阪大を柴原側から石橋側に抜けて、石橋阪大前から箕面線で終点まで行く。
箕面は昔、本当によく行った。
小学校の時に大阪府のレインジャー部隊という、少年少女向けの大阪府のボーイスカウトみたいな団体に参加していて、
箕面の山を登りながら掃除などしていたのだ。毎週末だっけかな。
北千里から歩いたんだなあ。
考えたらそれだけでも遠いけれど。
箕面は東京で言うと高尾山みたいな場所で、明治の森国定公園としても高尾山と同じ。
猿がたくさん居て、人間の持つ食べ物を奪いに来てた記憶がある。
今は人馴れした猿を山へ移動させる取り組みが進行中でそれなりの成果があるそうで、
昔のようにそこら中に猿が居るということではないらしい。
箕面から戻って、川西能勢口まで宝塚線で行き、再度、能勢電に乗って、今回は終点の妙見口まで行った。
4種類のカラーリングにも会えた。
日生ニュータウンまでは行けなかった。
箕面線の5100系。
長男は石橋阪大前の家から箕面まで早朝に走るらしい。
昨年から駅名が変わった。
京都河原町と大阪梅田駅と同時に3駅で替えたのだ。
それは読了した「関西人はなぜ阪急を別格だと思うか/ 伊原 薫」にも書いてあったのだが、
行先表示幕が多くがLEDに変わったからできたのだそうだ。(区間車の固定幕は除く)
これが幕車であれば数年の手間とコストがかかるのだそうだ。
雲雀丘花屋敷行きが多いのは、そこに宝塚線の車庫があるからなのだ。
箕面行きの5100系。
この線は阪急発祥の路線。
最初は箕面有馬電気軌道でスタートしたのが阪急。
結局、有馬へは行けなかったのだが、箕面には行った。
箕面駅は折り返しで無く、降車ホームと乗車ホームを持つテニスラケットのようなループ線で開業している。
ヘッドマークは「すみっコぐらし」。
終点の箕面。
運転手さんが駅員さんに手渡すのは石橋から持ってきた蛍光灯。
由緒正しき箕面駅。
次に、川西能勢口まで行く。
池田駅は立派。
川西能勢口から妙見口へ。
能勢電は昔から阪急の中古を使う。
阪急の子会社。
山下駅。
左は日生中央に行く2両編成。
能勢電1700系は元阪急2000系。
2000系の残存車は貴重だ。
阪急2000系は「人工頭脳電車」や「オートカー」と言われていた。
1960年デビューで、阪急の車両で初の回生制動と定速運転制御を装備した高性能車。
第1回ローレル賞受賞車。
笹部駅は乗降客125人のローカル駅。
能勢電で最も乗降客が少ない駅。
光風台駅は列車交換ができる駅。
5100系5124Fはツートン。
終点、妙見口。
ここも昔、山に登った記憶がある。
登山口の様相。
静かな駅。
素晴らしい佇まい。
光風台まではそれなりに乗車があるが、妙見口は急に人が減る。
観光客の駅という感じだ。
(つづく)
SONY α7Ⅱ、FE3.5-5.6/28-70 OSS
AF4.5-5.6/75-300mm(LA-EA4経由)
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