2009/06/02
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(1)センセと遊ぼう会
昨日6月1日は、「中国こどもの日」でした。14歳以下を子供とみなすそうです。小学校は休校になります。しかし、ほとんどの子供の両親が共働きの中国で、親は休みではないのに、子供だけ休みになったら、かえって困るのではないかとも思うのですが、おじいちゃんおばあちゃんに世話してもらっている子供が多いとのことです。
4月の清明節三連休、5月の始めにメーデー三連休があり、5月の終わりに端午節三連休がありました。次の連休は10月1日の国慶節までないので、7月末に帰国する予定の私にとっては、最後の三連休です。
こちらの旧暦(農歴)では、今年は5月28日が5月5日にあたります。人々はチマキを食べて端午の節句を祝います。今年は閏月があるので、閏五月があり、6月27日が閏5月5日にあたります。
大学職員食堂でも5月27日の昼ご飯にチマキが出ましたし、宿舎の食堂からも粽とゆで卵のプレゼントがありました。
ゆで卵は半熟ときいて、生卵に気をつけているので、加熱して固ゆでにしたいと思いました。生卵をそのまま電子レンジにかけると爆発することは知っていたので、半分殻をむいたのですが、やっぱり爆発しました。プラスチック容器のフタをふっとばしてレンジ内に卵が見事に散らばりました。ふう、電子レンジ掃除から始まった端午節三連休。人生の貴重な体験。卵は、半分殻をむいた半熟卵でも爆発する。
1994年の赴任時には、教員宿舎と学生寮は歩いて15分くらいの距離だったので、週末には学生を宿舎に呼んで料理大会を開いたり、麻雀牌を買ってきて麻雀大会を開いたりして学生と遊びながら会話する機会を設けました。
2007年には、キャンパスは郊外に移転して学生寮と教員宿舎はバスで30分以上も離れてしまったので、学生を宿舎に呼ぶことはできなくなりましたが、学生たちとは週末の食事会でいっしょにご飯を食べておしゃべりしたりカラオケしたりしてすごしました。
2009年、初級課程のうち、学生と教室でお茶とお菓子をいただきながらおしゃべりをする会を教室で開催し、4,5人の学生を1グループにしてチャット会を続けました。日本女性の化粧法についてとか、国費留学生はアルバイト禁止と聞いたが、夏休みにアルバイトするチャンスがあるか、とか、学生は日本にいろいろな興味をもっておしゃべりしました。
初級期末試験も終わり、授業は中級日本語課程に入りました。学生たちも端午節三連休を前にゆったり余裕モードになったところで、「先生と遊ぼう会」の提案をしました。
私が中国でしたいこと、1番目の旅行は、集安旅行の次に葫蘆(ころ) 島、哈爾濱、瀋陽、への旅行を企画しています。
それから、学生とは麻雀、カラオケ、バドミントン、卓球、太極拳、散歩をいっしょにしたいと希望を出しました。クラス内を歌が好きなグループ、卓球が好きなグループなどに分けて、5,6人でおしゃべりしながら遊ぼうという計画です。
第一弾は、散歩。大学本部キャンパス前にある動物園でパンダ見物をしました。5月28日に学生7人のグループといっしょに動物園を歩きました。暑い一日。
四川省から5月~10月の期間限定で借りてきたパンダなのだそうです。
<つづく>
04:49 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2009年06月03日
ニーハオ春庭「大熊猫見物」
2009/06/03
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(2)大熊猫見物
先生と遊ぶ会、第1回目のパンダ見物。
朝、9時半に動物園の正門前に集合したときには、入り口は大勢の客でごったがえしていました。入場料は30元と聞いていて、2007年に動物園に来たときから3倍も値上げしたのか、と驚き、ずいぶん一気に値上げしたなあと感じました。しかし、入園料は10元、あれま、2007年と変わっていないじゃん、と思ったら、パンダ舎は別料金で20元、というシステムでした。
現在、上野動物園にパンダはいなくなってしまいましたが、神戸動物園などパンダが「客寄せパンダ」になっているところがいくつかあり、日本人のなかで、本物のパンダをまだ一度も見たことがない、と言う人は少なくなったのではないでしょうか。しかし、中国は広いので、パンダの故郷四川省出身者でもパンダを見たことがないという人がかなりいます。パンダがいる動物園のある町にすんでいる人でないと、なかなかパンダを見るチャンスなどないのです。
パンダは絶滅危惧種で貴重な動物であり、昔はパンダ外交と呼ばれる「中国政府の外交政策の目玉」となっていたので、パンダ飼育は厳重な管理のもとにおかれています。一般の人に見せて楽しませてあげるより、外交手段に活用したほうがいい、と政府も考えているのではないでしょうか。
さて、当地の動物園にはこれまでパンダはいませんでした。しかし、今年5月から10月までの期間限定で、パンダが貸し出されてやってきました。
パンダを見たことない東北地方の人々は、パンダを一目みようと詰めかけ、園内はにぎわっていました。中国の象徴的な動物であり、北京オリンピックのマスコットにもなっていたパンダ。子どもたちは初めて見るであろう動物に目を輝かして見入っています。
我がクラスの学生たちの中にも、「パンダを初めて始めてみます」という人ばかりか、「象を初めて見ます」「キリンを初めてみます」という人もいました。最初は「動物園なんて、子供の喜ぶところ」と思っていたような人も、とてもうれしそうに動物といっしょの写真をとっていたので、散歩を提案した私も「誘ってよかった」という気分でした。
