福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

壷坂霊験記

2013-07-28 | 法話
「夢が浮世か浮世が夢か、夢てふ里に、住みながら、住めば住むなる世の中によしあし曳きの大和路や、壺坂の片辺り土佐町に、沢市といふ座頭あり生れついたる正直の、琴の稽古や三味線の、糸より細き身代の、薄き煙の営みに、妻のお里は健やかに、夫の手助け賃仕事つづれさせてふ洗濯や、糊かひものを打盤の、音もかすかの暮らしなり。

鳥の声、鐘の音さへ身に泌みて、思ひ出すほど、涙が先へ落ちて流るゝ妹背の川を「オヽこれはこれは沢市様。けふはなんと思ふてやら、三味線出して、よい機嫌ぢやの、ホヽヽヽヽ」「オヽお里か。そなたアノ、おれが三味線弾くをよい機嫌に見ゆるかや」「アイナア」「ハテナア、おりやそんな気ぢやないはいの。モウモウ気が詰つて詰まっていつそ死んでものけう」「エヽ」「イヤサアノ死んでしもうほど、気がふさいでならぬわいなう。コレお里。わしやそなたに、チト尋ねたいことがある。マヽここへおぢや。ハテまあここへおぢやいなう。ほかのことでもないが、いつぞは聞かう聞こうと思ふてゐたが、丁度幸ひ。光陰矢のごとしとやら、月日の経つはアヽはやいものな。ソレわが身とおれが、コウ一緒になつてからモウ三年。稚ない時より許嫁。互に心も知つてゐるにマなぜ、そのやうに隠しやるぞさつぱりと打明けて、云ふてたも」とどこやら濁る詞のはし。お里はさらに合点いかず不審ながらに「コレ沢市様、そりやお前なにを云はしやんす。嫁入りしてから三歳の間、モほんに/\露ほども、隠し立てしたことはござんせぬが、それともになんぞまた、お気に入らぬことあらば、云ふて聞かして下さんせ。サそれが夫婦ぢやないかいな」「ムヽそう云やればこつちも云はう」「オヽ、なんなりとも云はしやんせ」「オヽ云はいでか。コリヤお里。マよう聞けよ。われと夫婦になつて丸三年。毎晩七つから先、つひに一度もゐたことがない。ソリヤもうおれはこのような盲目。ことにえらい疱瘡で、モ見る影もない顔形。どうでわれの気に入らぬは無理ならねどほかに思ふ男があらば、さつぱりと打明けて、云ふてくれたらこのようになんの腹を立てうぞい。尤もわれとおれとは従兄妹同士。もつぱら人の噂にも、アノお里は美しい/\と、聞く度ごとにおれはもう、よう諦めてゐるほどに、悋気は決してせぬぞや。コレどうぞ明かして云ふてたも」と立派に云へど目に漏るゝ、涙呑込む盲目の、心のうちぞ切なけれ。聞くにお里は身も世もあられず、縋りついて「エヽソリヤ胴欲な沢市様。いかに賤しい私ぢやとて、現在お前を振捨てゝ、ほかに男を持つやうな、そんな女子と思ふてか。ソリヤ聞こえませぬ聞こえませぬ/\はいな。モ父様や、母様に別れてから伯父様のお世話になり、お前と一緒に育てられ、三つ違ひの兄さんと、云ふて暮してゐるうちに、情けなやこなさんは、生れもつかぬ疱瘡で、眼かいの見えぬその上に、貧苦にせまれどなんのその、一旦殿御の沢市様。たとへ火の中水の底、未来までも夫婦ぢやと、(思ふばかりかコレ申しお前のお目をなおさんと)この壺坂の観音様へ、明けの七つの鐘を聞き、そつと抜け出でたヾ一人、山路いとはず三年越し。せつなる願ひに御利生のないとはいかなる報ひぞや。観音様も聞こえぬと、今も今とて恨んでゐた、わしの心も知らずして、ほかに男があるやうに、今のお前の一言が、私は腹が立つはいの」と口説き立てたる貞節の涙の、色ぞ誠なる。初めて聞きし妻の誠。今更なんと沢市が、詫びの詞も涙声「アヽコレ女房どの、なんにも云はぬ堪忍してたも。謝つた/\。謝つたはいなう。モウさうとは知らず、不具の癖に愚痴ばかり。コレ堪へてたもれ」とばかりにて、手を合はしたる詫び涙。袖や袂を浸すらん「アヽコレ連れ添ふ女房になんの詫び。お前の疑ひ晴れたれば、わたしや死んでも本望ぢや、わたしや死んでも本望ぢやわいな」「イヤモウさう云ふてたもるほど、わが身の手前面目ないはいなう。ガそれほどまで信心してたもつても、おれがこの眼は治りはせぬはいの」「エヽ、ソリヤマアなにを云はしやんすぞいな。この年月の憂き艱難。雨の夜、雪の夜霜の夜も、厭はぬ私が跣(はだし)参りも、みんなお前のためぢやぞえ」「サアそれほどに祈誓をかけ、願ふてたもつた志。ありがたいとも、嬉しいとも、その貞節なそなたをば、この年月の廻り根性。ハテモウ観音様ぢやと云ふたとて、罰こそあたれなんのマア、この目が明いてたまるものか」「エヽなんのいのふ。私の体はコレイナアコレ、お前の体も同じこと。そんな愚痴を云はうより、ちやつと心を取直し、観音様へともどもに、お頼み申して下さんせ、お頼み申して下さんせ」と夫を思う貞心の心遣ひぞ哀れなり。沢市涙にくれながら「オヽ過分なぞや女房ども。さうそなたが一心の、据つた上は御仏の、枯れたる木にも花が咲くとやら、見えぬこの目は枯れたる木。アヽどうぞ花がさかしたいな。と云ふたところが、罪の深いこの身の上。せめて未来を」「エヽ」「イヤサアノ女房ども。手を引いてたもいざ/\」と云ふに嬉しく女房が、身拵へさへそこそこに、労はり渡す細杖の、細き心も細からぬ、誓ひは深き壷坂の御寺を、さして辿り行く、


