地蔵菩薩三国霊験記 7/14巻の6/8
六、貧女尸を隠し霊験を給ふ事
甲斐の國胡摩郡布施の荘と申す所(山梨県中央市布施)は上古は小井河の荘とぞ申しける。其の時儀丹上人と申して明匠あり。行法修力他に超越し玉へり。其の比の帝王御病悩の事あり御加持の師として勅・下されて召しけるに折節伽藍新造の事有りて勅宣を辞し申されけり。二度の勅使ありて護身加持のためにいそぎ参り玉へ苟も宣旨を辞退していつ゛くに寺を興立し玉ふべき。普天の下卒土の濱悉く王土ならずはなし(「詩経・小雅・北山「溥天の下 王土に非ざる莫く、率土の浜王臣に非ざる莫し」」)
しかるに今勅命を違背し私の事を造作せらる、草も木も我皇の國なればいつ゛くか御僧の居所なるべきぞ。況や釈門王法と合躰して鎮護國家を祈る事本朝其の例云にをよばず異國の式布(しひて)方策にあり。且亦國家の危急を略にして一已緩怠を「速やかに入る事一も理にあらずとぞ責められければ、儀丹此の言に伏して唐木の念珠(紫檀・黒檀・鉄刀木等)を三匝半にかいまきて、箱に入れて勅使に向かって申し玉ふは、此の念珠こそ法師と一体不二の三摩耶なり。我即ち此の念珠、念珠即ち我也。御悩などか御験なからん。早く斯の如くの叚を具に奏聞あれかしとぞ申されければ勅使もこれに力を得て急ぎ上洛して件の子細を申し上げる。主上御枕のほとりにおかせたまへば忽ち御悩は止にけり。あまりの奇特の事とて御布施に彼の小井河の庄を寄附ありける。それより布施の庄と傳へたり。https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwj51v76o4qGAxVjcPUHHbvdCdAQFnoECA4QAQ&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25B8%2583%25E6%2596%25BD%25E8%258D%2598&usg=AOvVaw3MSD_GOR0jHPPYdBRfQ1_y&opi=89978449
爰に貧なる俗夫婦住みける。夫はなま侍(身分の低い侍)にて人目をはち゛けるほどに耕事をせず明暮れ肝胆を貧の為に砕き、身を飢寒の為に苦しみける。誠なるかな貧は諸道の障、病は丈夫の仇にて、かれの俗足のたたざる病ありて三四年の間煩ひける。妻も是をあはれみて色々看病すれども両足糸のごとくになりもてゆけば杖を便りによろめきければ有るにかひなき露の命きへやすくぞ見えける。娘一人ありしが皃(貌)人にすぐれて十六歳の比より高家に仕申しけれども子は親を人につつみ親も亦子を思てたがひに戀けるほどにさすが疎くなりて文の音信もなくなりはてぬるこそ本意なきわざなれ。女房は齢六十にかたぶきて彼を見此れを聞くにつけてたのもしき方こそなけれ出息人をまたざる此の身の死して尸をたれか埋め隠して得させんとしきりに無常を思念しつる折節に或僧の勧化によりて一刹那もをこたらず南無地蔵と一心に唱奉りけり。花を供し水をむすび心清浄の志をはこび年月を送りけるほどに、七旬にあまりて足の歩きも自由ならず今ぞ今生のかぎりと思ひければ娘の方に告げ知らせけれどもいかが返事もせざりける。あさましく思ひ切りていよいよ地蔵を念じ奉る。されば夫婦ともに身にころもをまきかがまり居けるが、里人をかたらひ加様の病あるものは山梨郡り鹽部の湯とやらんに入りぬれば快氣を得ると聞く。願くは其のかたはらに拾をきてたび玉へとたのみければ人々石木ならねばあはれみ掻き持ち行きけれども處の習ひとて看病人のあらざるは一日もをかざりければ力無く其のあたり古き塚のありけるにすてをきてこそ皈りける。