東北虎は、日本で見たマレー虎などに比べると一回りも二まわりも体が大きかったのが印象的でした。暑い日だったせいか、ライオンも虎も退屈そうに寝そべっていました。毛色が灰色でシベリア狼に似た種類の「草原狼」や毛並みが赤茶色の「紅狼」、豹や河馬、縞馬など、皆大喜びで見ていました。
目玉のパンダも昼間は寝ているばかりです。たまに動くと観客は歓声をあげていました。
白と黒の毛皮が特徴であるはずのパンダ、雑伎団などで飼っている民間商業用のパンダでもあったのか、少々毛皮の白が薄茶色に汚れていたため、リューカさんは「このパンダはきれいじゃありません」と、自分のイメージと違うと言っていました。そこで「このパンダはおふろに入るのが嫌いなようです」と、習ったばかりの推量文型「~ようです」を使って言うと、リューカさんも笑って納得していました。
<つづく>
03:27 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2009年06月04日
ニーハオ春庭「日本アニメ育ち」
2009/06/04
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(3)日本アニメ育ち
動物園ランチの間の話題では、子供のころに見た日本製のテレビ番組の話で盛り上がりました。
今教えている学生たちは、1979~1984年生まれで、83年生まれのうちの娘とぴったり同世代。子どもたちといっしょに私もテレビアニメを見てきたので、学生たちのいうテレビ番組のほとんどを私も見ており、「見た見た」と、盛り上がりました。
『クレヨン新ちゃん』が「鉛筆小新」というタイトルで放映されたことは知っていましたが、そのほかにも日本のアニメがたくさん出回っています。正規のアニメ輸出ではなく、大半は海賊版です。ドラゴンボール=七龍珠(qilongzhu)スーパーサイヤ人=超級賽亜人(chaojisaiyaren)カメハメ波~=亀派気功波、と言う具合。ドラゴンボールは、日本のアニメ画像をそっくり中国アニメに作り直しているので、海賊版と言うより「そのまんまパクリ」版です。
『ちびまる子』のタイトル、中国語では「櫻桃小丸子」といいます。「さくらももこ」という名と、ニックネームのちびまる子を同時にタイトルにしていて、おもしろい。「一休さん」は、1994年にも放映されていたアニメで、なんと長いこと中国では放送されているんでしょう。『花仙子(花の子ルンルン)』、『鉄臂阿童木(鉄腕アトム)』
ドラえもん。1994年には機械でできた猫という意味に翻訳された「機机猫」という海賊版の漫画本を買って帰りましたが、テレビアニメで放映されたときは、発音を生かした『哆啦A夢ダラエーモン』になり、現在はこちらの名前が定着しています。「灌籃高手(スラムダンク)」の登場人物の名前は漢字なので、櫻木花道そのまんま。
「聖闘士星矢」など、漢字のタイトルはそのまんまなのでわかりやすいですが、わからなかったのが、『恐竜特級克賽号』。たぶん、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だろうと思ってストーリーを聞いてみたのですが、どうも内容が違います。
私は、娘と、娘が戦隊ものを卒業してからは息子と一緒にレンジャーもの10年間くらい見続けたのですが、そのうちのどれが恐竜特級克賽号なのか、わからなかった。この番組が大好きだったという学生が「人間大砲」と文字を書いてくれたのですが、わからない。あとで調べてみたら、「恐竜戦隊・コセイドン戦え人間大砲コセイダー」のことだとわかりました。
我が家は、10チャンネル1988年の『超獣戦隊ライブマン』から、息子がレンジャーものを卒業した2000年の『未来戦隊タイムレンジャー』まで見続けたのですが、12チャンネルのコセイドンは見なかったのです。
それにしても、娘や息子と同世代の学生たち、実によく日本のアニメやドラマを見ています。今は中国アニメも盛んに制作されるようになっていますが、かれらがテレビに夢中になっていた80年代90年代には、中国製にはまだおもしろいものがなく、日本のアニメが大人気となっていたのです。ほとんどが海賊版ですが。
「中国のドラマは日本で放送されていますか」という学生からの質問に対し「いいえ、中国のドラマはほとんど放送されていません。韓国のドラマは大人気です」と答えました。中国でも90年代は『東京ラブストーリー』をはじめ、日本のドラマが人気を博していましたが、今は韓国ドラマのほうが多いそうです。おそらく、海賊版の放映を自粛するようになったのち、正規の日本語ドラマは放映権が高いからあまり放送されなくなったのでしょう。
ドラマやアニメを通して日本のイメージを作り上げてきた学生たち、10月に日本へ行く心づもりも着々と整えて、留学する日を楽しみにしています。
<つづく>
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2009年06月05日
ニーハオ春庭「泣かされた」
2009/06/05
ニーハオ春庭九年母(くねんぼ)日記中国版>日々是好日(1)泣かされた
日本のアニメやドラマが大好きという中国の学生たち。
インさんは、スピーチで「私は日本の漫画が大好きだったので、日本に行きたいとずっと思っていました。夢が実現しました」と、発表していました。
インさんは、「ドクタースランプあられちゃん」のがっちゃんを上手に描いて、「贈・老師」と宛書きをつけてプレゼントしてくれました。アラレちゃんは「阿拉蕾(A1 La1 Lei2) 」(数字は声調)です。
