2011/03/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(1)中華街から山下公園へ
姑86歳の誕生日を中華街の食事で祝ったあと、娘の希望で横浜散歩をしました。私と娘は食いしん坊なので中華街には来ているけれど、横浜の中を歩くのは久しぶりです。姑は「子供達(夫と夫の姉)がこどものころに連れてきて以来」というので、50年ぶりぐらい。息子は2歳くらいのとき連れて来て以来なので、まったく覚えておらず、初めての横浜散歩です。
立春後から2月17日の春節明けまで続く春節行事の中で、13日は貴重な「お天気がいい日曜日」になりましたから、人出は最高。中華街の道路は押すな押すなの人混みでした。
姑が迷子にならないよう気遣いながら人の間を歩く。姑は、「栗の押し売りにご注意下さい」と張り紙がある前で、栗の売り子に「オネーサン、ちょっと食べてみて。焼き栗安いよ」なんて声をかけられると、「あら、ありがとう」なんて言って、律儀に栗をもらうのです。「おばあちゃん、くれるって言われても、もらわなくてもいいのよ」と、娘が注意したのですが、姑、気にせずにもらって「ほら、またもらったから食べなさいよ」と、私によこすのです。ばーちゃんパワー、押し売りをしのぐ。
善隣門からすぐ近くの媽祖廟へ。媽祖は、華僑の信仰を集める天女で、あらゆる苦難を助けるという御利益があるのだそうです。観光客も神妙に手を合わせたり、1本500円という線香を供えたりしていました。信仰心薄いわが家は、中に入るには100円だかの拝観料が必要と聞くと、「じゃ、中は見なくてもいいや」といって外側を一周しただけで、退散。
次は関帝廟へ。関帝は、娘と息子も嵌ったゲーム三国志の主人公格。三国時代の実在の武将です。姓は關(関)、名は羽、字(あざな)は雲長。
後漢末期、宮廷内部は宦官の悪政のため、飢饉と貧困の乱世となっていました。世に平和を取り戻すため、關羽・張飛・劉備の三人は義兄弟の杯をかわし、黄巾賊征伐を行いました。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が争った時代を陳寿が書いた歴史書が『三国志』。これをもとにして明代に書かれた通俗歴史小説が『三国志演義』。三国志演義の中の赤壁の戦いを描いたのが映画『レッドクリフ』です。『レッドクリフ』では、モンゴル人俳優バーサンジャブが関羽を演じました。
関羽は敵である魏の曹操からも一目置かれる武将であったことから、死後は三国志中の人物の中でも別格の存在となり、神格化されました。徳川家康が神格化されて東照大権現になったり、近代日本でも軍人東郷平八郎が東郷神社の祭神となるようなものです。中国では圧倒的に関羽に人気があり、京劇でも派手な立ち回りを演じるのですが、映画『レッドクリフ』では、知将諸葛孔明を演じた金城武のほうが目立っていました。
中華街から山下公園へ行きました。
2月11日も12日も雨とみぞれの天気、14日も雪、という寒い悪天候の続いたなか、13日の日曜日だけが好天でした。ぽかぽか陽気とまではいきませんでしたが、風もそれほどなく、日向にいれば公園のベンチに座っていても、寒くない。海辺の公園のベンチに座り、氷川丸をバックに姑86歳の記念写真を撮りました。
「赤い靴履いてた女の子」の像の前を通り、ジャグラーが大道芸をしているのをしばらく眺めました。外人さんのジャグラー、火のついたたいまつをぐるぐる回したり、素人が投げたたいまつを受け止めたり、巧みな日本語で笑いを振りまきながら、達者な大道芸を見せていました。私、大道芸大好きです。
<つづく>
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2011年03月02日
ぽかぽか春庭「赤レンガ倉庫からランドマークタワーへ」
2011/03/02
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(2)赤レンガ倉庫からランドマークタワーへ
赤レンガ倉庫街を散歩。昔の横浜港倉庫が、ショッピングモールになっています。倉庫街の外にはアイススケートリンクが設置されており、休日を楽しむ人々がスケートをしていました。
息子は紅茶が好きなので、赤レンガ倉庫街の中の紅茶ショップで休憩したそうでしたが、ケーキとセットで一杯1500円の紅茶、高いから「はい、次はランドマークタワーへ行くよ~」と、紅茶希望を無視。貧乏家庭には、一杯300円の紅茶が予算内です。
