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原人論(全読み下し・解説文)1/8

2021-04-01 | 諸経

原人論(全読み下し・解説文)

訓訳原人論釈雲照などをもとに

原人論は唐僧圭峰宗密が仏教を排斥した韓愈の著作の「原人」等に対し,華厳宗の宗旨によって,人間の起源を考究し(裴休(はいきゅう)の『華厳原人論序』では「原人論」を「人道の根本を原(たず)ねる」論とする。)儒教や道教および仏教各宗の教相判釈をし、最後に華厳教が儒仏道すべてを包摂する最高の教えと説いています。この儒仏道全体にわたる教相判釈はほぼ同時代の大師の「秘密曼荼羅十住心論」の粗構成とでもいう面を持っています。)

1、訓訳原人論釈雲照にある宗密禅師の略傳。

「宗密禅師略傳

・降誕、禅師は仏滅後千七百二十七年支那唐朝第九代代宗皇帝の大歴十四年(779)果州の西充(四川省南充市)に生まれたまふ。

・出家、幼より儒道を修学して業成り、まさに貢挙に赴かんとし、偶遂州大雲寺の道圓禅師に会通し、その禅法を味ひ遂に剃髪せらる。則ち第十二代憲宗皇帝の元和二年807禅師二十九歳の時なり。

・求法、その後円覚経を繙き未だ軸を終らずして大に感悟し、尋ねて清涼国師の華厳疏を覧て一言のもとに開通し、更に国師の門に入って華厳の宗派を嗣ぎ、大に教禅二學の蘊奥を叩きたまへり。

・化導、憲宗皇帝の元和十四年819韓退之が佛骨の表を上りて「佛は夷狄の人、口に先王の法言を謂わず、身に先王の法服を服せず、君臣の義・父子の情を知らず」と謗し、その他原道等を草して仏教を排斥せんとす。

又十五代文宗皇帝の大和元年827麟徳殿において大に三教(孔老釈)の対論あり、同九年835には僧尼の沙汰あり。尋で仏寺を毀し僧尼を還俗せしめ、仏教は漸次に衰へ、儒教と道教は之に乗じて勃興に気運に迎へり。この時に當たりて独り仏教の原底を究め或は多く疏抄を著し、或は広く経論を講じ、或は普く名邑大都に遊びて専ら法門の弘通に勤めしは宗密禅師なり。

・原人論の撰述、其の年代詳らかならずと雖も是亦他の理由あるに非ず。唯世人が韓退之等の文辞に迷て仏教の広大無辺の真意を無視し、儒教道教等の偏浅を修して以て仏教を破斥せんとするの徒を開導せんと欲するが為なるのみ。

・入寂、十六代の武宗皇帝の会昌元年841正月六日興福院に於て従容として坐滅せらる。世壽六十有三、戒臘三十四。

 

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