2011/04/20
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>さんぽ(1)街歩き、池袋
4月18日は、K子さんの自宅へ遊びにいきました。K子さんとは、40年前、ドイツ語クラスで出会いました。
地震の片付けで出てきた古い手紙の束。40年前に母に出した手紙の中、「K子さんとドイツ語の試験勉強をするから、次の日曜日は家に帰らない」などと書いてあり、手紙で見る限りは、私はまともに勉強をしていたのです。最初の大学生活は、学生闘争の時代で、3年間は学生ストライキが続きキャンパスはロックアウト。勉強することなどなかった、という記憶が残っているので、「友だちと勉強」なんて書いてあっても、ほんとに勉強したのかな、それとも日曜日に家に帰らないことの言い訳かな、なんて、疑ってしまいます。
当時は、姉とふたりで阿佐ヶ谷にアパートを借りて住んでいましたが、母は都会に出した娘ふたりの暮らしを毎日案じていました。
卒業後、私は中学校国語科教員、K子さんは上級職国家公務員になりました。私は3年で退職してしまい、現在は非常勤の不安定な身分ですが、K子さんは定年退職まで頑張りました。年金生活に入ったK子さん、仕事がないと、どうしても体を動かすことが不足するというので、今はいっしょにジャズダンスサークルで体力維持をはかっています。
K子さんのマンションを初めて訪問しました。山手線の最寄り駅から徒歩5分ほどのところにある静かな住宅街で、ベランダからは高層ビルも見える立地です。マンション前の通りには、米屋酒屋中華料理屋豆腐屋など、ご近所コミュニティの中心になるようなお店もあり、便利です。
お部屋は2LDKでゆったりしており、2DKをゴミ箱同然にしてごちゃごちゃに住んでいる私から見たら夢のような快適空間。精神的ゆとりというのは、このようなすっきり片付いた部屋でゆったり読書ができる時空から生まれるのであろうと、たちまちいつものうらやましがりが出てきました。
しかしながら、40年前、私もK子さんも、田舎から上京して東京暮らしを始めたときは、同じような3畳のアパート4畳半のアパートに暮らしていたのです。ええい、これはその後の努力の差である!と、キャリアをきっちり築いてきたK子さんのお城をながめました。書棚には演劇関係の本や画集。
「あなたも、がんばってきたじゃないの」と、K子さんはなぐさめてくれるのですが、がんばってみたものの「働けど働けど、じっと手ばかり見る」ワークングプア生活ですもの、情けない。
K子さんはお昼ご飯に、手早くパエリアを作ってくれました。「毎回作るたびにレシピが変わって、今回は今回の味」というところは私の料理といっしょですが、趣味のよいテーブルウエア、しゃれた器にサラダやお豆の煮物がならんだテーブルは、うちとは大違い。地震で食器は寝転がったけれど、割れたり欠けたりはしなかった」というのは、耐震不足だったわが家とは大違い。もっとも、わが家の割れた食器類、ほとんど百円ショップ食器です。地震がなくてもすぐ割っちゃうので。
パエリアも「手作りニシン酢漬け」や鰯南蛮漬けがたっぷり入ったサラダも、とてもおいしかった。
作りながら食べながらのおしゃべりで、「ねぇ、私が母に書いた手紙に、しきりにK子さんといっしょにドイツ語勉強したとか英語を勉強したって書いてあったんだけど、私たちそんなにいっしょに勉強したっけ?」と訊ねてみたら、「さあ、いっしょにお芝居見に出かけたり、神代植物園へ行ったりしたのは覚えているけれど、勉強なんてしたかしら」と、K子さんにも覚えがない。やはりあれは、「帰省しない言い訳」だったのか。
K子さんは卒論もヘーゲルだし、その後もドイツ旅行をしたりドイツ語勉強を続けているのですが、私は「イッヒリーベデッヒ」と「デルデスデムデンディーデルデルディーダスデスデムダスディーデルデンディー」という定冠詞暗記の呪文を覚えているだけ。う~ん、ここにも努力の差があるなあ。
夕方、K子さんのお宅を辞しました。帰りのバスを待つ間、駅前で用足し。都内あちこちにある県物産のアンテナショップで、スーパーの食品棚などにはない地方独特のものを買うのが好きです。宮城のアンテナショップは池袋駅前にあり、池袋を通過するときは宮城ふるさとプラザに寄ることにしてきました。今回は、東北応援ショッピングのつもりなので、漁師アトムさんのふるさとを思って、南三陸産の「牡蠣のスモーク」100g1260円というのと、烏賊の塩辛100g1050円というのを買いました。私が普段食べている牡蠣や塩辛に比べるとグンと高級品で、いつもはそうそう買わない値段なのですが、今回は「買うことも東北の応援」と思って奮発。レジ前は、いつもより長い客の列。お客さんたちも、「買い物で応援」の気分だったのだろうと思います。
がんばれ東北!
