日々の恐怖 4月12日 井戸の底(1)
昔、不思議な体験をしたので話します。
もうだいぶ前のことになりますが、当時私は金属加工の小さな工場を経営していて、折からの不況もあってその経営に行き詰まっていました。
そしてお恥ずかしい話ですが、自殺を考えたのです。
もう子供たちは成人しておりましたし、負債は生命保険で何とかできると思われる額でした。
今にして思えば何とでも道はあったのですが、精神的に追い詰められるとはあのことでしょう。
その時は、それしか考えられなくなっていました。
五月の連休の期間に、家族には告げずに郷里に帰りました。
郷里といってももう実家は存在していなかったのですが、自分が子供の頃に遊んだ山河は残っていました。
この帰郷の目的は、裏山にある古い神社に、
「 これから死にます。」
という報告をしようと思ったことです。
昔檀家だった寺もあったのですが、住職やその家族に会って現況をあれこれ聞かれるのが嫌で、そこに行くことは考えませんでした。
神社に行くまで少し坂を上りますので、鳥居をくぐったときにはだいぶ汗ばんでいました。
この神社は村の氏神のようなものですが、過疎化の進んだ昨今は常駐する神主もおりません。
例祭のとき以外にはめったにお参りする人もいないような所です。
大きな石に山水をひいた手水鉢で手を清めようとして、ふとその底をのぞき込んだときに、くらくらと目眩がして、水に頭から突っ込んでしまいました。
深さは五十センチ程度だったと思うのですが、私の体はストーンとそのまま手水鉢の中に落ち込んでしまいました。
そしてかなりの高さを落ちていった気がします。
私は、
” バシャッ!”
と音をたてて、井戸の底のような所に落ち込みました。
ショックはあったのですが、そのわりには体に痛いところはありませんでした。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