十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)
とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。
京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町。
知人としては真摯と温和とで心からいたわって下さる一洵君、物事を苦にしないで何かと庇護して下さる藤君、等々、そして君らの夫人。
すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた。
夕飯は一洵君の宅で頂戴し、それから同道して隣接の月村画伯を訪ね、おそくまで話し興じた。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
新“風来居”の記
“無事心頭情自寂
無心事上境都如”(自警偈)
十二月十六日 (晴)
高橋さんの内ママへ行たり高橋さんが来たりで。……
(今でも52番太山寺への途中の護国神社先に山頭火の一草庵があります。遍路の都度よっていきます。ここで山頭火は昭和15年10月11日日本が太平洋戦争に向かう只中で58才で人生を閉じたのです。「春風の鉢の子一つ」等の句碑がありました。)
とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。
京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町。
知人としては真摯と温和とで心からいたわって下さる一洵君、物事を苦にしないで何かと庇護して下さる藤君、等々、そして君らの夫人。
すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた。
夕飯は一洵君の宅で頂戴し、それから同道して隣接の月村画伯を訪ね、おそくまで話し興じた。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
新“風来居”の記
“無事心頭情自寂
無心事上境都如”(自警偈)
十二月十六日 (晴)
高橋さんの内ママへ行たり高橋さんが来たりで。……
(今でも52番太山寺への途中の護国神社先に山頭火の一草庵があります。遍路の都度よっていきます。ここで山頭火は昭和15年10月11日日本が太平洋戦争に向かう只中で58才で人生を閉じたのです。「春風の鉢の子一つ」等の句碑がありました。)