がんばれワーキングプアの私!
<つづく>
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2011年04月22日
ぽかぽか春庭「街歩き、錦糸町」
2011/04/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>さんぽ(2)街歩き、錦糸町
21日は、昼の発表で原発半径20キロ圏は警戒区域立ち入り禁止と発表されたし、夜10時半すぎ、関東地方にはまた強い地震がありました。落ち着きたいとは思うのですが、余震が続き、なかなか落ち着いた気分になれません。
香山リカの「こころの復興」によると「今、ここで自分自身を支えることが、被災地の復興につながると思って、日常をしっかりすごす」「ときには怠けたり、ときには楽しいことをして、心を解放する」ことが大切だそうです。
いつになったら平常心をとりもどせるのかわかりませんが、まずは、心落ち着かせようと、人との出会いを図っています。
私にとって一番不得手だった「人と話をする」ということ、今でも世間との交わりの上で苦手のひとつであることは変わりませんが、気の置けない少数の友だちとなら話ができるようになったのは、年の功といえましょう。ダンス仲間のミサイルママや、40年前からのおつきあいのK子さん、2番目の大学の同窓生でネットをきっかけとして知り合ったA子さん。何気ないおしゃべりができる数少ない友で、私には貴重なおつきあいです。
4月17日、心の復興のひとつとして、A子さんといっしょにコンサートに出かけました。これまで「美術館散歩とおしゃべり」「花見とおしゃべり」などを楽しんできましたが、今回のコンセプトは「オーケストラ鑑賞とおしゃべり」です。
自粛ムードの中、ひとりで楽しむのだったら、なんとなく心が萎縮してしまったかも知れないのですが、地震のため中止してしまったA子さんとの約束を果たすため、ということで心振り立てて出かけることができました。まだ余震が続く中、ちょっと恐くもありましたが、春休み中に「会いましょう」と日を決めていたのに、「部屋の中、本が散乱したのが片付かないから」と、こちらの都合でお断りしてしまい、約束を反故にして悪かったと思っていたのです。
錦糸町駅の日曜日。錦糸公園はフリーマーケットで賑わっていました。古着やアクセサリーなどを売る人が店を並べています。ホームレスの人が、ベンチでのんびりすごしています。もう花が散ってしまったけれど、桜の木の下にシートを広げ、お弁当を食べているグループ。それぞれの人々がそれぞれの日常を繰り広げているようす、のんびりした日常はありがたいものだと心から思います。
日差しは4月の平均より強く、暑いくらいです。私は公園を横切って、スポーツセンターの中にあるレストランへ。A子さんと食事をしながらおしゃべりしました。
私は息子が大学院に入り、学生スタッフとして大学事務アルバイトを始めたので、やれやれ子育て卒業、の気分、A子さんは息子さんが念願の「スポーツ選手として活躍できる高校」に入学できて、「あとは本人のやる気次第」のところまで子育て推進、という境遇になり、おしゃべり会をしよう、ということになっていたのでした。A子さんのむすこさんが楽しそうに高校生活をはじめているようす、翻訳をしてみたい作品の話などうかがい、私も意欲をお裾分けしてもらいました。
おしゃべりの後は、久しぶりにオーケストラコンサートを楽しみました。定期演奏会の無料入場ハガキをもらっている東京楽友協会交響楽団。アマチュアオーケストラですが、私がこれまでに聞いたどのアマチュアオケよりも実力は上。っていうか、プロのオーケストラにひけをとらない演奏技術のあるオーケストラです。定期演奏会は春秋2回ですが、昨秋は、私のジャズダンス発表会と重なって、聞きに行くことができませんでした。
