地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の10/17
十、願に随って益を得事。
駿州富士大宮(富士宮市)の供養に覺蔵坊恵日と申す僧ありし、本は山臥にて如是の荒行なども老て勤めたり。内には地蔵菩薩を信仰し奉り餘念なく侍りき。凢そ當社の本山は自然湧出の峰三國無双の靈區なり。本地大日覺王假に應物して垂迹し玉へり。されば生滅門を忌事限りなし。殺生を誡め給ふ事無双。巍巍たる山の頂、蕩々たる雲の粧ひたとへん方もなし。楼閣高く秀で朱丹霞に色を交へ、棟梁はるかに聳て垂木尻の金物雲に輝き顕密の道場軒を續け、百八十間の廻廊甍を双たり。されば長日読誦の法音は渓の響とあらはれ、不断護摩の煙は梢になびきて雲の如し。貴賤歩みを運び奉幣更に止む時なし。爰に彼の御神の王子七の御前と申し奉るは本地は地蔵にて在す御事なれば覺蔵坊常に此の社の詣て現當二世の悉地をぞ祈りける。或夜の夢に小僧一人出現して我は是當社第七の若子也と云玉ひければ、恵日坊申しけるは御神躰は女躰とこそ承るになにとて僧形を現じ給ふと問来れば、法身の理躰より今日垂迹して物の應ずるときは機の心に随順すること水の器に隨ふが如し。衆生根性万差なれば身を現ずること亦是の如し。我が本躰は地蔵也。地蔵即ち阿字の本躰也。汝我を祈ること年久し、故に出離の要を示さんがために今爰に身を現じて汝未来の報を怖れば唯出家修行すべしと示し玉ふかと思へば夢覚めぬ。此の事を思惟するに我今法師の皃なり、さるを出家せよと言ふは三界に遊行して住宅を捨てよとの御示なり、と我が弟子に坊位をゆずりて自分は諸國流浪の身となりて一心に地蔵念佛して五畿七道を偏参しけるが、築の方に下向して或山里に歩迷ひて夷婆羅と云ふ里に入りけり。人里近き山あひにあやしき地に一宇の草堂を建立す。其の濫觴久しくして問に知る人なし。本尊地蔵尊にて通身皆木佛なり。先ず拝し奉りなつかしく思ひ奉れば其夜は爰に通夜しけり。日暮れければ甲乙の人参籠して同音に地蔵名号を唱奉る事終夜なり。或は立挙り或は躍りて一心不乱に汗をながして念誦し奉れば弥よ有難く覚へけり。夜明け方になりぬれば集會の者共各々下向しぬ。残りたる人にたずねけるは、今日は縁日にも侍らず、いかなることに此の如し、と問ひければ答て曰、凢そ此の處は世を渡る計(はかりごと)すくなくして猟漁をもて命をつぐなり。これによりて集り名号を唱れば猟多しと申す。恵日聞きて思ふやう是は大悲の本願の背けり、自然は地蔵にてはかしまぬかと不審をこりりて、若し然らば人の為・法の為しかるべからず。我が一期の間行力をもためし、此の里の人にも能く指南をせばやと思ひし折節佛前に何心もなく睡眠したるに十歳ばかりの童子の数珠を右の手に持ちて、汝薄地の凢智の故真実究竟に暗し、夫れ闡提救世の願は月の万水にうつるにことならず。何をか取り何をか捨つべきと云々。恵日夢中に問て曰く、然らば如来は殺生をも許し玉ふの理ありや。童子の言く、汝此れを知るやと曰て右手を指上げ四の指を屈し玉ふて、これなん四輪の錫杖なり、又左手を挙げ玉ひて是三面の宝珠是也と指をかがめ示し且左右の手をさしあげて、左をやすつべき右をや捨つべき、煩悩即菩提、生死即涅槃、地獄天宮皆浄土也、有情非情最も仏道を成ず、何の疑念かあるべきと左右の手をまわし玉ひて結縁は唯是かやうなれども順逆何れもすてず。汝自今以後不二心をもち偏執をなす事なかれと言ひて失せ玉ふと覚ゆ。恵日坊胸中の不審晴れて弥よ信仰しけり。されば菩薩の大慈とかく念佛せさせんために方便して逆縁ながら引導し玉ふ。難化の衆生如是云々。
引証。本願經に云、但し佛法中に於いて為す所の善事一毛一渧一沙一塵、或は毫髪許り我漸く度脱して大利を獲しむべし云々(地藏菩薩本願經分身集會品第二「但於佛法中所爲善事。一毛一渧一沙一塵。或毫髮許。我漸度脱使獲大利。唯願世尊不以後世惡業衆生爲慮」)。