昔、汽車が走っていたところが、「汽車道」という名の遊歩道に整備されています。海風はちょっと冷たいものの、とてもいいお天気で、明治42年に建設されたという1号鉄橋、2号鉄橋を渡り、春になったら見事であろうサクラの木の間を歩きました。
汽車道の写真
http://www.natsuzora.com/may/park/kishamichi.html
ランドマークタワーの手前に、帆船日本丸が繋留されています。日本丸は1930年から1984年まで、日本の航海練習船として活躍した大型帆船です。現在は横浜みなと博物館の展示品となっており、次回、帆を張るのを見られるのは4月10日、という案内が出ていました。帆を張った勇姿を一度は見てみたい。
帆を広げた日本丸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nippon_maru_II_in_yokohama_20090720.jpg
「とりあえずその地域で一番高いところに上がってみる」というのが「高いところ好き」の行動パターンなのですが、横浜ランドマークタワーが日本で一番高い場所になって以来、一度も行ったことがありませんでした。高速エレベーター40秒で展望室へ。
ぐるりと一周し、地上275mの景色を楽しみました。
二日間雨や霙が降って、大気をきれいに掃除したあとの晴れた13日、すご~く見晴らしがよかった。今まで東京タワー、都庁展望台、サンシャイン展望台など、都内の高いところには何度も足を運んできましたが、今回のランドマークタワーが、一番きれいに景色が見えました。遠くは房総半島、三浦半島、西側には富士山が見えました。都内で見たときよりずっと大きい富士に感激。
遠くスカイツリーも見えたし、持参のオペラグラスで覗くと、都庁など新宿ビル街もよくわかりました。(百円投入する望遠鏡代を節約)
ランドマークタワー、次はいつ来られるかわからないので、こうなると、夜景も見てみたくなる。日が沈むまで30分ほどだというので、富士山が見える側にあるコーヒーショップで、お茶することにしました。私はコーヒー、息子はミルクティ。「ほら、ここの紅茶なら420円だし」と、言ったのですが、息子は「さっき飲みたかったんだ」と、赤レンガ倉庫の紅茶専門店がよかったという口ぶり。ふん、お茶代払うのは私じゃ。息子、大学から案内が来て、「入学に伴う事務処理、学生スタッフ」に登録をしました。しかし、アルバイトがあるのは、入試が終わった3月になってからだというので、今はまだ金欠状態です。4月から大学院生。学費は奨学金でなんとかするとして、自分の小遣いくらはアルバイトでまかなって貰わないと。
<つづく>
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2011年03月04日
ぽかぽか春庭「ランドマークタワー夜景」
2011/03/04
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(3)ランドマークタワー夜景
ランドマークタワー展望台から富士山が西の丹沢山系に沈んでいくのをゆっくり眺めました。日が沈むのをこのようにゆっくり眺めるのは久しぶり。ぐんぐんと沈んでいく太陽を見ると、地球の自転速度を実感できます。15分くらいで夕日は見えなくなりました。
それから、姑のおしゃべりを聞きながら、街にぽつぽつと灯りがともるのを待ちました。暗くなっても、まだ富士山の形は西の空にうっすらとわかります。
姑は「私も富士山に登ったことあるのよ。女学校のときの遠足で、今から70年も前のことだから、登山靴なんてのもなくて、わらじを編んで、それを腰にいっぱいぶら下げて登ったの」と、過ぎし日をなつかしんでいました。
姑の話の80%は昔話と親戚一同の動向話、残り20%は、健康オタクの健康話。山形の親戚のだれそれの家のなにがしが嫁に行った先の何々ちゃんがどうしたこうしたと聞かされても、誰が誰やらわからないので、「はい、はい」と、相づちを打つのみですが、話を聞いている相手がいる、ということが大事なんでしょうから、神妙に聞いています。
30分ほどで完全に暗くなり、横浜の街は100万ドルの夜景となりました。
海側は、ベイブリッジや観覧車コスモクロック21もライトアップされきれいですし、東京方面を望む側もきらきらしてる。電飾イルミネーションも満点の星空も、蛍も好きですけれど、夜景も大好き。
