Q、意味を知らずして真言を唱えても功徳がありますか?A、世俗の利益はありますが悟りには程遠いということになります。大日経疏第七に「もし但だ口に真言を誦して其の義を思惟せずんば、ただ世間の義理(除病延命・除災招福・家内安全・子孫長久・怨敵退散・国家安穏・五穀豊穣・万民豊楽)を成ずべし、豈に金剛の体性を成ずることを得んや。」とあります。 . . . 本文を読む
イスラム教がはやっていますがイスラムの言う「偶像」と「仏像」は根本的に違います 。「仏像」は神力により現れたもので、人々の中にある仏を表しているからです。仏像に跪拝するのは自身仏に跪拝しているのです。従って偶像破壊などといって仏像を壊すことは自身を壊すことになります。
1、東大寺の森本管長が平成21年2月8日のNHK心の時間で、イスラム教のいう「偶像」と「仏像」は違うと言っておられました。要は . . . 本文を読む
今日も中学生の自殺記事が数件出ていました。この福聚講のブログはそういう行き詰まった人たちに「拝めば必ず助かる」ということを広めたくて始めたのですが、限りない力不足を感じます。とにかく近くの古い神社仏閣あるいは路傍の古びたお地蔵様も拝めばかならずたすけてくださいます。
「頂いた現実の霊験」
ではこういう無数の有難い霊験談を出しています。切羽詰った人には理屈はどうでもいいのです。まず拝むことです。 . . . 本文を読む
菩薩本生鬘論・投身飼虎縁起卷第一
法隆寺の投身飼虎図は深遠な真理を表していますがその元となるお経が何種類かあります。その一つです。
(あらすじ)お釈迦様が手を以て地を按ると地が震動し、七寶塔が涌現しその中に前世のお釈迦様の舎利がありこれをお釈迦様が「悟りへ導いてくれた」として礼します。お釈迦様は前世で飢えた虎に「我身をして大善業を成じ生死海に於いて大舟航となり、無上究竟涅槃を求め永く憂悲無常の苦 . . . 本文を読む
次に修行(大日経に言う悟りを得るための要素、因・根・究竟のうち根にあたる)についてであります。弘法大師和讃に「・・偏に光明真言を、行住坐臥にとなえれば、宿障いつしか消え果て、往生浄土と定まれり・」とあります(注)。それから安心和讃のなかに「・・一密怠ることなくば、増上縁の力にて、三密具足の時至り、即身成仏せらるなり」とあります。一密行で成仏できるかというとできません。三密(身口意)揃て初めて成仏で . . . 本文を読む
今日これから「ダライラマ法王と東南アジアの学生たちとの対話」中継があります。
「ダライラマ法王と東南アジアの学生たちとの対話」今日7日午前11時半より午後1時の予定でダラムサラの法王公邸より、インターネットを介しダライ・ラマ法王と東南アジアの若者たちとの対話が行われます。法王は短い講話のあと、参加者からの質問に答えられます。
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今日これから「ダライラマ法王と東南アジアの学生たちとの対話」中継があります。
「ダライラマ法王と東南アジアの学生たちとの対話」今日7日午前11時半より午後1時の予定でダラムサラの法王公邸より、インターネットを介しダライ・ラマ法王と東南アジアの若者たちとの対話が行われます。法王は短い講話のあと、参加者からの質問に答えられます。
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菩提心とは仏果菩提を期する心で即ち誓願心です。天台の十疑論には願作仏心と称し、竜猛菩薩の菩提心論には誓願決心と称し、善無畏三蔵の大日経疏には決定誓願とも「一向志求一切智智、必當普度一切衆生」とも称し皆同じ意味です。又その菩提心論には勝義(智慧)・行願(慈悲)・三昧地(大菩提心)の三種菩提心を説き、大師の三昧耶戒序にはこの三種の上に信心を加えて四種の誓願としてありますが信心は総体(元となるもの)で、 . . . 本文を読む
梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品第十卷下・後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
(『梵網経』の原本は百二十巻六十一品の浩瀚なものとされますが、梵網経と言われているものはその一部・菩薩心地品第十の一品を訳したもの。上巻には十発諏・十長養・十金剛・十地の菩薩の階位について説明し、ここで出した下巻には、十重禁戒・四十八軽戒について示しています。
戒律は複雑ですが、小乗戒としては『四分律(具足戒)』が主流を占めています。 . . . 本文を読む
「疑えば、花開かず 信心清浄なれば 仏を見たてまつる」という句に出あいました。何かほっとしました。これは坂村真民さんがよく書いておられた句です。調べてみると「十住毘波沙論」易行品第九に「我今歸命禮彼諸大菩薩 日日於三時供養十方佛 是故稽首禮若人種善根 疑則華不開(もしひと善根を植うるとも、疑えば花開かず。信心清淨者 華開則見佛(信心清淨なる者は 華開いて則ち佛をみたてまつる。) 十方現在佛 . . . 本文を読む
横田滋さんの死に対しアメリカも解決への決意の声明を出してくれています。
北朝鮮へ手も足も出ない弱小国の国民として誠に恥ずかしい限りですが、国民全員が臥薪嘗胆の気概さえ持てば必ずチャンスは巡ってくると思われます。
そうでなくとも拉致という極悪非道の行いの因果は必ず北朝鮮へ巡っていきます。非道の限りを尽くして無事でいられる訳はありません。しかしその時間軸は不明です。原人論でも「身を修めることなく . . . 本文を読む
信心について大疏(大日経疏)では捨攞駄(しゃらだ)の信、阿毘目底(あびぼきち)の信ということを説く。捨攞駄(しゃらだ)は深心といい、阿毘目底(あびぼきち)は信解という。深心は仏法の法義を聞いて、自分には分からずともこの法は仏説であるから間違いないと思うて深く信ずるのである。大疏(大毘盧遮那成佛經疏卷第三)に「深心とは梵音には捨攞駄(しゃらだ)という、これ事により人による信なり。たとえば長者の言を聞 . . . 本文を読む