1時半開演の会場トリニティホールに着いたときは、バッハ作曲シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ変ホ長調」の演奏はすでに始まっていました。一曲が終わるのを待って、席を探し、マーラーの交響曲第9番を聞きました。
9番4楽章の演奏時間は約85分で、「長い!」。
第4楽章にはマーラー自身が「ersterbend(死に絶えるように)」という演奏上の留意点をかき込んでいるという作品ですが、私はレクイエムを聞くように聞いていました。そういえば、マーラーにはレクイエムと銘打った曲はないのです。9番は、自身でこの曲を初演する前に亡くなってしまったので、もしかしたら、マーラーは、この曲が自分自身の鎮魂曲になることを知っていたのかもしれません。
追悼も鎮魂も大切なことだけれど、残された人が心を満たしながら前へ進むことも大事と感じつつ、錦糸町駅前のダイソーでちょっぴり消費生活。茶筅と茶杓を買いました。合計420円。
茶道をするための茶筅ではなく、健康飲料としての抹茶を飲むためですから、デパートや茶道具店で売っているような茶筅じゃなく、ぜったいに百円ショップの茶筅にしようと思っていました。「深蒸し茶が健康にいい」という話がNHKためしてガッテンで紹介されたのを見ていて、すり鉢で茶葉をすってから飲むという手間をかけるより、抹茶をそのまま飲んだほうが手間がかからないと思いついたのですが、震災片付けで抹茶どころではなかった。
帰宅し、スヌーピーの絵がついた小どんぶりに抹茶を入れて、お茶をたてました。おいしい。うん、これぞ平和な日常生活。一口飲んでは余震に震え、ひとくち飲んでは警戒区域拡大に怯える。
落ち着きを取り戻すのはいつになることでしょうか。
<つづく>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>さんぽ(1)街歩き、池袋
4月18日は、K子さんの自宅へ遊びにいきました。K子さんとは、40年前、ドイツ語クラスで出会いました。
地震の片付けで出てきた古い手紙の束。40年前に母に出した手紙の中、「K子さんとドイツ語の試験勉強をするから、次の日曜日は家に帰らない」などと書いてあり、手紙で見る限りは、私はまともに勉強をしていたのです。最初の大学生活は、学生闘争の時代で、3年間は学生ストライキが続きキャンパスはロックアウト。勉強することなどなかった、という記憶が残っているので、「友だちと勉強」なんて書いてあっても、ほんとに勉強したのかな、それとも日曜日に家に帰らないことの言い訳かな、なんて、疑ってしまいます。
当時は、姉とふたりで阿佐ヶ谷にアパートを借りて住んでいましたが、母は都会に出した娘ふたりの暮らしを毎日案じていました。
卒業後、私は中学校国語科教員、K子さんは上級職国家公務員になりました。私は3年で退職してしまい、現在は非常勤の不安定な身分ですが、K子さんは定年退職まで頑張りました。年金生活に入ったK子さん、仕事がないと、どうしても体を動かすことが不足するというので、今はいっしょにジャズダンスサークルで体力維持をはかっています。
K子さんのマンションを初めて訪問しました。山手線の最寄り駅から徒歩5分ほどのところにある静かな住宅街で、ベランダからは高層ビルも見える立地です。マンション前の通りには、米屋酒屋中華料理屋豆腐屋など、ご近所コミュニティの中心になるようなお店もあり、便利です。
お部屋は2LDKでゆったりしており、2DKをゴミ箱同然にしてごちゃごちゃに住んでいる私から見たら夢のような快適空間。精神的ゆとりというのは、このようなすっきり片付いた部屋でゆったり読書ができる時空から生まれるのであろうと、たちまちいつものうらやましがりが出てきました。
しかしながら、40年前、私もK子さんも、田舎から上京して東京暮らしを始めたときは、同じような3畳のアパート4畳半のアパートに暮らしていたのです。ええい、これはその後の努力の差である!と、キャリアをきっちり築いてきたK子さんのお城をながめました。書棚には演劇関係の本や画集。