クラススピーチではさまざまな話題が出ましたが、その中に、日本のドラマ『1リットルの涙』を見て、泣いた、というスピーチがありました。ちょうど、使役受身形の練習中だったので、書取テストで「あなたはドラマやアニメを見て泣かされたことがありましたか、どんなドラマでしたか」という出題をしてみました。
(書取テストは、毎日午前中に行い、教師が音声出題する日本文を聞き取って、3題はディクテーション(発話をそのまま書き取る)2題は、出題された質問に答える。3題はカタカナ外来語のディクテーションです。)
「はい、あります。母と子が再会するストーリーでした」という答えを書いた学生、『母をたずねて三千里』を見たのでしょうか。それとも「ミツバチハッチ」かな。
6月4日、私、大いに泣かされました。何に泣かされたって?パソコン壊れました。
6月4日は、私の博士論文中間発表の日でした。中国からサイバーテレビ会議のやり方で、カメラで私の顔を写し、また、画面では論文レジュメパワーポイント資料を表示して発表する予定でした。私にとっては中国滞在中の最大のイベントだったのです。
論文を苦心惨憺書き上げ、メール添付で送付し、パワーポイント資料も送り、パソコンチェックもおこたりなく、6月3日の夜は、「体調、パソコンとも順調です」というメールを指導教官に送りました。6月4日は、授業振り替えで休みをもらって、宿舎で発表する予定。なぜ、勤務先の大学でサイバー会議ができないかというと、カメラ映像や音声を送るには当地の大学内通信速度が遅すぎて、対応できないからです。
ところが、6月4日朝、パソコンフリーズ。
パソコンかかえて、タクシーで勤務先の大学へ。大学のコンピュータ技師さんによるとハードディスク損傷したということでした。リカバリーが必要という事態になってしまいました。
講師室のパソコンであれこれ試みたのですが、テレビ会議用に組み込まれているソフトがインストールできず、発表は中止。日本では、主査の指導教官や副査の先生、ほかの専攻の教授たちが、私の発表を聞いて質問すべく会議室に集まって、私の顔がモニターに映るのを待っていました。
サイバー発表会は中止。もうガックリです。準備おこたりなく当日を迎え、当日の朝にパソコンフリーズとは、呪われているとしか思えません。よほど日頃の心がけが悪かったのか。いえいえ、私、今回はまじめに朝から晩まで仕事をして、自分の論文も一生懸命書きました。
しかも、このパソコンは博士課程に籍をおいている大学からの貸与パソコンであるため、大学に持ち帰って修理する以外にリカバリーなどをしてはいけない、とのお達しがメールで届きました。
中国滞在中、講師室の備品パソコンを宿舎の自室に毎日持ち帰って仕事をしてもいいと許可されましたが、大半のファイルをパソコン本体に保存していて、コピーをとっておかなかった私のミス。まめにバックアップをとるような心がけのよい人なら、きっとパソコンがフリーズすることもなく、私のように面倒がってバックアップをとらないような人のパソコンがだめになるって、相場はきまっています。
今夜はやけ酒、といきたいところですが、あしたの授業資料がなくなってしまったので、作り直ししなければなりません。
「日々是好日」この熟語を私は、ずっと「ひびこれこうじつ」と読んできました。禅語のひとつなので、日は仏教用語では「じつ」と呼んだ方が適切なのだろうと思いこんでいたのです。でも、正しい読み方は「ひびこれこうにち」だった。
『北京好日(ベイジンハオリー)』という映画を見た後、いろいろ検索しているときに、「ひびこれこうじつ」ではなく、「ひびこれこうにち」であることにやっと気づいたのです。
私の好日、ときに不好日(ブーハオリー)です。
<つづく>
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2009年06月08日
ニーハオ春庭「潮風のささやき」
2009/06/08
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(2)潮風のメロディ
中間発表失敗、パソコンは修理不可というガックリ気分でしたが、中国自慢の超特急時速213kmの「和諧(わかい)号)」で往復し、海辺の空気を吸ってきました。
楽しい旅でした。報告はまたのちほど。
09:23 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2009年06月09日
ニーハオ春庭「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」
2009/06/09
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(3)落ち込むこともあるけれど、私は元気です
受け持ちクラスの学生たち、みな優秀な上によい性格の人ばかりです。
幼い頃から「学年トップ」「市内一の成績」など、「ほめられ続け」てきた学生なので、増上慢の学生もいるかなと、最初のうちは心配していました。しかし、それぞれ自分の専門領域の研究にプライドは持っていても、決して過信や自惚れはなく、謙虚さも優しさも持ち合わせている人たちです。
「先生のブログを読みましたが、先生の博士論文の発表は失敗しましたね。先生、大丈夫ですか」と、心配してくれる学生もいて、ほんとうに優しい心遣いをみせてくれます。
「ええ、パソコンは中国では修理不可能となって、不便ですが、私は大丈夫」