娘は「今日はお天気も良くて散歩日和だったけれど、誤算は寒いと思ってブーツを履いてきたこと。ブーツのヒールは歩きにくくて足が疲れた。母のように、歩くことを第一に考えてスニーカーにすればよかった」とぼやいていました。日頃歩くことをしていない娘より、毎朝20分歩いて公園へ行き、ラジオ体操を欠かさず、土曜日には「体操教室」にも通って身体を鍛えている姑のほうが、疲れ方が少なかったかもしれません。
帰りは、東急線でみなとみらい駅から自由が丘まで。緑が丘で姑と別れました。
もうひとつの誤算がありました。「おばあちゃんはね、中華街で老人会仲間へのおみやげを買いたかったんですって。言ってくれれば、おみやげ屋へ入ったのに、何も言わないから、さっさと媽祖廟関帝廟のお参りだけして、おばあちゃんが買い物したいかもしれないなんて、気にもしないで通りすぎちゃったね。みやげ屋があまりにも混雑していたから、おばあちゃんを疲れさせると思って店先だけながめて、どこのみやげ物屋にも入らなかったけれど、ちゃんとおばあちゃんに聞けばよかった」と、娘の反省の弁。
「お祖母ちゃんの誕生日祝いだったのに、結局、夜景とかいちばん楽しんだのは母だったね」と娘が言うのですが、はい、一家で散歩、ほんとうに楽しい一日でございました。
今夜3月3日の夜、息子の「学生スタッフ」アルバイトというのが、3月4日から始まるというので、冬休みからずっと昼夜逆転生活をしていた息子、久しぶりに早く寝ました。「事務官から、スーツ着用のことという連絡が来た」というので、ワイシャツにアイロンがけもして、「はじめて父親の事務所以外の場所で働く」という事態に緊張しているようです。
いくらか暖かくなってきたので、もう一缶買う予定だった灯油、買わずにすませようかとストーブつけるのを控えていたら、昨日今日の急な寒の戻りで風邪気味になりました。のどが腫れて声がでなくなりました。灯油をけちって風邪薬代の方が高くついた。
春は名のみの”風邪”の寒さや。団地の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てずって、歌いたいけれど、のど腫れて声が出ないのよ。でも、春はもうすぐそこ。地上273メートルから眺めた摩天楼の夜景を思い出しながら、風邪は寝て治す。
<おわり>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(1)中華街から山下公園へ
姑86歳の誕生日を中華街の食事で祝ったあと、娘の希望で横浜散歩をしました。私と娘は食いしん坊なので中華街には来ているけれど、横浜の中を歩くのは久しぶりです。姑は「子供達(夫と夫の姉)がこどものころに連れてきて以来」というので、50年ぶりぐらい。息子は2歳くらいのとき連れて来て以来なので、まったく覚えておらず、初めての横浜散歩です。
立春後から2月17日の春節明けまで続く春節行事の中で、13日は貴重な「お天気がいい日曜日」になりましたから、人出は最高。中華街の道路は押すな押すなの人混みでした。
姑が迷子にならないよう気遣いながら人の間を歩く。姑は、「栗の押し売りにご注意下さい」と張り紙がある前で、栗の売り子に「オネーサン、ちょっと食べてみて。焼き栗安いよ」なんて声をかけられると、「あら、ありがとう」なんて言って、律儀に栗をもらうのです。「おばあちゃん、くれるって言われても、もらわなくてもいいのよ」と、娘が注意したのですが、姑、気にせずにもらって「ほら、またもらったから食べなさいよ」と、私によこすのです。ばーちゃんパワー、押し売りをしのぐ。
善隣門からすぐ近くの媽祖廟へ。媽祖は、華僑の信仰を集める天女で、あらゆる苦難を助けるという御利益があるのだそうです。観光客も神妙に手を合わせたり、1本500円という線香を供えたりしていました。信仰心薄いわが家は、中に入るには100円だかの拝観料が必要と聞くと、「じゃ、中は見なくてもいいや」といって外側を一周しただけで、退散。
次は関帝廟へ。関帝は、娘と息子も嵌ったゲーム三国志の主人公格。三国時代の実在の武将です。姓は關(関)、名は羽、字(あざな)は雲長。
後漢末期、宮廷内部は宦官の悪政のため、飢饉と貧困の乱世となっていました。世に平和を取り戻すため、關羽・張飛・劉備の三人は義兄弟の杯をかわし、黄巾賊征伐を行いました。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が争った時代を陳寿が書いた歴史書が『三国志』。これをもとにして明代に書かれた通俗歴史小説が『三国志演義』。三国志演義の中の赤壁の戦いを描いたのが映画『レッドクリフ』です。『レッドクリフ』では、モンゴル人俳優バーサンジャブが関羽を演じました。
