今日は彼岸明けです . . . 本文を読む
Q、俗世の願いの成就こそ本来の姿という密教の説があるが如何?A,密教で俗世の願いを加持祈祷で聞き届けるが、その裏には本物の悟りへ至らしめたいとする願いがある。夢中問答集(無窓疎石)より・・・問、真言師の中に有相の悉地こそ密教の本意なれ、無相を貴ぶは顕教の所談なれと申す人あり、その義如何。答、・・大日経に甚深無相法と説ける(大日経巻七に「甚深無相法 劣慧所不堪爲應彼等故 兼存有相説」とあり)は顕教の . . . 本文を読む
明治35年3月22日付けの、南方熊楠より高野山管長土岐法龍あての手紙があります。「・・・霊魂の死不死などは題からして間違っておる。神道ごとき麁末なるものにすらアラミタマ、クシミタマなどということがある。神にまた魂魄ある説なり。魂と魄の別などは太古から支那にあったらしい。すでに霊魂といわば不死をのみこんだ下題なり。もし人間の人間たる所以の精(エッセンス)が死か不死かとの説ならんには予は他の動物とかわ . . . 本文を読む
今日、承保二年1075、3月21日は明算が「高野山秘記」を中院にて感得した日です。大山公淳の論文「道 範 大 徳 の 「高 野 秘 事 」」にも「高組 大師 御 入定 後 二百 四十 一年 白 河天皇 の承保 二 年 乙卯 三 月 二十 一日 夜半 中院 の組 明算 大徳夢 に野山 の秘 記を感 得 され た。」とあり。 . . . 本文を読む
お大師様は御出家に当たり「支離懸鶉(しいりけんじゅん)をみては因果の哀しみ休せず。目に触れて我を勧む。だれかよく風を係がむ。(三教指帰)」と困窮する庶民救済が出家の原因と仰り、密教を求めて命がけで入唐され「空海、大唐より還る時、数、漂蕩に遭ひて、しばらく一の少願を発す。帰朝の日、必ず諸天の威光を増益し、国界を擁護し、衆生を利済せむが為に一の禅院を建立し、法に依って修行せしめむ。(入定の処を請ふ上表 . . . 本文を読む
「日日影向文」です。「卜居於高野樹下 (居を高野の樹下に卜し)遊神於兜卒雲上 (神を兜卒の雲上に遊ばしむ)不闕日日之影向 (日々の影向を闕かさず)検知處處之遺跡 (處々の遺跡を検知す)(「大師は高野山奥の院に身を留め、兜卒天にいながら毎日欠かすことなく大師所縁の遺跡に影向し信不信を検知す」)高野山の大門にこの後半の偈が興教大師の筆で書かれています。右側が「不闕日日之影向」、左側が「検知處々之遺跡」 . . . 本文を読む
二十一日は、お大師様、無尽意菩薩、准提観音菩薩、八王子権現、野槌と句々廼馳の日。・無尽意菩薩(「三十日秘仏」)。三十日秘仏では21日は無尽意菩薩の日になっています。「大品にはすなわち無尽なりと明かす、大集経には八十無尽門を明かす。(無尽意は無量慧、無尽慧菩薩とも訳される。賢劫十六尊の一尊で、金剛界曼荼羅三摩耶会等の外壇北方五尊のうち西側に配される。娑婆世界にあって無尽無余の衆生を救うという誓願をた . . . 本文を読む
今日は奥の院で正御影供です。以下高野山のホームページです。「3月21日はお大師さまが御入定(ごにゅうじょう)された日です。高野山では、毎年新暦と旧暦の3月21日に『御影供』と称し、全山住職をあげてお大師さまに報恩を捧げます。この日にはお大師さまの身代わりとして1年間にわたり高野山の重要な法会の御導師をお勤めになる「法印御房」が御出仕なされ、信者の方も大勢参列し非常に華やかな法会となります。御影供は . . . 本文を読む
弘法大師御詠歌第一番「ありがたや 高野の山の岩かげに 大師はいまだ在しますなる」弘法大師御詠歌第二番「高野山結ぶ庵に袖くちて こけの下にぞ 有明の月」弘法大師御詠歌第三番「阿字の子が阿字の古里 立ちいでて また立ちかえる阿字の古里」 . . . 本文を読む
「光明真言式 毎年三月廿日夜 初夜座 所用也」 「知道上人(弘安年間の人・元中院中将と称す。遁世して東山白毫寺に住す。東寺流の明匠。著は他に「好夢十因」「病中用心鈔」「仏法夢物語」「不生鈔」「光明真言式」等)撰」
「先,総礼 我此道場如帝珠 十方諸仏影現中 我身影現諸仏前 頭面接足帰命礼
南無十方一切常住三宝
敬って、光明遍照大日如来・四方四智諸薄伽梵・光明真言甚深秘蔵五十字義 . . . 本文を読む