「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」って、『魔女宅』の中の台詞と思いこんでいたのだけれど、アニメ好きの中国の学生には通じない。「落ち込む~」は、映画用のキャッチコピーでした。今はまだ魔法の箒に乗れる気分ではないけれど、きっとそのうち自由に空を飛ぶ気分になることでしょう。
パソコンは使えないし、ブログ更新もままならぬ「日々是好日」のなか、文科省からの視察団がやってきて、授業参観をしていきました。ひとつのクラスを見ているのはほんの15分程度なのですが、学生たちはやはり幾分かは緊張します。新しい課の学習をしてもよかったのですが、前に学習した課の復習を行いました。
参観の先生方にネームカードを引いてもらい、当たった学生が質問に答えます。教科書4課の復習。
「日本の国土」という課は既習なので、すらすら答えられるはずだったのですが、「日本はアジアのどの位置にありますか」という質問に「アジア大陸の西にあります」と答えたり、「日本の川は急流が多い」という文の「急流」を「いそぎりゅう」と読んだり、クラスの爆笑を誘いました。失敗が「けがの功名」になって、かえってって参観はなごやかに終了でき、学生も私も「よかったよかった」と胸をなで下ろしました。
<つづく>
20:00 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2009年06月11日
ニーハオ春庭「心に効く薬草茶」
2009/06/10
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(4)心に効く薬草茶
自分では「失敗は成功の母」という気持ちで、「次にがんばればいいや」と、気楽に書いたつもりなのですが、論文発表の失敗についての日記をクラスの学生が読んで「先生は今ガックリきているらしい」と、思わせてしまったようです。心配かけてごめんね。でも、私、大丈夫だからね。
医師免許をとってから何年か病院で働いたのち、今回の日本留学を決めたゴタンさん。医師としてクラスメートの健康に気を配っています。私に対しても、いつも「先生、お疲れではありませんか」と尋ねて気遣ってくれています。
今回も、彼女はとても心配して、わざわざ手紙を書いてきてくれました。
ブログに公開してもいいか尋ねると、「日本語が下手だから、、、」と心配顔でした。しかし、西ニシと東ヒガシを取り違えて、「日本はアジア大陸のニシにある」と、授業参観のとき答えていた彼女の持ち味こそいい点だから、誤用は誤用のまま、紹介したいと思います。
缶入りの「胎菊王」という薬草茶に添えられていた手紙です。
================
6月10日 水曜日
親愛的老師您好!
6月4日に先生は3クラスの教室へ行かないのは授業がないからと思った。しかし、実際は先生の博士論文中間発表のためということだから。6月5日に、先生のパソコンが壊れ、中国で修理不可してしまったように聞いて、心配が出てきた。
結局、きのう先生の博士論文中間発表が壊わったパソコンのせいでできなかったのが知っていた。先生のそんな時の感じ覚が心臓病と脳卒中になりそうだろうと思う。私もその気持ちが感じられたが、残念に思われた。
先生はずっとがんばってきたので、多くの知識を持っており、一番優秀な博士学生で先生の博士論文がぜったい合格できると思う。
ところで、これはお礼に差し上げないで、悪い気持ちを治す「薬」として、先生に持ってきてさしあげよう。中国で悪い気持ちになったら、「上火」しやすいといわれている。こんな「薬」は「上火」を治すのにちょうどいい。
どうぞごえんりょなくもらっていただけませんか。(来年2月までに飲んでください)
==============
初級での「です・ます体」から、現在は中級での書き言葉「だ・である体」を学習中なので、文体が「だ体」になっています。一生懸命「だ・である体」で書いているところは、きまじめなゴタンさんらしい。「手紙は、です・ます体ですよ」と教えたのは忘れてしまったようですが、気持ちは十分伝わりましたよ。ご心配いただき、ありがとう。
去年の10月に「あいうえお」のひらがなを覚えるところから日本語学習を始めて、実質6ヶ月半の学習でここまで書けるようになっている学生たち、ほんとうによくがんばっています。(学生たちの学習累計時間は、500時間ほど。日本の英語学習でいうと、高校2年生あたりの学習時間に相当しますが、私が高校2年生のころ、英語でこれだけの手紙を書けたと思えません。語学苦手な高校生でしたから)
いただいた薬草茶、菊の花のお茶は、「上火=のぼせ」に効くということですから、ゴタン医師の言葉どおりに、毎日少しずつ飲もうと思います。「のぼせ」は、心臓病や脳卒中にもなりかねないとの診断ですから、頭に血が上らないように、冷静にこれからも暮らしていきたいと思います。
夜中の1時2時に目が覚めてしまうのは、夜、ご飯を食べてお風呂に入るとすぐに眠くなって8時とか9時とか早々とふとんに入るせいだと思いますが、やはり、いろいろなことが気になって目覚めてしまうのかもしれません。今朝も1時に目が覚めた。もう一度寝ようとしても寝付けないので、真夜中のブログ更新。
薬草茶、体にも効くでしょうが、何よりも今の環境で、いろいろ心配してくれる人が周りにいると思う安心感が、心に効くだろうと思います。
そんなにガックリきているようすは見せていないつもりでしたが、宿舎の隣の部屋からは「手作り錦松梅ふりかけ」おかかや松の実が入ったおいしいふりかけをいただき、階下の部屋からは私が好きだと言った「韓国風じゃがいもお焼き」を手作りして差し入れが届きました。みな、老体がなんとか持ちこたえるよう、気遣ってくれて、ありがたいことです。
