芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

NHKスペシャルの「戦慄のインパール」

2017年08月18日 | Weblog
何ヵ月ぶりかで、テレビを見た。NHKスペシャルの「戦慄のインパール」である。七万か八万という兵士を投入し、牟田口廉也司令官が陣地を取るのに5000殺せという会話をしているのを若い斎藤記録係によって記録されていた。5000殺せというのは、味方を殺せという事だとのちになって分かった。これは以前にも書いたが、3週間分の食糧を持たされた兵士が、3週間で敵の陣地を取り、そのあとで、敵の食糧と武器を取って戦え、補給は一切なしである、というのが、牟田口司令官の命令であった。
事前に、インド国民軍司令官チャンドラ・ボースと打ち合わせているのだから、そもそもが補給などできない山地であることは分かっていての蛮行である。このインパール作戦に参加したインド国民軍の大半も戦死している。
そのチャンドラ・ボースは英国のスパイだったことが分かっている。日本側も、満州はスパイ天国であった。
盧溝橋事件を起こした河辺と牟田口が計画し、すべての計画が英国に筒抜けになっていたのである。仮にスパイでなかったとしても、インパール作戦を誘導されたのだ。番組で、戦死者数を3万としているが、無責任極まりない司令官も参謀たちも参戦者数も戦死者数もあいまいにしたまま責任を逃れ戦後を生き延びた。明治維新とは、無責任体制を築いただけだ。スパイは切腹をしないものかも。
以上は、大体、『怖るべし東インド会社ーーユダヤとインドとニッポンと』に書いていることだ。