関羽は敵である魏の曹操からも一目置かれる武将であったことから、死後は三国志中の人物の中でも別格の存在となり、神格化されました。徳川家康が神格化されて東照大権現になったり、近代日本でも軍人東郷平八郎が東郷神社の祭神となるようなものです。中国では圧倒的に関羽に人気があり、京劇でも派手な立ち回りを演じるのですが、映画『レッドクリフ』では、知将諸葛孔明を演じた金城武のほうが目立っていました。
中華街から山下公園へ行きました。
2月11日も12日も雨とみぞれの天気、14日も雪、という寒い悪天候の続いたなか、13日の日曜日だけが好天でした。ぽかぽか陽気とまではいきませんでしたが、風もそれほどなく、日向にいれば公園のベンチに座っていても、寒くない。海辺の公園のベンチに座り、氷川丸をバックに姑86歳の記念写真を撮りました。
「赤い靴履いてた女の子」の像の前を通り、ジャグラーが大道芸をしているのをしばらく眺めました。外人さんのジャグラー、火のついたたいまつをぐるぐる回したり、素人が投げたたいまつを受け止めたり、巧みな日本語で笑いを振りまきながら、達者な大道芸を見せていました。私、大道芸大好きです。
<つづく>
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2011年03月02日
ぽかぽか春庭「赤レンガ倉庫からランドマークタワーへ」
2011/03/02
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(2)赤レンガ倉庫からランドマークタワーへ
赤レンガ倉庫街を散歩。昔の横浜港倉庫が、ショッピングモールになっています。倉庫街の外にはアイススケートリンクが設置されており、休日を楽しむ人々がスケートをしていました。
息子は紅茶が好きなので、赤レンガ倉庫街の中の紅茶ショップで休憩したそうでしたが、ケーキとセットで一杯1500円の紅茶、高いから「はい、次はランドマークタワーへ行くよ~」と、紅茶希望を無視。貧乏家庭には、一杯300円の紅茶が予算内です。
昔、汽車が走っていたところが、「汽車道」という名の遊歩道に整備されています。海風はちょっと冷たいものの、とてもいいお天気で、明治42年に建設されたという1号鉄橋、2号鉄橋を渡り、春になったら見事であろうサクラの木の間を歩きました。
汽車道の写真
http://www.natsuzora.com/may/park/kishamichi.html
ランドマークタワーの手前に、帆船日本丸が繋留されています。日本丸は1930年から1984年まで、日本の航海練習船として活躍した大型帆船です。現在は横浜みなと博物館の展示品となっており、次回、帆を張るのを見られるのは4月10日、という案内が出ていました。帆を張った勇姿を一度は見てみたい。
帆を広げた日本丸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nippon_maru_II_in_yokohama_20090720.jpg
「とりあえずその地域で一番高いところに上がってみる」というのが「高いところ好き」の行動パターンなのですが、横浜ランドマークタワーが日本で一番高い場所になって以来、一度も行ったことがありませんでした。高速エレベーター40秒で展望室へ。
ぐるりと一周し、地上275mの景色を楽しみました。
二日間雨や霙が降って、大気をきれいに掃除したあとの晴れた13日、すご~く見晴らしがよかった。今まで東京タワー、都庁展望台、サンシャイン展望台など、都内の高いところには何度も足を運んできましたが、今回のランドマークタワーが、一番きれいに景色が見えました。遠くは房総半島、三浦半島、西側には富士山が見えました。都内で見たときよりずっと大きい富士に感激。
遠くスカイツリーも見えたし、持参のオペラグラスで覗くと、都庁など新宿ビル街もよくわかりました。(百円投入する望遠鏡代を節約)