いろいろあるけれど、中国の毎日、やっぱり「日々是好日」です。
<おわり>
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(1)センセと遊ぼう会
昨日6月1日は、「中国こどもの日」でした。14歳以下を子供とみなすそうです。小学校は休校になります。しかし、ほとんどの子供の両親が共働きの中国で、親は休みではないのに、子供だけ休みになったら、かえって困るのではないかとも思うのですが、おじいちゃんおばあちゃんに世話してもらっている子供が多いとのことです。
4月の清明節三連休、5月の始めにメーデー三連休があり、5月の終わりに端午節三連休がありました。次の連休は10月1日の国慶節までないので、7月末に帰国する予定の私にとっては、最後の三連休です。
こちらの旧暦(農歴)では、今年は5月28日が5月5日にあたります。人々はチマキを食べて端午の節句を祝います。今年は閏月があるので、閏五月があり、6月27日が閏5月5日にあたります。
大学職員食堂でも5月27日の昼ご飯にチマキが出ましたし、宿舎の食堂からも粽とゆで卵のプレゼントがありました。
ゆで卵は半熟ときいて、生卵に気をつけているので、加熱して固ゆでにしたいと思いました。生卵をそのまま電子レンジにかけると爆発することは知っていたので、半分殻をむいたのですが、やっぱり爆発しました。プラスチック容器のフタをふっとばしてレンジ内に卵が見事に散らばりました。ふう、電子レンジ掃除から始まった端午節三連休。人生の貴重な体験。卵は、半分殻をむいた半熟卵でも爆発する。
1994年の赴任時には、教員宿舎と学生寮は歩いて15分くらいの距離だったので、週末には学生を宿舎に呼んで料理大会を開いたり、麻雀牌を買ってきて麻雀大会を開いたりして学生と遊びながら会話する機会を設けました。
2007年には、キャンパスは郊外に移転して学生寮と教員宿舎はバスで30分以上も離れてしまったので、学生を宿舎に呼ぶことはできなくなりましたが、学生たちとは週末の食事会でいっしょにご飯を食べておしゃべりしたりカラオケしたりしてすごしました。
2009年、初級課程のうち、学生と教室でお茶とお菓子をいただきながらおしゃべりをする会を教室で開催し、4,5人の学生を1グループにしてチャット会を続けました。日本女性の化粧法についてとか、国費留学生はアルバイト禁止と聞いたが、夏休みにアルバイトするチャンスがあるか、とか、学生は日本にいろいろな興味をもっておしゃべりしました。
初級期末試験も終わり、授業は中級日本語課程に入りました。学生たちも端午節三連休を前にゆったり余裕モードになったところで、「先生と遊ぼう会」の提案をしました。
私が中国でしたいこと、1番目の旅行は、集安旅行の次に葫蘆(ころ) 島、哈爾濱、瀋陽、への旅行を企画しています。
それから、学生とは麻雀、カラオケ、バドミントン、卓球、太極拳、散歩をいっしょにしたいと希望を出しました。クラス内を歌が好きなグループ、卓球が好きなグループなどに分けて、5,6人でおしゃべりしながら遊ぼうという計画です。
第一弾は、散歩。大学本部キャンパス前にある動物園でパンダ見物をしました。5月28日に学生7人のグループといっしょに動物園を歩きました。暑い一日。
四川省から5月~10月の期間限定で借りてきたパンダなのだそうです。
<つづく>
04:49 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2009年06月03日
ニーハオ春庭「大熊猫見物」
2009/06/03
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(2)大熊猫見物
先生と遊ぶ会、第1回目のパンダ見物。
朝、9時半に動物園の正門前に集合したときには、入り口は大勢の客でごったがえしていました。入場料は30元と聞いていて、2007年に動物園に来たときから3倍も値上げしたのか、と驚き、ずいぶん一気に値上げしたなあと感じました。しかし、入園料は10元、あれま、2007年と変わっていないじゃん、と思ったら、パンダ舎は別料金で20元、というシステムでした。
現在、上野動物園にパンダはいなくなってしまいましたが、神戸動物園などパンダが「客寄せパンダ」になっているところがいくつかあり、日本人のなかで、本物のパンダをまだ一度も見たことがない、と言う人は少なくなったのではないでしょうか。しかし、中国は広いので、パンダの故郷四川省出身者でもパンダを見たことがないという人がかなりいます。パンダがいる動物園のある町にすんでいる人でないと、なかなかパンダを見るチャンスなどないのです。
パンダは絶滅危惧種で貴重な動物であり、昔はパンダ外交と呼ばれる「中国政府の外交政策の目玉」となっていたので、パンダ飼育は厳重な管理のもとにおかれています。一般の人に見せて楽しませてあげるより、外交手段に活用したほうがいい、と政府も考えているのではないでしょうか。
さて、当地の動物園にはこれまでパンダはいませんでした。しかし、今年5月から10月までの期間限定で、パンダが貸し出されてやってきました。
パンダを見たことない東北地方の人々は、パンダを一目みようと詰めかけ、園内はにぎわっていました。中国の象徴的な動物であり、北京オリンピックのマスコットにもなっていたパンダ。子どもたちは初めて見るであろう動物に目を輝かして見入っています。
我がクラスの学生たちの中にも、「パンダを初めて始めてみます」という人ばかりか、「象を初めて見ます」「キリンを初めてみます」という人もいました。最初は「動物園なんて、子供の喜ぶところ」と思っていたような人も、とてもうれしそうに動物といっしょの写真をとっていたので、散歩を提案した私も「誘ってよかった」という気分でした。
