観音霊験記真鈔16/33
西國十五番山州(山城国)京今熊野十一面像。御身長一尺五寸餘。
釈して云く、此の十一面の像の事、前第八番目に解すと雖も未盡なり。重ねて曲しく釈せば、第一頂上佛は螺髪の形なり。餘の十一面は菩薩形なり。前の三面は慈悲寂静の貌。左三面は
忿怒の形。是は悪を作す者を見て対治せんとし玉ふ形なり。右の三面は牙を上に現じ善根を修する者を讃ふ形なり。後ろの一面は善悪交雑して衆生を見て咲ひ玉ふ。善を見て喜びて笑ひ、悪を見ては哢(あざけ)りて咲ひ玉ふなり。本躰の面では笑はず、瞋らず、善悪不二の義也。已上上古の抄の意(佛説十一面觀世音神呪經「身長一尺三寸作十一頭。當前三面作菩薩面。左廂三面作瞋面。右廂三面似菩薩面狗牙上出。後有一面作大笑面。頂上一面作佛面。面悉向前後著光。其十一面各戴花冠」)。私に考るに或いは云ふ、第一頂佛は阿弥陀佛也と、亦云、額の上の立佛像は薬師如来なり云々。曲しくは第八番目に明かす如し、故に略す。此の頂上佛を天台又は智禮等は帯果行因の意を顕して正法如来と云へり。已に観音三昧經に云く、観音昔已に成仏して正法如来と号す。今菩薩と名けて浄土の行を修す(観音三昧經は失經。觀無量壽佛經疏妙宗鈔「觀音三昧經云。觀音昔已成佛號正法明。今爲菩薩修淨土行。斯乃帶昔果徳行今因行。頂有化佛表帶果也」)。或は観音讃には、釈迦と云ふ隨縁不定なりと云へども頂上佛は彌陀を以て本とすべし、其の故は大日経具縁品に云、北方大精進観自在は光色、皓月と商佉軍那華との如し(商佉軍那は天人の華也。其の色白色欤)微笑して百蓮華に坐し髻に無量壽を現ず(大毘盧遮那成佛神變加持經卷・入眞言門住心品第一「北方大精進 觀世自在者 光色如皓月 商佉軍那華 微笑坐白蓮 髻現無量壽」)。又龍樹の論に云く、冠中に即ち是弥陀を頂戴す(觀經疏傳通記「問。若爾化佛是正法明乎。而十二禮云觀音頂戴冠中住。即是彌陀也。又觀音讃云釋迦。云何定耶 答。隨縁不定 已上 又璟興云。有二意。一觀音既次補彌陀佛。故頂戴彼佛。以顯次補之相。即龍樹禮中。觀音頂戴冠中住。種種妙相寶莊嚴也」)。往生禮讃に云く、西方阿弥陀を観音冠中に頂戴して住せしめたまふ(往生禮讃偈・沙門善導集記「南無至心歸命禮西方阿彌陀佛 觀音頂戴冠中住 種種妙相寶莊嚴 能伏外道魔憍慢 故我頂禮彌陀尊 願共諸衆生 往生安樂國」)。又般舟讃に云く、慈恩を報ぜんと念じて常に頂戴す(依觀經等明般舟三昧行道往生讃・比丘僧善導撰「念報慈恩常頂戴 無量樂」)。天台等も一説に依る歟。又千手經に云く、専ら我が本師阿弥陀如来を念じて然ふして後に當に此の陀羅尼神呪を誦すべし、一宿に五遍を誦し満てば身中の百千萬億の生死の重罪を除滅す(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「亦應專念我本師阿彌陀如來。然後即當誦此陀羅尼神呪。一宿誦滿五遍。除滅身中百千萬億劫生死重罪」)。明眼論に云く、本師を載せては妙果を証すなり(説法明眼論「慈眼ヲ開テ愛敬ヲ示シ、本師ヲ戴テ妙果ヲ表ス。恭敬礼拝のともがらハ、永ク四苦ヲ離レ、一心称名の人ハ、必ス八難ヲ出ツ」)。今爰に観世音先ず本師阿弥陀を念じて其の後陀羅尼を誦せよと仰せられし事は随自意(衆生の機根にかかわらず、仏自身の内面の覚りをそのまま説き示すこと)本意を顕はさんが為なり。