「あなたも、がんばってきたじゃないの」と、K子さんはなぐさめてくれるのですが、がんばってみたものの「働けど働けど、じっと手ばかり見る」ワークングプア生活ですもの、情けない。
K子さんはお昼ご飯に、手早くパエリアを作ってくれました。「毎回作るたびにレシピが変わって、今回は今回の味」というところは私の料理といっしょですが、趣味のよいテーブルウエア、しゃれた器にサラダやお豆の煮物がならんだテーブルは、うちとは大違い。地震で食器は寝転がったけれど、割れたり欠けたりはしなかった」というのは、耐震不足だったわが家とは大違い。もっとも、わが家の割れた食器類、ほとんど百円ショップ食器です。地震がなくてもすぐ割っちゃうので。
パエリアも「手作りニシン酢漬け」や鰯南蛮漬けがたっぷり入ったサラダも、とてもおいしかった。
作りながら食べながらのおしゃべりで、「ねぇ、私が母に書いた手紙に、しきりにK子さんといっしょにドイツ語勉強したとか英語を勉強したって書いてあったんだけど、私たちそんなにいっしょに勉強したっけ?」と訊ねてみたら、「さあ、いっしょにお芝居見に出かけたり、神代植物園へ行ったりしたのは覚えているけれど、勉強なんてしたかしら」と、K子さんにも覚えがない。やはりあれは、「帰省しない言い訳」だったのか。
K子さんは卒論もヘーゲルだし、その後もドイツ旅行をしたりドイツ語勉強を続けているのですが、私は「イッヒリーベデッヒ」と「デルデスデムデンディーデルデルディーダスデスデムダスディーデルデンディー」という定冠詞暗記の呪文を覚えているだけ。う~ん、ここにも努力の差があるなあ。
夕方、K子さんのお宅を辞しました。帰りのバスを待つ間、駅前で用足し。都内あちこちにある県物産のアンテナショップで、スーパーの食品棚などにはない地方独特のものを買うのが好きです。宮城のアンテナショップは池袋駅前にあり、池袋を通過するときは宮城ふるさとプラザに寄ることにしてきました。今回は、東北応援ショッピングのつもりなので、漁師アトムさんのふるさとを思って、南三陸産の「牡蠣のスモーク」100g1260円というのと、烏賊の塩辛100g1050円というのを買いました。私が普段食べている牡蠣や塩辛に比べるとグンと高級品で、いつもはそうそう買わない値段なのですが、今回は「買うことも東北の応援」と思って奮発。レジ前は、いつもより長い客の列。お客さんたちも、「買い物で応援」の気分だったのだろうと思います。
がんばれ東北!
がんばれワーキングプアの私!
<つづく>
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2011年04月22日
ぽかぽか春庭「街歩き、錦糸町」
2011/04/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>さんぽ(2)街歩き、錦糸町
21日は、昼の発表で原発半径20キロ圏は警戒区域立ち入り禁止と発表されたし、夜10時半すぎ、関東地方にはまた強い地震がありました。落ち着きたいとは思うのですが、余震が続き、なかなか落ち着いた気分になれません。
香山リカの「こころの復興」によると「今、ここで自分自身を支えることが、被災地の復興につながると思って、日常をしっかりすごす」「ときには怠けたり、ときには楽しいことをして、心を解放する」ことが大切だそうです。
いつになったら平常心をとりもどせるのかわかりませんが、まずは、心落ち着かせようと、人との出会いを図っています。
私にとって一番不得手だった「人と話をする」ということ、今でも世間との交わりの上で苦手のひとつであることは変わりませんが、気の置けない少数の友だちとなら話ができるようになったのは、年の功といえましょう。ダンス仲間のミサイルママや、40年前からのおつきあいのK子さん、2番目の大学の同窓生でネットをきっかけとして知り合ったA子さん。何気ないおしゃべりができる数少ない友で、私には貴重なおつきあいです。
