妹夫婦の家に再訪し、黒プーのレディとまつぶし緑の丘公園に行き、
母親も一緒に昼食し、妹に駅まで送ってもらう。
春日部から東武野田線で南下、流山おおたかの森で下車し、街の発達過程を視察して、
つくばエクスプレスで帰る。
日比谷線は70090型だった。嬉しい。
会社の人も住む、南桜井。
だから多めに撮るw。
駅の向こう側のカーブがなんだか不思議なんである。
途中まで複線にしたから変なカーブになってるのかな。
一度、左に振ってから右カーブなのだ。
しばらく複線で江戸川橋梁の手前から単線になって、江戸川を渡る。
この合流地点までの800mは南桜井駅構内の扱い。
ということは踏切は構内踏切?!?!
愛宕駅手前から新しい高架区間。
そのまま高架で野田市駅までいき、梅郷の手前で地上へ降りる。
しかし、この高架は単線で作られたのだ。
将来的には複線化も可能な設計だそうな。
愛宕駅で8000系とすれ違う。
何せ単線だから交換である。
野田市駅。
観覧車は清水公園ではなく、もりの遊園地という場所。
入場は無料の子ども公園なのだが観覧車が大きい。
野田市から高架を降りて梅郷に向かう。
梅郷駅は場内を900m広げて複線化している。
南桜井の反対側版。
梅郷駅から南側は再び単線になり運河駅へ。
運河から先は複線化されている。
運河駅。
江戸川台駅から初石駅を望む。
ここは大昔から複線化されていた。
15歳から29歳までここに住んで居た。
青春は初石だw。
近年は乗降客がお隣の流山おおたかの森に奪われているらしい。
減少傾向だそうな。
左端にも線路があって、臨時列車が停泊していた。
5700系の修学旅行用などで柏駅に停泊できない電車が初石に居たのだった。
写真は見つからない。
高校生の頃は野田線は貨物列車が走っていた。
3000系吊りかけ車の天下だった。
その後、5000系散りかけ車に変わった。
現在の流山おおたかの森。
住みたい街ナンバー1になることが多くなってしまった町。
確かに素晴らしい。
昔は本当に大きな大きな森だったのだ。
中学校は全部木造で、校庭には野ウサギが走り回り、上空にはオオタカが飛んでいた。
カッコウの鳴き声も印象的で、田圃にはホタルが居たのだった。
すっかり近代的になって驚くばかりだが、
あの大きな森も捨てがたかった。
昔は東京の別荘地でもあったのだ。
近くには旧日光街道があるのであった。
ドライブ・マイ・カーの濱口 竜介監督は、東葛高校(柏)の後輩で、
中学校は流山だったそうで、ドライブ・マイ・カーの撮影には、この流山おおたかの森も使われたそうだ。
記念切符がまだあった。
TXの快速で帰った。
130km/h運転は爽快であっという間に北千住であった。
北千住からの日比谷線は70090型で、シートはこれだった。
(おわり)
α7c、タムロン 70-300mmF/4.5-6.3 Di Ⅲ RXD (A047)、FE4-5.6/28-60
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