SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

育った故郷へ(その3)常盤松中学、おおたかの森

2024-02-27 | いつか来た場所

育った家の周りを散策。

知ってる表札は1,2件しか無かった。

中学校に向かってみた。

常盤松中学。

当時は坊主頭で、白い肩掛け頒布バック。

常にジャージ姿。

校舎は100%木造で、校庭には野ウサギが走り回って、チャイムが鳴ると森に消える。

大阪の千里ニュータウンから来た時はショックだった。

坊主頭は従ったが、白い肩掛け頒布バックは買わなかった。

3年生だったし。

そんな森も無くなりマンション街になっていた。

森を残した開発と言っていたが、森なんて無かった。

帰りは流山おおたかの森へ。

いつも行く紀伊国屋書店へ。巨大。

TXで秋葉原へ戻る。

しかし秋葉原は何本エスカレーターに乗るんだ。

日比谷線まで遠すぎる。

東京駅の京葉線みたいだ。

流山中央病院は巨大化していた。

ここも森だった。

 

 

 

 

 

 

 

以前は左の建物ができたばかりだったが、巨大化して渡り廊下で繋がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

CAC化粧品の本社らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

この美容院に通ってたのだ。

当時は店主がカンムリワシのようなパーマの人だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

中学に向かって歩く。

昔はここにバスは走って無かった。

それも東武バスで無く京成バス!

初石駅入口とあるが、すごく駅まで遠いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卒業した流山市立常盤松中学。

先日母親が亡くなって、家の片づけをしていたら、担任の立石義男先生(理科)からの母親あての卒業挨拶の手紙が出てきた。

両国高校から千葉大に行った先生だったな。

素晴らしい先生で、教育委員会に引っ張られていってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その立石義男先生はいつもアコギを教室に置いていて、放課後はよくみんなでフォークソングを歌った。

かぐや姫も歌ったが、主に高田渡や、岡林信康が多かった。

ちょっと反戦の匂いの残る先生だったかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野田線の踏切を渡らないと駅に行けない構造。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅の跨線橋から見た様子。

ここが整備されて、駅の東口になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8000系が大活躍。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅の改修の案内。

 

 

 

 

 

 

 

 

この改札は無くなる。

乗客数は18,000人ぐらい。

昔は2万数千人居たが、どんどん減っているそうだ。

ここも車文化になったかな。

もしくは老齢化だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ときたま10030型 50番台も来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣駅が流山おおたかの森だから、初石は便利だ。

東武野田線は58,000人の乗降客があり、TVは80,000人弱である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋葉原駅。

TXは3セクだが、JRの資本はまったく入っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流山おおたかの森とほぼ同じ乗降客がある。

 

 

 

 

 

α7c、FE4-5.6/28-60

 

 



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