1、今日は二二六事件から87年目です。小泉時代からの「拝金主義」「弱肉強食のための売国規制緩和」「市場原理至上主義」の跋扈の後遺症による重い閉塞感の漂って居る最中に前世紀の帝国主義の復活と核威嚇という地獄の蓋を開けたプーチンのウクライナ侵略大量殺人がおこりました。これにとどまらず北方領土は既成事実化され、北朝鮮は日本列島越の大陸間弾道弾を発射、中国は平気で領海領空不法侵入をくりかえしてきています。日本自身にも主権侵害が既成事実化されてきています。しかしこの期に及んでもマスコミはプーチンや習近平、金 正恩に敬称をつけ、政治家は保身の為に、財界は利益の為に、官僚は省益のために、先に述べたように日本弱体化の「規制緩和・構造改革・緊縮財政」政策遂行に邁進してきました。
そして挙句の果てに一部勢力は憲法改正に反対し、平和ボケの極致の非核三原則まで守ろうとしています。非核三原則がいかに亡国への直線コースであえるかはウクライナをみれば一目瞭然です。米欧などの保証により核を放棄したウクライナは今回ロシアに残虐の限りを尽くされています。核を放棄させる条件としてウクライナの国家存続を保証した米欧はいまとなってはロシアを畏れて武器を小出しにするのみ。これは既に世界中で地獄の釜の蓋が開いてしまったことを意味します。この期に及んで日本国憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などといっても世界では寝言としか受け取られません。国民や国が消滅して憲法の文言だけ残ることに意味を見出すことはできません。核保有による相互確証破壊の傘を広げることしか平和は保てない時代にとっくに入っていた、ということです。世界がすでに今地獄と化しています。中露朝に狙われている日本には一刻の猶予もない事態ですがいまの政財官マスコミに危機感は全くありません。日本にだけは危機はこないと国民を丸め込もうとしています。今日もテレビではお笑い番組や大企業のコマシャールを延々と流しています。
2、二二六事件の歌といわれる「昭和維新の歌」(注1)があります。この中で「二、権門上に倣れども 国を憂うる誠なし。財閥富を誇れども 社稷を念う心なし」「六、天の怒りか地の声か そも只ならぬ響あり。民永劫の眠より 醒めよ日本の朝ぼらけ」の歌詞があります。翻って小泉構造改革を利用しつくし売国的規制緩和・民営化により巨大省益や私益を手にした経済官庁や大企業は現在の悪逆非道なロシア・中国・朝鮮半島への対しても国益を忘れて矮小な私益でしか対応を考えられない体質が染みついてしまっています。この霞が関の巨大経済官庁や大企業の自己中心主義売国体質とそれに諾々と踊らされてきている国民を思う時、改めてこの歌詞の新鮮さに驚かされます。
3
二二六事件の背後には田中智学の「日蓮主義」があることはとみに知られています。
真言宗とは水と油のような関係ですがなぜかこの田中智学に惹かれるのです。
特に「日本国体の研究」はいつ読んでもスカッとします。
(注1) 「昭和維新の歌」
「一、汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
溷濁の世に我起たてば 義憤に燃えて血潮湧く
二、権門上に倣れども 国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども 社稷を念ねがう心なし
三、あゝ人栄えて国亡ぶ 盲たる民たみ世に躍る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
四、昭和維新の春の空 正義に結ぶ益良雄が
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花
五、古びしむくろ乗越えて 雲飄揺の身は一つ
国を憂いて起つ時に 大丈夫の歌なからめや
六、天の怒りか地の声か そも只ならぬ響あり
民永劫の眠より 醒めよ日本の朝ぼらけ
七、見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫びて
革新の機到りぬと 吹くや日本の夕嵐
八、ああうらぶれし天地の 迷ひの道を人は行く
栄華を誇る塵ちりの世に 誰が高楼の眺めぞや
九、巧名なにか夢のあと 消えざるものはただ誠
人生意気に感じては 成否を誰たれか論ふ
十、止めよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ
我等が剣今こそは 廊清の血に躍るかな