東北虎は、日本で見たマレー虎などに比べると一回りも二まわりも体が大きかったのが印象的でした。暑い日だったせいか、ライオンも虎も退屈そうに寝そべっていました。毛色が灰色でシベリア狼に似た種類の「草原狼」や毛並みが赤茶色の「紅狼」、豹や河馬、縞馬など、皆大喜びで見ていました。
目玉のパンダも昼間は寝ているばかりです。たまに動くと観客は歓声をあげていました。
白と黒の毛皮が特徴であるはずのパンダ、雑伎団などで飼っている民間商業用のパンダでもあったのか、少々毛皮の白が薄茶色に汚れていたため、リューカさんは「このパンダはきれいじゃありません」と、自分のイメージと違うと言っていました。そこで「このパンダはおふろに入るのが嫌いなようです」と、習ったばかりの推量文型「~ようです」を使って言うと、リューカさんも笑って納得していました。
<つづく>
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2009年06月04日
ニーハオ春庭「日本アニメ育ち」
2009/06/04
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(3)日本アニメ育ち
動物園ランチの間の話題では、子供のころに見た日本製のテレビ番組の話で盛り上がりました。
今教えている学生たちは、1979~1984年生まれで、83年生まれのうちの娘とぴったり同世代。子どもたちといっしょに私もテレビアニメを見てきたので、学生たちのいうテレビ番組のほとんどを私も見ており、「見た見た」と、盛り上がりました。
『クレヨン新ちゃん』が「鉛筆小新」というタイトルで放映されたことは知っていましたが、そのほかにも日本のアニメがたくさん出回っています。正規のアニメ輸出ではなく、大半は海賊版です。ドラゴンボール=七龍珠(qilongzhu)スーパーサイヤ人=超級賽亜人(chaojisaiyaren)カメハメ波~=亀派気功波、と言う具合。ドラゴンボールは、日本のアニメ画像をそっくり中国アニメに作り直しているので、海賊版と言うより「そのまんまパクリ」版です。
『ちびまる子』のタイトル、中国語では「櫻桃小丸子」といいます。「さくらももこ」という名と、ニックネームのちびまる子を同時にタイトルにしていて、おもしろい。「一休さん」は、1994年にも放映されていたアニメで、なんと長いこと中国では放送されているんでしょう。『花仙子(花の子ルンルン)』、『鉄臂阿童木(鉄腕アトム)』
ドラえもん。1994年には機械でできた猫という意味に翻訳された「機机猫」という海賊版の漫画本を買って帰りましたが、テレビアニメで放映されたときは、発音を生かした『哆啦A夢ダラエーモン』になり、現在はこちらの名前が定着しています。「灌籃高手(スラムダンク)」の登場人物の名前は漢字なので、櫻木花道そのまんま。
「聖闘士星矢」など、漢字のタイトルはそのまんまなのでわかりやすいですが、わからなかったのが、『恐竜特級克賽号』。たぶん、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』だろうと思ってストーリーを聞いてみたのですが、どうも内容が違います。
私は、娘と、娘が戦隊ものを卒業してからは息子と一緒にレンジャーもの10年間くらい見続けたのですが、そのうちのどれが恐竜特級克賽号なのか、わからなかった。この番組が大好きだったという学生が「人間大砲」と文字を書いてくれたのですが、わからない。あとで調べてみたら、「恐竜戦隊・コセイドン戦え人間大砲コセイダー」のことだとわかりました。
我が家は、10チャンネル1988年の『超獣戦隊ライブマン』から、息子がレンジャーものを卒業した2000年の『未来戦隊タイムレンジャー』まで見続けたのですが、12チャンネルのコセイドンは見なかったのです。
それにしても、娘や息子と同世代の学生たち、実によく日本のアニメやドラマを見ています。今は中国アニメも盛んに制作されるようになっていますが、かれらがテレビに夢中になっていた80年代90年代には、中国製にはまだおもしろいものがなく、日本のアニメが大人気となっていたのです。ほとんどが海賊版ですが。
「中国のドラマは日本で放送されていますか」という学生からの質問に対し「いいえ、中国のドラマはほとんど放送されていません。韓国のドラマは大人気です」と答えました。中国でも90年代は『東京ラブストーリー』をはじめ、日本のドラマが人気を博していましたが、今は韓国ドラマのほうが多いそうです。おそらく、海賊版の放映を自粛するようになったのち、正規の日本語ドラマは放映権が高いからあまり放送されなくなったのでしょう。
ドラマやアニメを通して日本のイメージを作り上げてきた学生たち、10月に日本へ行く心づもりも着々と整えて、留学する日を楽しみにしています。
<つづく>
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2009年06月05日
ニーハオ春庭「泣かされた」
2009/06/05
ニーハオ春庭九年母(くねんぼ)日記中国版>日々是好日(1)泣かされた
日本のアニメやドラマが大好きという中国の学生たち。
インさんは、スピーチで「私は日本の漫画が大好きだったので、日本に行きたいとずっと思っていました。夢が実現しました」と、発表していました。
インさんは、「ドクタースランプあられちゃん」のがっちゃんを上手に描いて、「贈・老師」と宛書きをつけてプレゼントしてくれました。アラレちゃんは「阿拉蕾(A1 La1 Lei2) 」(数字は声調)です。