4月17日、心の復興のひとつとして、A子さんといっしょにコンサートに出かけました。これまで「美術館散歩とおしゃべり」「花見とおしゃべり」などを楽しんできましたが、今回のコンセプトは「オーケストラ鑑賞とおしゃべり」です。
自粛ムードの中、ひとりで楽しむのだったら、なんとなく心が萎縮してしまったかも知れないのですが、地震のため中止してしまったA子さんとの約束を果たすため、ということで心振り立てて出かけることができました。まだ余震が続く中、ちょっと恐くもありましたが、春休み中に「会いましょう」と日を決めていたのに、「部屋の中、本が散乱したのが片付かないから」と、こちらの都合でお断りしてしまい、約束を反故にして悪かったと思っていたのです。
錦糸町駅の日曜日。錦糸公園はフリーマーケットで賑わっていました。古着やアクセサリーなどを売る人が店を並べています。ホームレスの人が、ベンチでのんびりすごしています。もう花が散ってしまったけれど、桜の木の下にシートを広げ、お弁当を食べているグループ。それぞれの人々がそれぞれの日常を繰り広げているようす、のんびりした日常はありがたいものだと心から思います。
日差しは4月の平均より強く、暑いくらいです。私は公園を横切って、スポーツセンターの中にあるレストランへ。A子さんと食事をしながらおしゃべりしました。
私は息子が大学院に入り、学生スタッフとして大学事務アルバイトを始めたので、やれやれ子育て卒業、の気分、A子さんは息子さんが念願の「スポーツ選手として活躍できる高校」に入学できて、「あとは本人のやる気次第」のところまで子育て推進、という境遇になり、おしゃべり会をしよう、ということになっていたのでした。A子さんのむすこさんが楽しそうに高校生活をはじめているようす、翻訳をしてみたい作品の話などうかがい、私も意欲をお裾分けしてもらいました。
おしゃべりの後は、久しぶりにオーケストラコンサートを楽しみました。定期演奏会の無料入場ハガキをもらっている東京楽友協会交響楽団。アマチュアオーケストラですが、私がこれまでに聞いたどのアマチュアオケよりも実力は上。っていうか、プロのオーケストラにひけをとらない演奏技術のあるオーケストラです。定期演奏会は春秋2回ですが、昨秋は、私のジャズダンス発表会と重なって、聞きに行くことができませんでした。
1時半開演の会場トリニティホールに着いたときは、バッハ作曲シェーンベルク編曲「前奏曲とフーガ変ホ長調」の演奏はすでに始まっていました。一曲が終わるのを待って、席を探し、マーラーの交響曲第9番を聞きました。
9番4楽章の演奏時間は約85分で、「長い!」。
第4楽章にはマーラー自身が「ersterbend(死に絶えるように)」という演奏上の留意点をかき込んでいるという作品ですが、私はレクイエムを聞くように聞いていました。そういえば、マーラーにはレクイエムと銘打った曲はないのです。9番は、自身でこの曲を初演する前に亡くなってしまったので、もしかしたら、マーラーは、この曲が自分自身の鎮魂曲になることを知っていたのかもしれません。
追悼も鎮魂も大切なことだけれど、残された人が心を満たしながら前へ進むことも大事と感じつつ、錦糸町駅前のダイソーでちょっぴり消費生活。茶筅と茶杓を買いました。合計420円。
茶道をするための茶筅ではなく、健康飲料としての抹茶を飲むためですから、デパートや茶道具店で売っているような茶筅じゃなく、ぜったいに百円ショップの茶筅にしようと思っていました。「深蒸し茶が健康にいい」という話がNHKためしてガッテンで紹介されたのを見ていて、すり鉢で茶葉をすってから飲むという手間をかけるより、抹茶をそのまま飲んだほうが手間がかからないと思いついたのですが、震災片付けで抹茶どころではなかった。
帰宅し、スヌーピーの絵がついた小どんぶりに抹茶を入れて、お茶をたてました。おいしい。うん、これぞ平和な日常生活。一口飲んでは余震に震え、ひとくち飲んでは警戒区域拡大に怯える。
落ち着きを取り戻すのはいつになることでしょうか。
<つづく>