愚管抄第七巻 その1/6
はじめに
愚管抄の結論部分第七巻を和文にしてみました。50年以上前に大学で何の授業か忘れましたが教授が「愚管抄」を読め、といっていたことを思いだします。当時は難読難解ですぐにギブアップしましたが今回は愚管抄の結論部分の第七巻だけアップしてみます。
愚管抄は歴史は「道理」によって動くと説いたとされます。しかしこの道理とは何なのか、がよくわかりません。松岡正剛は「千夜千冊」で愚管抄の説く「道理」とは「相対的」なものである、といっています。しかし愚管抄は「道理」とは「時代によって変遷する」が「顕(現世)」に「冥(神仏と怨霊などの目に見えない力)」が現れることである、と言っていると思います。
そして
- 顕冥通じ時代を超えて、日本國は天皇と臣下は血筋により決然と分かれている、滅罪生善・諸悪莫作・諸善奉行などという仏法は真理である。
- 伊勢大神宮(天照大神)と春日大明神(天児屋根命)は日本国の安寧を願い賢君賢臣の出現と相互信頼を望まれた。太神宮・大菩薩の御心を君臣共に推し量るべきである。
- 怨霊(崇徳上皇など)や悪霊の働きも出てくることがあるがここにも仏法の怨霊調伏の重要性がある。
などということが言いたかったのではと思われます。