クラススピーチではさまざまな話題が出ましたが、その中に、日本のドラマ『1リットルの涙』を見て、泣いた、というスピーチがありました。ちょうど、使役受身形の練習中だったので、書取テストで「あなたはドラマやアニメを見て泣かされたことがありましたか、どんなドラマでしたか」という出題をしてみました。
(書取テストは、毎日午前中に行い、教師が音声出題する日本文を聞き取って、3題はディクテーション(発話をそのまま書き取る)2題は、出題された質問に答える。3題はカタカナ外来語のディクテーションです。)
「はい、あります。母と子が再会するストーリーでした」という答えを書いた学生、『母をたずねて三千里』を見たのでしょうか。それとも「ミツバチハッチ」かな。
6月4日、私、大いに泣かされました。何に泣かされたって?パソコン壊れました。
6月4日は、私の博士論文中間発表の日でした。中国からサイバーテレビ会議のやり方で、カメラで私の顔を写し、また、画面では論文レジュメパワーポイント資料を表示して発表する予定でした。私にとっては中国滞在中の最大のイベントだったのです。
論文を苦心惨憺書き上げ、メール添付で送付し、パワーポイント資料も送り、パソコンチェックもおこたりなく、6月3日の夜は、「体調、パソコンとも順調です」というメールを指導教官に送りました。6月4日は、授業振り替えで休みをもらって、宿舎で発表する予定。なぜ、勤務先の大学でサイバー会議ができないかというと、カメラ映像や音声を送るには当地の大学内通信速度が遅すぎて、対応できないからです。
ところが、6月4日朝、パソコンフリーズ。
パソコンかかえて、タクシーで勤務先の大学へ。大学のコンピュータ技師さんによるとハードディスク損傷したということでした。リカバリーが必要という事態になってしまいました。
講師室のパソコンであれこれ試みたのですが、テレビ会議用に組み込まれているソフトがインストールできず、発表は中止。日本では、主査の指導教官や副査の先生、ほかの専攻の教授たちが、私の発表を聞いて質問すべく会議室に集まって、私の顔がモニターに映るのを待っていました。
サイバー発表会は中止。もうガックリです。準備おこたりなく当日を迎え、当日の朝にパソコンフリーズとは、呪われているとしか思えません。よほど日頃の心がけが悪かったのか。いえいえ、私、今回はまじめに朝から晩まで仕事をして、自分の論文も一生懸命書きました。
しかも、このパソコンは博士課程に籍をおいている大学からの貸与パソコンであるため、大学に持ち帰って修理する以外にリカバリーなどをしてはいけない、とのお達しがメールで届きました。
中国滞在中、講師室の備品パソコンを宿舎の自室に毎日持ち帰って仕事をしてもいいと許可されましたが、大半のファイルをパソコン本体に保存していて、コピーをとっておかなかった私のミス。まめにバックアップをとるような心がけのよい人なら、きっとパソコンがフリーズすることもなく、私のように面倒がってバックアップをとらないような人のパソコンがだめになるって、相場はきまっています。
今夜はやけ酒、といきたいところですが、あしたの授業資料がなくなってしまったので、作り直ししなければなりません。
「日々是好日」この熟語を私は、ずっと「ひびこれこうじつ」と読んできました。禅語のひとつなので、日は仏教用語では「じつ」と呼んだ方が適切なのだろうと思いこんでいたのです。でも、正しい読み方は「ひびこれこうにち」だった。
『北京好日(ベイジンハオリー)』という映画を見た後、いろいろ検索しているときに、「ひびこれこうじつ」ではなく、「ひびこれこうにち」であることにやっと気づいたのです。
私の好日、ときに不好日(ブーハオリー)です。
<つづく>
03:09 コメント(6) 編集 ページのトップへ
2009年06月08日
ニーハオ春庭「潮風のささやき」
2009/06/08
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(2)潮風のメロディ
中間発表失敗、パソコンは修理不可というガックリ気分でしたが、中国自慢の超特急時速213kmの「和諧(わかい)号)」で往復し、海辺の空気を吸ってきました。
楽しい旅でした。報告はまたのちほど。
09:23 コメント(1) 編集 ページのトップへ
2009年06月09日
ニーハオ春庭「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」
2009/06/09
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(3)落ち込むこともあるけれど、私は元気です
受け持ちクラスの学生たち、みな優秀な上によい性格の人ばかりです。
幼い頃から「学年トップ」「市内一の成績」など、「ほめられ続け」てきた学生なので、増上慢の学生もいるかなと、最初のうちは心配していました。しかし、それぞれ自分の専門領域の研究にプライドは持っていても、決して過信や自惚れはなく、謙虚さも優しさも持ち合わせている人たちです。
「先生のブログを読みましたが、先生の博士論文の発表は失敗しましたね。先生、大丈夫ですか」と、心配してくれる学生もいて、ほんとうに優しい心遣いをみせてくれます。
「ええ、パソコンは中国では修理不可能となって、不便ですが、私は大丈夫」
「落ち込むこともあるけれど、私は元気です」って、『魔女宅』の中の台詞と思いこんでいたのだけれど、アニメ好きの中国の学生には通じない。「落ち込む~」は、映画用のキャッチコピーでした。今はまだ魔法の箒に乗れる気分ではないけれど、きっとそのうち自由に空を飛ぶ気分になることでしょう。
