慈雲尊者「天の御蔭」
「神道は有為法(現象世界の法)なり。國家の守りたがひなく君臣のみち謬らず、君は常に君たり。萬代をへてその位うごかず。臣はとこしなへに臣たり。児孫ながく傳はりて忠をつくし敬礼を行ふ。この道臣庶に傳はりて大小諸國貴賤萬家みなその守りを失はず。廣く支那諸蛮を求むるに此の道のかくの如く正しきを聞かず。此の君臣の道、家々におよんで夫婦の道となる。夫婦男女の道天地日月に交わりて國家の富栄となる。豊あし原の中つ國の名、爰にありと云り。此の夫婦のみち父子の教えとなる、四方津海八島の外も浪しずかなる、此れによるなり。支那の聖人も此の道を心に得て教えを世に垂る。しかあれども元来その国邊陲にしてその民文華に走る。教に五倫をつらね刑に五刑(古代中国の五つの刑罰。墨(ぼく)(いれずみ)・劓(ぎ)(鼻きり)・剕(ひ)(片足切り)・宮(きゆう)(男は去勢,女は幽閉,一説に鎖陰)・大辟(たいへき)(首切り))を設く。なを後代に朋党の禍おこり宦官の害はだはだしく、終に外国に奪れて聖者の後裔その臣僕となる(慈雲尊者の時代は明が清になった時代)。聖人は聡明叡智なれども時にうつされところに轉じられて、しからざることあたわず。我朝元来聖人無し。謂る聖人なしとは、支那國より劣るにはあらず。國破れて忠臣をしる、家病んで名医あらはる、この神明の國日月の天にかかりて、衆星その光を見ざるごとし。若し聡明叡智の人を論ぜば、五百年間かならず其人あるべし。これによりてみれば國に聖人を称するはその國の恥なり。天の物を生ずる、蘭蕙(ランとシラン)と荊棘とならび生じて相妨ず。鸞鳳(らんほう鸞鳥と鳳凰)と鴟鴞(しきょう・ふくろう)ともに棲んでおのおのその生育をとぐ。君子小人ならび用ひてみなその用あり。才能不才ことごとくそのところを得て生命を全す。ただ君命にそむく者、自ら神罰を蒙りて災害を招く。天網恢恢疎にして漏らさず。此天道神祇もとより人わざを以て測り知るべからず。故に支那の孔仲尼も、その門人子路に告ぐることあたはず(論語・先進第十一 季路問事鬼神章 に「季路、鬼神に事ることを問う。子曰く、未だ人に事ること能ず、焉ぞ能く鬼に事ん。曰く、敢て死を問う。曰く、未だ生を知ず、焉んぞ死を知ん。」とあり、慈雲尊者は「孔子が怪力乱神を語せずと有るは門人の詭譎(ききつ・いぶかしい)にわたることを恐るなるべし。(問決)」と述べておられます。)。唯無為常寂のなか佛世尊ありてその頤に達し給ふなり(釈尊は出世間から世間を見て十善を行じることにより世間も治まると説かれた)。故に神道の致を尋ねば、仏法の趣を習ひ知るべし(世間の法である神道の奥義を極めんとすれば世間を越えて出世間から見ている仏法を習うべし)。我朝歴代の皇王名臣の佛を信ずる、これによるなり。有為を全して無為に入る。経中に十善これ菩薩の道場なりと云り。十善とは王者の民を誘ふ道なり。菩薩とは如来正法の中に在て一切衆生を救度するの人なり。かの道あるところ、天地の化育をたすけ、神祇の威力を増益し、貴人ここに居してその位うごきなく、人民これを受て身をやすんじ家をたもつ。君子もしかり。小人もまたしかり。才能あるものも同じく、無能の者ことならず。小人もその禍をまぬかれ、聖人は自らその徳をあらはすことはなし。まことに大矣哉。
「天てらす ひかりはいずこ わかねども わきて曇らぬ日のもとぞ これ」雙龍叟しるす(慈雲尊者は生駒山の雙龍庵に棲んでいたためこう記されている)。
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