ランドマークタワー、次はいつ来られるかわからないので、こうなると、夜景も見てみたくなる。日が沈むまで30分ほどだというので、富士山が見える側にあるコーヒーショップで、お茶することにしました。私はコーヒー、息子はミルクティ。「ほら、ここの紅茶なら420円だし」と、言ったのですが、息子は「さっき飲みたかったんだ」と、赤レンガ倉庫の紅茶専門店がよかったという口ぶり。ふん、お茶代払うのは私じゃ。息子、大学から案内が来て、「入学に伴う事務処理、学生スタッフ」に登録をしました。しかし、アルバイトがあるのは、入試が終わった3月になってからだというので、今はまだ金欠状態です。4月から大学院生。学費は奨学金でなんとかするとして、自分の小遣いくらはアルバイトでまかなって貰わないと。
<つづく>
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2011年03月04日
ぽかぽか春庭「ランドマークタワー夜景」
2011/03/04
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年2月横浜散歩(3)ランドマークタワー夜景
ランドマークタワー展望台から富士山が西の丹沢山系に沈んでいくのをゆっくり眺めました。日が沈むのをこのようにゆっくり眺めるのは久しぶり。ぐんぐんと沈んでいく太陽を見ると、地球の自転速度を実感できます。15分くらいで夕日は見えなくなりました。
それから、姑のおしゃべりを聞きながら、街にぽつぽつと灯りがともるのを待ちました。暗くなっても、まだ富士山の形は西の空にうっすらとわかります。
姑は「私も富士山に登ったことあるのよ。女学校のときの遠足で、今から70年も前のことだから、登山靴なんてのもなくて、わらじを編んで、それを腰にいっぱいぶら下げて登ったの」と、過ぎし日をなつかしんでいました。
姑の話の80%は昔話と親戚一同の動向話、残り20%は、健康オタクの健康話。山形の親戚のだれそれの家のなにがしが嫁に行った先の何々ちゃんがどうしたこうしたと聞かされても、誰が誰やらわからないので、「はい、はい」と、相づちを打つのみですが、話を聞いている相手がいる、ということが大事なんでしょうから、神妙に聞いています。
30分ほどで完全に暗くなり、横浜の街は100万ドルの夜景となりました。
海側は、ベイブリッジや観覧車コスモクロック21もライトアップされきれいですし、東京方面を望む側もきらきらしてる。電飾イルミネーションも満点の星空も、蛍も好きですけれど、夜景も大好き。
娘は「今日はお天気も良くて散歩日和だったけれど、誤算は寒いと思ってブーツを履いてきたこと。ブーツのヒールは歩きにくくて足が疲れた。母のように、歩くことを第一に考えてスニーカーにすればよかった」とぼやいていました。日頃歩くことをしていない娘より、毎朝20分歩いて公園へ行き、ラジオ体操を欠かさず、土曜日には「体操教室」にも通って身体を鍛えている姑のほうが、疲れ方が少なかったかもしれません。
帰りは、東急線でみなとみらい駅から自由が丘まで。緑が丘で姑と別れました。
もうひとつの誤算がありました。「おばあちゃんはね、中華街で老人会仲間へのおみやげを買いたかったんですって。言ってくれれば、おみやげ屋へ入ったのに、何も言わないから、さっさと媽祖廟関帝廟のお参りだけして、おばあちゃんが買い物したいかもしれないなんて、気にもしないで通りすぎちゃったね。みやげ屋があまりにも混雑していたから、おばあちゃんを疲れさせると思って店先だけながめて、どこのみやげ物屋にも入らなかったけれど、ちゃんとおばあちゃんに聞けばよかった」と、娘の反省の弁。
「お祖母ちゃんの誕生日祝いだったのに、結局、夜景とかいちばん楽しんだのは母だったね」と娘が言うのですが、はい、一家で散歩、ほんとうに楽しい一日でございました。
今夜3月3日の夜、息子の「学生スタッフ」アルバイトというのが、3月4日から始まるというので、冬休みからずっと昼夜逆転生活をしていた息子、久しぶりに早く寝ました。「事務官から、スーツ着用のことという連絡が来た」というので、ワイシャツにアイロンがけもして、「はじめて父親の事務所以外の場所で働く」という事態に緊張しているようです。
いくらか暖かくなってきたので、もう一缶買う予定だった灯油、買わずにすませようかとストーブつけるのを控えていたら、昨日今日の急な寒の戻りで風邪気味になりました。のどが腫れて声がでなくなりました。灯油をけちって風邪薬代の方が高くついた。
春は名のみの”風邪”の寒さや。団地の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てずって、歌いたいけれど、のど腫れて声が出ないのよ。でも、春はもうすぐそこ。地上273メートルから眺めた摩天楼の夜景を思い出しながら、風邪は寝て治す。
<おわり>