パソコンは使えないし、ブログ更新もままならぬ「日々是好日」のなか、文科省からの視察団がやってきて、授業参観をしていきました。ひとつのクラスを見ているのはほんの15分程度なのですが、学生たちはやはり幾分かは緊張します。新しい課の学習をしてもよかったのですが、前に学習した課の復習を行いました。
参観の先生方にネームカードを引いてもらい、当たった学生が質問に答えます。教科書4課の復習。
「日本の国土」という課は既習なので、すらすら答えられるはずだったのですが、「日本はアジアのどの位置にありますか」という質問に「アジア大陸の西にあります」と答えたり、「日本の川は急流が多い」という文の「急流」を「いそぎりゅう」と読んだり、クラスの爆笑を誘いました。失敗が「けがの功名」になって、かえってって参観はなごやかに終了でき、学生も私も「よかったよかった」と胸をなで下ろしました。
<つづく>
20:00 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2009年06月11日
ニーハオ春庭「心に効く薬草茶」
2009/06/10
ニーハオ春庭・九年母日記中国版2009>日々是好日(4)心に効く薬草茶
自分では「失敗は成功の母」という気持ちで、「次にがんばればいいや」と、気楽に書いたつもりなのですが、論文発表の失敗についての日記をクラスの学生が読んで「先生は今ガックリきているらしい」と、思わせてしまったようです。心配かけてごめんね。でも、私、大丈夫だからね。
医師免許をとってから何年か病院で働いたのち、今回の日本留学を決めたゴタンさん。医師としてクラスメートの健康に気を配っています。私に対しても、いつも「先生、お疲れではありませんか」と尋ねて気遣ってくれています。
今回も、彼女はとても心配して、わざわざ手紙を書いてきてくれました。
ブログに公開してもいいか尋ねると、「日本語が下手だから、、、」と心配顔でした。しかし、西ニシと東ヒガシを取り違えて、「日本はアジア大陸のニシにある」と、授業参観のとき答えていた彼女の持ち味こそいい点だから、誤用は誤用のまま、紹介したいと思います。
缶入りの「胎菊王」という薬草茶に添えられていた手紙です。
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6月10日 水曜日
親愛的老師您好!
6月4日に先生は3クラスの教室へ行かないのは授業がないからと思った。しかし、実際は先生の博士論文中間発表のためということだから。6月5日に、先生のパソコンが壊れ、中国で修理不可してしまったように聞いて、心配が出てきた。
結局、きのう先生の博士論文中間発表が壊わったパソコンのせいでできなかったのが知っていた。先生のそんな時の感じ覚が心臓病と脳卒中になりそうだろうと思う。私もその気持ちが感じられたが、残念に思われた。
先生はずっとがんばってきたので、多くの知識を持っており、一番優秀な博士学生で先生の博士論文がぜったい合格できると思う。
ところで、これはお礼に差し上げないで、悪い気持ちを治す「薬」として、先生に持ってきてさしあげよう。中国で悪い気持ちになったら、「上火」しやすいといわれている。こんな「薬」は「上火」を治すのにちょうどいい。
どうぞごえんりょなくもらっていただけませんか。(来年2月までに飲んでください)
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初級での「です・ます体」から、現在は中級での書き言葉「だ・である体」を学習中なので、文体が「だ体」になっています。一生懸命「だ・である体」で書いているところは、きまじめなゴタンさんらしい。「手紙は、です・ます体ですよ」と教えたのは忘れてしまったようですが、気持ちは十分伝わりましたよ。ご心配いただき、ありがとう。
去年の10月に「あいうえお」のひらがなを覚えるところから日本語学習を始めて、実質6ヶ月半の学習でここまで書けるようになっている学生たち、ほんとうによくがんばっています。(学生たちの学習累計時間は、500時間ほど。日本の英語学習でいうと、高校2年生あたりの学習時間に相当しますが、私が高校2年生のころ、英語でこれだけの手紙を書けたと思えません。語学苦手な高校生でしたから)
いただいた薬草茶、菊の花のお茶は、「上火=のぼせ」に効くということですから、ゴタン医師の言葉どおりに、毎日少しずつ飲もうと思います。「のぼせ」は、心臓病や脳卒中にもなりかねないとの診断ですから、頭に血が上らないように、冷静にこれからも暮らしていきたいと思います。
夜中の1時2時に目が覚めてしまうのは、夜、ご飯を食べてお風呂に入るとすぐに眠くなって8時とか9時とか早々とふとんに入るせいだと思いますが、やはり、いろいろなことが気になって目覚めてしまうのかもしれません。今朝も1時に目が覚めた。もう一度寝ようとしても寝付けないので、真夜中のブログ更新。
薬草茶、体にも効くでしょうが、何よりも今の環境で、いろいろ心配してくれる人が周りにいると思う安心感が、心に効くだろうと思います。
そんなにガックリきているようすは見せていないつもりでしたが、宿舎の隣の部屋からは「手作り錦松梅ふりかけ」おかかや松の実が入ったおいしいふりかけをいただき、階下の部屋からは私が好きだと言った「韓国風じゃがいもお焼き」を手作りして差し入れが届きました。みな、老体がなんとか持ちこたえるよう、気遣ってくれて、ありがたいことです。
いろいろあるけれど、中国の毎日、やっぱり「日々是好日」です。
<おわり>