのです。・・人間は自分の身体の中の仏性に目覚めてない、そこでその秘密力を目覚めさせるために身体の実践が必要なのです。その入り口が十善戒なのです。・・」