登米の武家屋敷は、『登米物語』に記したように、まだ相当数残っているが、殆どが、現住建造物だから、それを『登米物語』に載せることの掲載許可書と書き上げたた説明文をそのお宅に持参して、読んでもらい、ひと月ほどしてから再訪して、それで良いか、或は書き加えたいことがあれば、資料を貰ってさらに書き加えたものだ。いくつかの文章は、理由は云われなかったが、掲載を断られ、その結果空いたところには、『芳賀邸』の文章を膨らませて載せることになった。それまでは、芳賀邸を『登米物語』に載せる考えなどなかったのだが、折角修復成った家をどうするか考えていた矢先だったので、公開することの面倒を敢えて引き受けて、登米の町起こしのための観光本『登米物語』を出版する立場としても公開することに踏みきった。最終的に余白を放置するわけにはいかないから、自分の家のことを書いた。自分の家の資料はふんだんにあるから、いくらでも書けるが、あまり書くと、「自分の家のことについてばり詳すぐ書いで」という、そしりを免れないので、ほかの武家屋敷の説明の倍くらいにとどめた。登米の観光を振興して、登米の発展に寄与したいということで、「芳賀邸」を公開することにしたが、その公開中は、そこにいなければならないということであるから、インド旅行にしょっちゅう行っている身としては、その束縛は、かなり大きくなるであろう。現住建造物で『登米物語』に載っている他の武家屋敷は、公開しているわけではないから、建物の中を見られないが、「芳賀邸」は中に入れるから、甚だ不用心でもあり、公開することに逡巡はした。そこで、年間で、公開する日を、ゴールデンウィーク中と、秋祭りの2日間の二つの期間に限定することにして、急遽作ったパンフレットにもそのようにうたった。従って、その公開中は、『芳賀邸』に張り付けられ、これからはインドには行けないことになってしまった。