伝え聞く壺坂の観世音は人皇五十代、桓武天皇奈良の都にまします時、御眼病甚しくこの壺坂の尊像へ、時の方丈道喜上人一百七日の御祈祷にて、たちまち平癒をあらせられ今に至つて西国の、六番の札所とはみな人々の知るところ、げにありがたき霊地なり。折しも坂の下よりも詠歌を、道の栞にて、沢市夫婦やうやうと御寺間近く詣で来て「コレ沢市様。信心は大事なれど、病ひは気からといふからは、お前のやうにしをしをと、ふさいでばかりゐやんすと、なほ病ひは重ならう。コレこんな時にはわつさりと、日頃覚えの唄なりと、気晴らしに歌はんしたらどうぢやの」「ムヽほんにさうぢやの。わが身の云やるとほり、くよくよ思ふは目の毒ぢや。そんならあの浚へと思ふてやつて退けう。しかし、誰も見てゐやせぬかや。エヽままよ。てんぽの皮やつて退けう。

エヘンエヘン憂きが情けか情けが憂きか、チンツンチチンツチツンツ、露と消えゆくテチン、わが身の上はチンチンチリンツテチリツテントンシヤン、アイタヽヽヽヽ、アしもた。今躓いて、あとの合いの手みな忘れてしもた。アハヽヽヽヽ」「ホヽヽヽヽ」と唄をしばしの道草に、御本堂へと登り来て「サアサア沢市様。ソレ観音様へ来たはいな」「ハアモウここが観音様か。ヤレありがたやありがたや。ハア、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」「コレコレこちの人、今宵こそゆつくりと、御詠歌を夜もすがら、上げませうではあるまいか」と夫婦して、唱ふる詠歌の声澄みて、いとしんしんと殊勝なる「岩を建て、水をたたへて壺坂の」(「庭の砂も浄土なるらん」)「コレお里。叶はぬこととは思へども、そなたの詞に従ふて、来ごとは来てもなかなかに、この目は治りさうなことはないはいなう」「エヽこの人はいなう。またしてもまたしても。とかく信心といふものは、気を長う歩みを運んで、心を鎮め一心に、お縋り申せばなに事も叶へてやろとの御慈悲ぢやはいなう。そんなこと云ふ手間で、はやうお唱へ申しましよ」と力を付くれば「いかさまなう。ほんに云やればそのとほり、そんならわしは今宵から、三日の間、ここに断食するほどに、そなたははやううちへ去んで、なにかの用事仕舞うておぢや。治るとも、治らぬとも、この三日の間が運定め」「オヽよう云ふて下さんした。そんなら私もうちへ帰り、なにかの用事片付けてすぐに来ませう。ガコレ沢市様。このお山は嶮しい山路、ことに坂を登りて右へ行けば、幾何丈とも知れぬ谷間ぢやほどに、コレ構へてどつこへも」「オヽどこかへ行かうぞ。今夜から観音様と、首引きぢや。アハヽヽヽ」「ホヽヽヽヽ」と笑ひながらに女房が跡に心は置く露の、散りてはかなき別れとも知らでとつかは急ぎ行く。跡に沢市ただ一人、こらへし胸の遣瀬なくかつぱと伏して泣きゐたる「コレ嬉しいぞや女房ども。この年月の介抱その上に、貧苦にせまるも厭ひなく、ただの一度も愛想つかさずあまつさへ、目かいの見えぬこの身をば、大事にかけてたもる志。それとも知らずにいろいろの疑ひだて。コレ堪忍してたも/\。今別れてはいつの世に、また逢ふことのあるべきか。