又悲華經に云く、過去善持劫に輪王あり、名けて無諍念王と云、所生の太子相好具足したまひぬ、大臣寶海梵志相師たり、乃ち云く、必ず無上道を成ぜんと。爾時佛あり。寶蔵如来と名く。輪王の為に彌陀佛記を授け玉ふ。太子観世音を正法明如来として二子大勢至を功徳寶山佛と名く(悲華經は本生説話の形式、阿弥陀仏の前生を無諍念王という転輪聖王とし、その王子たちを観音、勢至、文殊師利、阿閦などの仏・菩薩の前生とする。そして、それぞれの誓願・授記を説く。さらに無諍念王のバラモン司祭官である宝海梵志を釈尊の前生とし、その子に師仏である宝蔵如来を置く。如来のもとで無諍念王と王子たちは浄土成仏の誓願を立てるが、宝海梵志は浄土ではなく自らはあえて穢土成仏の五百誓願を立てる)。
又昊天(こうてん・大いなる天)の恩有る故に西方に補處し首に本師を戴き玉ヘリ。
西國十五番山州(山城国)京今熊野は紀州熊野権現を勧請あり。本地十一面観音御身長一尺五寸餘にして弘法大師の御作なり。又は天照太神の御作とも云へり。其の故は何となれば弘法大師東寺に在す時、東の岸より光明赫奕として東寺に指移り玉ふ。大師怪しみ思召して其の光を慕ふて東山に至り見玉ふに白衣の翁一人現れ出て、大師にのたまふ。此山に十一面観音在す。御長一寸八寸分天照太神の御作なり。衆生済度の為に此地に御来現あり。拝み玉へと告玉ふ。大師奇異の思ひをなし尊像を禮拝し玉ふに誠に光明赫奕としてあまねく山谷を照らし玉ふ。其の時、彼翁又言、願くは大師佛舎をかまへて衆生を利益し玉ふべし。我は熊野権現なり。此地の守護神となりて佛法を守るべしとて化去り玉ふ。大師歓喜のあまり神勅に任せて一宇を建立ありて大悲の像を安置したまふが斯る殊勝の靈像をたやすべきにあらずとて大師又十一面の像一尺五寸餘なるを刻ませ玉ひて、其の御胸の中に彼の一寸八分の靈像を収め拝ませ玉ふなり。故に熊野権現を此所に勧請在て新熊野とは申し奉るなり。
歌に
「昔より 建つとも知らぬ今熊野 佛の誓あらたなりけり」
私に云く、歌の意は別義なし。「昔より 建つとも」等は此等の幾久敷なることを尒云なり。故に「今くまの」の詞の縁を受けたり。下の句の「佛の誓」等は文の如く知易し。裏の意は此観世音の利益は古今一般にして頼む衆生は日々に済ひ玉ふとなり。誠に儒書に「日々新」と云へるも(大学 伝二章「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」)此の意なるべし。普門品に云、「衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」如是の誓ましますが佛の誓あらたなること也。湛空上人(鎌倉時代浄土僧。徳大寺実能の孫。浄土宗。はじめ比叡山の実全に師事。のち法然に帰依,流罪にもしたがう。師の死後,嵯峨の二尊院で教えをひろめ,その門下は嵯峨門徒とよばれた。土御門天皇・後嵯峨天皇の戒師)の歌に
「六の道 幾回りして 會ぬらん 十聲一聲捨てぬ誓を」
後拾遺集の歌に
「残生(いざさ)らば 昔を問ん都鳥 難波堀江に今ぞ鳴きぬる 」
今の歌を以て案ずるに観音の利益も是の如し。佛の誓願も曠劫より已来、迷ひの衆生を憐みたまふ心なれば無始の先を問知りたきものなり。都鳥の難波ほりえに鳴くが如く末世の今に至て観音不思議の妙智力はたへず衆生の信心の聲を聞て済度し玉ふは都鳥の鳴如くなるべき歟。後學西國の歌に引合わすべし。愚意左(と)も右(かく)も。