育った家の周りを散策。
知ってる表札は1,2件しか無かった。
中学校に向かってみた。
常盤松中学。
当時は坊主頭で、白い肩掛け頒布バック。
常にジャージ姿。
校舎は100%木造で、校庭には野ウサギが走り回って、チャイムが鳴ると森に消える。
大阪の千里ニュータウンから来た時はショックだった。
坊主頭は従ったが、白い肩掛け頒布バックは買わなかった。
3年生だったし。
そんな森も無くなりマンション街になっていた。
森を残した開発と言っていたが、森なんて無かった。
帰りは流山おおたかの森へ。
いつも行く紀伊国屋書店へ。巨大。
TXで秋葉原へ戻る。
しかし秋葉原は何本エスカレーターに乗るんだ。
日比谷線まで遠すぎる。
東京駅の京葉線みたいだ。
流山中央病院は巨大化していた。
ここも森だった。
以前は左の建物ができたばかりだったが、巨大化して渡り廊下で繋がっていた。
CAC化粧品の本社らしい。
この美容院に通ってたのだ。
当時は店主がカンムリワシのようなパーマの人だったのだ。
中学に向かって歩く。
昔はここにバスは走って無かった。
それも東武バスで無く京成バス!
初石駅入口とあるが、すごく駅まで遠いのだが。
卒業した流山市立常盤松中学。
先日母親が亡くなって、家の片づけをしていたら、担任の立石義男先生(理科)からの母親あての卒業挨拶の手紙が出てきた。
両国高校から千葉大に行った先生だったな。
素晴らしい先生で、教育委員会に引っ張られていってしまった。
その立石義男先生はいつもアコギを教室に置いていて、放課後はよくみんなでフォークソングを歌った。
かぐや姫も歌ったが、主に高田渡や、岡林信康が多かった。
ちょっと反戦の匂いの残る先生だったかな。
野田線の踏切を渡らないと駅に行けない構造。
駅の跨線橋から見た様子。
ここが整備されて、駅の東口になるのだ。
8000系が大活躍。
駅の改修の案内。
この改札は無くなる。
乗客数は18,000人ぐらい。
昔は2万数千人居たが、どんどん減っているそうだ。
ここも車文化になったかな。
もしくは老齢化だ。
ときたま10030型 50番台も来る。
隣駅が流山おおたかの森だから、初石は便利だ。
東武野田線は58,000人の乗降客があり、TVは80,000人弱である。
秋葉原駅。
TXは3セクだが、JRの資本はまったく入っていない。
流山おおたかの森とほぼ同じ乗降客がある。
α7c、FE4-5.6/28-60