不憫の者やいぢらしや」と大地にどうと身を打伏し前後不覚に歎きしが、やうやうに顔を上げ「アヽ歎くまい歎くまい。三歳が間女房が、信心凝らして願ふても、なんの利益もないものを、いつまで生きても詮ないこの身。世の諺にも云ふとほり、退けば長者が二人の譬へ、わしが死ぬのがそなたへ返礼。生き存へていづれへなりと、よき縁付きをしてたもや。ヤヽ、ムヽ、最前聞へば坂を登りて右へ行けば、幾何丈とも知れぬ谷間とのこと。これ究竟の最後所。かかる霊地の土とならば、未来は助かることもあらん。ムヽ幸ひに夜は更けたり。人なきうちに、オヽ、さうぢやさうじゃ」と立上り、乱るゝ心取直し、上る段さへ四つ五つ、はや更けわたる鐘の声「イザ最後時急がん」と杖を力に盲目の探り探りてやうやうとこなたの、岩にかけ上れば、いと物凄き谷水の、流れの音もどうどうと、響くは弥陀の迎ひぞと、杖を傍へにつき立てゝ「南無阿弥陀仏」ともろともに、がばと飛込む身の果ては哀れなりける次第なり。

かかることとも露知らず、息せき道より女房が取つて返すも気はそぞろ、常に馴れにし山道も、滑り落つやら転ぶやら、やうやう登る坂の上「ヤア、コリヤコレこちの人が見えぬはいな。沢市様沢市様、沢市様いなういなう」と尋ね廻れど声だにも、人影さへも見えざれば、あなたへうろうろ、こなたへ走り「沢市様いなういなう」とここかしこ木の間を洩るゝ月影に透せばなにか物ありと、立寄り見れば覚えの杖。『ハツ』と驚き遥かなる、谷を見やれば照る月の、光に分つ夫の死骸「ハアこりやマアどうせう悲しや」と狂気のごとく身を悶え、飛び降りんにも翅なく呼べど叫べどその甲斐も、答ふるものは山彦の谺よりほかなかりける「エヽこちの人聞こえませぬ/\。聞こえませぬはいな。この年月の艱難も、厭はぬ私が辛抱はな、たゞ一筋に観音様へ願込めて、どうぞはやう眼の明きますやう、お助けなされて下されと、祈らぬ間とてないものを、けふに限つてこのしだら。跡に残つてわたしやまア。どうなるぞいなア、どうせうどうせう/\どうせうぞいな。アヽこれを思へば最前に、歌はしやんしたアノ唄は、どうやら心にかゝつたが、今に思へばその時に、死ぬる覚悟であつたのか。エヽ知らなんだ/\。かういふことならなんのマア、お前を無理に連れて来ませう。堪忍して下さんせ/\エヽヽ。ほんに思へばこの身ほどはかない者があろかいな。二世と契りしわが夫に永い別れとなることは、神ならぬ身の浅ましや。かかる憂き目は前の世の、報ひか罪かエヽ情けなや。この世も見えぬ盲目の闇より、闇の死出の旅。誰が手引きをしてくれう迷はしやるのを見るやうで、いとしいはいの」とかき口説き、口説きたて/\歎く涙は、壺坂の谷間の水や増るらん。

