ヒヨコ・イン・ザ・ワールド

Fukunosukeとhiyokoのlifelog。

光と陰、善と悪、白と黒

2006-10-10 12:36:06 | その他
月曜日、水墨画教室の関川都先生(おじ様です)の展覧会のオープニングパーティに顔を
出しました。場所は六本木交差点すぐの金鳳堂ギャラリー(眼鏡の金鳳堂の2階)です。


沢山の人が訪れていて大盛況。シャンパンを片手に、先生の絵を鑑賞。
  ※ ちなみに、先生は本来モダンアートの美術家。全て着彩画です。


絵として素晴らしいものは他にあったのですが、僕にとって、とても印象深かったのが
この絵です。
*ちなみに、右の方に書いてある英語の散文(詩)は、CWニコルさんの筆。


森の奥に、日の光が差し込む空間がある。この絵からは、その「光」の強さ、温度、
空気感まで、とてもよく感じることができます。

先生はよくこう言われます。「光には色がない。だから光を描こうとすれば、陰を描く
事になる。“白”という色にしても、白い色を描こうとして、白い絵の具をただ塗った
んじゃダメだ。周辺の色を対比させないと、白が白にならない。だから、周囲の色が深く
濃いほど、白い色は白くなっていく。」

うーん、まさにその通り。勉強になりました。


僕がはじめた水墨画は、黒一色で全てを表現する手段。それは何かと言えば、「陰を
表現すること」に他ならないのですね。「どのような陰を表現するか」ということは、
翻って「どのような光を表現したいのか」ということに。


ここまで思い巡らせて、何故かバリのことを思い出してしまいました。

バリには、「白と黒のタータンチェック柄」というのが沢山見受けられます。これは、
バリヒンドゥーでいう、「善(白)と悪(黒)」の調和の象徴を意味するそうです。
他にも、「山(神)と海(悪魔)」のように、必ず「陽」の対比として「陰」を据える。
宗教のことは全然詳しくないですが、ヒンドゥーでは、“悪”という概念を否定的に
捉えないようです。“善”の引き立て役として、“悪”を引き合いに出す。

むしろ、“悪”が無ければ、“善”は成り立たないという概念が根幹にあるみたい。
そっかー。「陰」がなければ「光」も成り立たないよな。世の中が「いい人」ばかり
だったら、“あの人はいい人ね”なんて認識の仕方はしないわけだし。

これって、絵について先生に教えられたことに一脈通じているみたいです。
なんだかすごい発見をしてしまったような気がします。

いつの間にか独り言になっていました。すみません。

あ、よかったら先生の展覧会に行ってみてください。すごくきれいな絵がいっぱい
ですよ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