『登米物語』の編集が終わり、やっと印刷所の平河工業社に渡して、ほっとしている。おそらく今週末には刷りだし、見本が出るであろう。
「第1章」とよまの昔話、「第2章」登米の歴史、「第3章」登米の観光、の3章立てにした。読者が取り付きやすいようにと思ってのことである。また、そのため絵と写真をふんだんに入れた。写真や絵は、気に入らないと、なんども撮り直し、描き直しをしたものだ。
「第1章」とよまの昔話
登米に伝わるキツネやタヌキと登米の人々が交歓する昔話の中から、ほのぼのとした温かいながらもおそろしい5話を選び、それに大澤和泉さんの絵を添えて、各話にわたしの創作部分も少し加え、標準語と、登米弁を交えて、分かりやすい文章で日本中の人に読んでもらえるように工夫した。
「第2章」登米の歴史
「とよま」という読みの由来から書き起こし、明治維新の混乱期まで、あたれる資料を手当り次第に見たので、これだけで1年かかってしまった。中央政府の政治史は沢山書かれているが、登米のような一地方の歴史が書き残されているのは、登米伊達以降のことだ。
「第3章」登米の観光
町起こしの基幹部分であり、大半は、『登米町誌』を参考にした。これも、前後の記述が違っていたりしたため、その整合性を調べるのに手間取った。特に和風と洋風の建築の専門用語が多いので『登米町誌』の著者たちの苦労のほどが伺われた。登米市に属する建物の観光案内の説明は出来たが、登米にはいまだに相当数の武家屋敷が残っているにもかかわらず、自分の家については書いてくれるなという人が多く、掲載許可書を提出して許可されたものだけを本書では扱っている。現に居住しているのだから、見物のため家の内外をうろうろされては困るのだ。丁度修復が竣工した我が古屋を観光に提供することを思いつき、自宅故、それについての説明が結果的に詳しくなった嫌いがある。
「第1章」とよまの昔話、「第2章」登米の歴史、「第3章」登米の観光、の3章立てにした。読者が取り付きやすいようにと思ってのことである。また、そのため絵と写真をふんだんに入れた。写真や絵は、気に入らないと、なんども撮り直し、描き直しをしたものだ。
「第1章」とよまの昔話
登米に伝わるキツネやタヌキと登米の人々が交歓する昔話の中から、ほのぼのとした温かいながらもおそろしい5話を選び、それに大澤和泉さんの絵を添えて、各話にわたしの創作部分も少し加え、標準語と、登米弁を交えて、分かりやすい文章で日本中の人に読んでもらえるように工夫した。
「第2章」登米の歴史
「とよま」という読みの由来から書き起こし、明治維新の混乱期まで、あたれる資料を手当り次第に見たので、これだけで1年かかってしまった。中央政府の政治史は沢山書かれているが、登米のような一地方の歴史が書き残されているのは、登米伊達以降のことだ。
「第3章」登米の観光
町起こしの基幹部分であり、大半は、『登米町誌』を参考にした。これも、前後の記述が違っていたりしたため、その整合性を調べるのに手間取った。特に和風と洋風の建築の専門用語が多いので『登米町誌』の著者たちの苦労のほどが伺われた。登米市に属する建物の観光案内の説明は出来たが、登米にはいまだに相当数の武家屋敷が残っているにもかかわらず、自分の家については書いてくれるなという人が多く、掲載許可書を提出して許可されたものだけを本書では扱っている。現に居住しているのだから、見物のため家の内外をうろうろされては困るのだ。丁度修復が竣工した我が古屋を観光に提供することを思いつき、自宅故、それについての説明が結果的に詳しくなった嫌いがある。