やう/\涙の顔を上げ「アヽ悔やむまい歎くまい。みななに事も前の世の、定りごとと諦めて、夫とともに死出の旅。急ぐは形見のこの杖を、渡すはこの世を去りてゆく、行先導き給へや南無阿弥陀仏、弥陀仏の、声もろともに谷間へ、落ちてはかなき身の最後貞女のほどこそ哀れなり。

頃は如月、中空や、はや明け近き雲間よりさつと輝く光明につれて、聞ゆる音楽の音も妙なるその中に、いとも気高き上藹の姿を仮に観世音。微妙の御声うるはしく「いかに沢市承れ。汝前世の業により盲目となつたり。しかも両人ながら、今日に迫る命なれども、妻の貞心または、日頃念ずる功徳にて、寿命を延ばし与ふべし。この上はいよ/\信心渇仰して、三十三所を順礼なし、仏恩報謝なし奉れ。コリヤお里/\沢市/\」と宣ふ御声もろともに、かき消すごとく失せ給へばはや晨朝の鐘の声四方に響きて明け行く空、ほのぼの暗き谷間には、夢とも分かぬ二人とも、むつくと起きて「ヤこなたは沢市つあん。アヽ、コレこちの人。お前の眼が明いてあるがな」「エヽ、アノ、ほんにコリヤ眼が明いてある。オヽ、眼が明いた。眼が明いた/\/\/\。眼が明いた。チエヽ観音様のお陰。ありがとうござります。ありがとうござります/\/\はいなう。ムヽ、そしてアノ、お前はマアどなたぢやへ」「どなたとはなんぞいの。コレ私はお前の女房ぢやはいな」「エヽ、アノお前がわしの女房かへ。コレハシタリ初めてお目にかかります。アヽ嬉しや/\。それにつけても不思議なこと。正しくわしは谷へ落ち、死んだと思ふてなにも知らぬその中に、観音様がお出でなされ、前世からのこと、こまごまと御知らせ」「サイナア、私もお前の跡を追ひ、谷へ落ちたに違ひはない。ガ身内に一つも疵つかず、その上お前のお眼が明く、コリヤマア夢ではないかいな」「ムヽそんなら、今沢市/\とおつしやつたが、コリヤ観音様がじき/\に、お呼び生け下されましたに違ひはない。ハ、ハ、ハ、アありがたや忝や。これよりすぐにお礼参りは浮木の亀、初めて拝む日の光は、年立返る、心地ぞや」これぞ誠に観音の、御利生ありけるや見えぬ眼も見え明らかに、ありがたかりける新珠の、年立返るごとくにて、水も漏らさぬ夫婦の命も助かりけるは、誠に目出たう候ひける。けふは嬉しや杖を納めて折しも朝の、日の目を拝んで、お礼申すや神や仏。万見せ給ふはこれひとへに観世音の、これひとえに観音の誓ひの重きは岩を建て水を、たたへて壺坂の庭の、砂も浄土なるらん御示しありがたかりける御法なり

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