其の比、鎌倉に唐朝より渡らせ玉ふ貴僧ありて単傳心印不立文字の法を示し給ふて建長の精舎を営み五百の僧侶を安じ一心禅定の門を開き以心伝心の室に登る事を工夫せしめ誠に正法眼蔵の大善知識なりし大覚禅師とぞ申し奉る在す。湯治の御為に鹽部に御越しありけるに當宗の掟やらん亦和尚獨慈心を垂れ玉ふにや、彼の病人を召し寄せて看病せさせ天上の黄耆(おうぎ・漢方薬)梵の阿伽陀(あらゆる病気を治すという霊妙な薬。阿伽陀薬 (あかだやく))漢朝の蘇香(風邪薬)臥具湯薬何れも望みに任せつつ終に空くなりにけり。山の麓に火葬して塚をつかせて骨をかくし中陰の忌ひさるにても和尚の慈悲のありがたさよ、是則ち地蔵の御利生ならずや。然るに或暁塚の上に光明赫赫たり。見る人奇異の思ひをなす。和尚も此の事傳へ聞き玉ひてあれば直に向せられて塚を発見給ふに白骨の中に一寸六分(6㎝)の金の地蔵あり。和尚奇特に思召されて安置供養し玉ひける所にやむごとなき女房一人尋ね参りて我が母の遺骨の佛なり願くは我に玉はれかしと申せば和尚則ちあたへさせ玉ひけり。彼の女喜悦して両手を伸べて掌の上にのせまいらせけるに不思議や一滴の黄露となりて消失せ手の中より金色の光一筋立ちのぼり跡のなかりけるこそあさましく不思議なれ。彼の女(むすめ)孝行の志偽りなくんばいかでか母の應身化佛も消へうせ玉ふべきや。正嘉(1257年から1259年)の夏の比、諏訪大明神は普賢菩薩の應化にて假に神祇と現じ弓矢を帯し殺生を宗とし玉ふ由、彼の和尚聞し召して、あやしみ給ひ漢朝の古例を引き、明神に一偈を下して邪法を破り成佛の正縁を授け奉らんとて信州へ下向し玉ひけるに明神俗躰をあらはし玉ひて途中にて参會し和尚の御耳に口をさしあてて物申し玉ひければ和尚聞召して打ちうなつ゛きゆるし奉る由をの玉hっければ明神は本宮に皈り玉ふ。されば明神すら猶是の如し、何に況や凢夫をや。思ふに利益衆生の方便の微細なる由をこそ申し玉ひつらめ彼の和尚、平生禅定に入り玉ふとき、御すがた観音に見へさせ玉ふ由皆申しける。されば卒尒の周章(あはて)者の御身近く女性ありけりと見るやからもあり。是は八幡大菩薩諏訪大明神常に女身を現じ御参ありと申す。女性の近習するなんどそしる咎永劫もつきがたき者をや。されば如来も三不能とて難化の衆生三種ありと説き給へり。曰く不信衆生と定業衆生と無縁衆生となり。然れども地蔵菩薩は不能をもはばかり玉はざればこそ定業も轉じて乞皈(こひかへし)蘇生せしめ玉ふ。結縁なき人をも捨て玉はばこそ平等利益との玉ひて其の若く患にかはり助くとはちかひ玉ふらめ。不信の衆生をも済度し玉へばこそ怨みある輩らも逆縁と名付けて助けたまふらめ。況や信心称名の人何ぞ済度にあずからざらんや。凢そ利益方便三朝に験多し。遠く天竺を尋ぬるに大蔵経巻に是れ分明なり。漢土・本朝に其の霊験數をしらず。信心の家には利生立所に現前す。なんぞ遠く尋ね求めんや。まさに己身の所作にあらはるる者也。
引証。本願經。二十八種の利益を得る云々。
(地藏菩薩本願經囑累人天品第十三「若未來世有善男子善女人。見地藏形像及聞此經。乃至讀誦香華飮食衣服珍寶布施供養讃歎瞻禮。得二十八種利益。一者天龍護念。二者善果日増。三者集聖上因。四者菩提不退。五者衣食豐足。六者疾疫不臨。七者離水火災。八者無盜賊厄。九者人見欽敬。十者神鬼助持。十一者女轉男身。十二者爲王臣女。十三者端正相好。十四者多生天上。十五者或爲帝王。十六者宿智命通。十七者有求皆從。十八者眷屬歡樂。十九者諸横銷滅。二十者業道永除。二十一者去處盡通。二十二者夜夢安樂。二十三者先亡離苦。二十四者宿福受生。二十五者諸聖讃歎。二十六者聰明利根。二十七者饒慈愍心。二十八者畢竟成佛」)