「御即位灌頂 冨田斆純」には「・・後三条天皇が即位の大礼に秘密灌頂の印明を結びたまひしにより、この後御即位灌頂は毎代行われた。伏見天皇御即位(第92代,弘安10年10月21日(1287年11月27日)に御即位)には青蓮院准后道玄を勅講し灌頂を受けられたが、道玄は摂政二条良実の子であったのでその後即位灌頂は二条家に相伝することとなった。・・南北統一された第100代天皇後小松天皇は二条良基より即位灌頂をうけたてまつった>一方後奈良天皇は法性寺光什大僧正が御即位灌頂を授け奉った。このようにこの秘法は真俗両様に相伝せられることとなった、故に真言天台はもちろん、二条家、九条家、鷹司家が皆この秘法を相伝するということになってついには五摂関家が互いに争うようになった。
この御即位灌頂は昔は小安殿いてその儀式が行われていたが後には清涼殿の朝餉の間で御即位の前日にお授け申し上げたようである。また時には御即位式の高御座に出御の時にお授け申し上げたこともあるようである。後陽成天皇(第107代天皇御在位:天正14年11月7日(1586年12月17日))の即位灌頂につき兼見卿記(吉田神道の宗家、よしだ兼見の日記)には「未の剋出御、御剣璽典侍女これを持せららる。高御座へ入御あって関白、ご灌頂相伝・・」」とある。
この御即位灌頂は昔は小安殿いてその儀式が行われていたが後には清涼殿の朝餉の間で御即位の前日にお授け申し上げたようである。また時には御即位式の高御座に出御の時にお授け申し上げたこともあるようである。後陽成天皇(第107代天皇御在位:天正14年11月7日(1586年12月17日))の即位灌頂につき兼見卿記(吉田神道の宗家、よしだ兼見の日記)には「未の剋出御、御剣璽典侍女これを持せららる。高御座へ入御あって関白、ご灌頂相伝・・」」とある。