75年前の太平洋戦争の英霊の声を聞くと自ずと我々一人一人の身の処し方が出てきます。
2020年八月の靖国神社社頭掲示です
「お父さんより 陸軍少佐 森美喜命(昭和17年12月31日、ガダルカナルにて戦死鳥取県出身、三九歳。)
お父さんより 美智枝に
美っちゃんが出生することをお父さんとお母さんは真面目に祈ってゐたのです。そしてお父さんもお母さんもとても元気でした。美っちゃんがお母さんの胎内にある時は、お母さんの栄養の摂取は勿論、立派な美っちゃんに生まれ出るために色々な栄養や健康法に努めたのです。お父さんもお母さんもとてもうれしく気持ちよく日々を送りました。そして美っちゃんの生まれる日がきました。(中略)
美っちゃんはまるまると肥えて元気らしくほんとうに赤ちゃんといったふうで、綺麗でした。そしてお母さんのお乳に元気よく食いついて飲んでくれました。(中略)
美っちゃんはきっと立派な女性、大和民族としてその美性をそなへ、智格を保ち、枝性を垂れて人生の本分に邁進せよ。
お父さんはしばらく戦場にあって戦争目的を達して帰る。留守中にきっと利巧な美っちゃんになってゐるであらう。お母さんの教えを守り、早く成長してお母さんを助けなさい。そして兄二人と仲良く三人が手を握り合ってお父さんのために、お母さんのために、三人の名を挙げなさい。
ではこれで失礼する
昭和17年11月15日 父 森美喜
森美智殿」
・「英霊の言乃葉」には似た境遇の父の言葉がありました。「海軍大尉 植村真久命・神風特別攻撃隊大和隊・昭和十九年十月二十六日
比島海域にて戦死・東京都出身 立教大学卒 二十五歳」
「素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。
私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになつたのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に會ひたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあつても親なし兒などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讀んで貰ひなさい。
昭和十九年○月吉日
植村素子へ
追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。」【昭和三十五年八月~十月靖國神社社頭掲示】
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