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ニーハオ春庭中国日記「果物バドミントン生け花」

2011-06-12 07:27:00 | 日記
2009/06/13
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教室中国版>果物の産地(1)ドリアンもイチゴもおいしい

 中国に来てうれしいことのひとつ。農産物が安い中でも、果物が安いことがありがたい。さくらんぼが一斤(500g)で20~25元(300~400円)程度だし、マンゴーの大きいのがひとつ8~10元(100~150円)、日本に比べると割安なので、ついつい市場に出かけると、あれこれ食べたくなります。

 それでも、学生に言わせると、海南島など南の地方では、バナナ1斤(500g)が2元ほどなのに、上海では5元、東北地方では8元にもなって、とても高く感じられる、ということなのです。確かにバナナ5本で120円だったら、農産物物価から見たら、高いほう。日本と同じ値段ということは、中国では高い果物です。それでも、皮を剥く手間なしに食べられる便利さで、朝ご飯にはバナナを1本加えることが多い。

 中国各地の特産品を紹介した学生の短作文を紹介しましょう。「だ、てある体の練習」として書いた時期の作文なので、誤用もまだ多いですが、学生がどのように間違うのかをお知らせするために、誤用のままに写します。

・インさん「ドリアン榴莲果」
 ドリアン(榴莲)は、果物の王様として、とてもゆうめいである。中国では広東省と海南島が、そのさんちとして特に有名である。4,5月になると、成熟した実が自然におちるが、とれてはいけません。むりにとれられば、実がおいしくないし、木にも有害しする。”金枕頭”と、”長柄”と”谷夜套”など四種類が人々に知られている。

・シンショウさん「蓮子(蓮の実)」
 「蓮子」は、暖かい地方で栽培される。湖南省産の蓮子は、「湘蓮」と言うが、中国で一番有名である。蓮花は7月に咲く。蓮花は普通の花より大きい。湘蓮は、たくさん種類がある。例えば、湘潭寸三蓮とか、桃源九渓江とか、いろいろな湘蓮がある。色の白いのもあるし、あかいのもある。夏頃から食べられる。

・レイショウさん「水稲」
 私の郷里は遼寧省の瀋陽市です。瀋陽は水稲の産地です。春になると、水稲の種を蒔きます。害虫や雑草をふせぐために、人々は農薬をかけて、いろいろ世話をして育てます。秋になると、水稲がとられます。機器で米になります。

・レイリさん「イチゴ」
 イチゴは十分な日光の地方で作られる。華中農業大学のイチゴ基地がその産地として、大学生に人気である。中国で、イチゴは7つ種類がある。そのほとんどは森林のイチゴと東洋のイチゴだ。
 夏イチゴは9,10月に植えられ、来年の3,4月ごろ熟れて成り、5月までにとられます。イチゴの実が赤くなった後で、木にとられ、箱に同じ方向を詰められ、冷蔵車や棚があるトラックに積まれて、市場へ運ばれます。

・エンテイさん「楊桃(ヤマモモの実)」 
 楊桃(ヤンタオ)は、あたたかい地方で作られる。浙江省と湖南省がその産地として、特にゆうめいである。楊桃の花、4月に咲く。そして、6月にみがたくさんなる。楊桃を口に入れて後木、すっぱくてあまいあじがある。とてもおいしい。
 楊桃にはいろいろ種類がある。色の赤いものあるし、紫色のもある。楊桃は全部丸い形だ。しかし、おおきいものもあるし、小さいものもある。楊桃はおぞんしにくいので、はこに詰められ、飛行機など、はやい交通工具で外の地方へ運ばれる。1年に2週だけ楊桃を食べられる。そして、スーパーや果物屋で楊桃が、見られない。

 私は、楊桃という果物を食べたことがないので、1年に2週間だけしか食べられないというのを食べてみたいですが、南の地方か、北京や上海のような大都市でないと、手に入れられないみたいです。

<つづく>
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2009年06月14日


ニーハオ春庭「臍橙、りんご、梨」
2009/06/14
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教室中国版>果物の産地(2)臍橙、りんご、梨

 昨日の記事の中、誤記がありました。楊桃は、和名は五歛子(ごれんし)。現在では「スターフルーツ」と呼ばれ、星の形をしたユニークな果物として輸入されています。私が台湾の市場の朝市で買ったスターフルーツは、とてもおいしかったです。
 しかし、エンテイさんが紹介してくれたのは、楊桃ではなく、「楊梅ヤンメイ」でした。「楊梅」は、やまももの実の一種です。ヤマモモだから、桃と思ってしまい、そのまま「楊桃」と転記してしまったのでした。エンテイさんの原文は「楊梅」だったのを気きづかせてくださった、wxm68971からのコメント、ありがとうございました。エンテイさんの果物紹介を再録します。(学生の誤字誤記はそのままにして写しています)。

 ヤマモモの紹介サイト
 http://www.ecp.kindai.ac.jp/press/column/tree/05.htm

・エンテイさん「楊梅(ヤマモモの実)」 
 楊梅は、あたたかい地方で作られる。浙江省と湖南省がその産地として、特にゆうめいである。楊梅の花、4月に咲く。そして、6月にみがたくさんなる。楊梅を口に入れて後、すっぱくてあまいあじがある。とてもおいしい。
 楊梅にはいろいろ種類がある。色の赤いものあるし、紫色のもある。楊梅は全部丸い形だ。しかし、おおきいものもあるし、小さいものもある。楊梅は保存しにくいので、はこに詰められ、飛行機など、はやい交通工具で外の地方へ運ばれる。1年に2週だけ楊梅を食べられる。そして、スーパーや果物屋で楊梅が、見られない。

・エイケイさん「臍橙」 
 重慶の奉節県が、臍橙(ネーブル)の産地としてとても有名です。それは一般11月にとれます。ネーブルに花が咲くところは、人のへそ(臍)についています。それで臍橙というのです。ネーブルにはいろいろな種類がある。そして栄養もちがうし、口にはり(い)る感覚も、ちがいで(ま)す。

・レイトウさん「フジりんご」
 烱台は、ふじというリンゴの産地として特に有名である。烱台は山東省の東にある。この地方は温かい地方である。太陽が照るのは十分である。5月にりんごの花が咲く。そして小さい実がなる。大きな実がなるために丈夫そうな実だけをのこして他のみがとってしまう。害虫をふせずために袋をかぶせるし、農薬をかける。この袋のためりんごの皮に農薬を残さない。りんごをとれた前、このふくろをとり日が照るとリンゴが赤くなるし、あまくなる。
 とれたりんごは、はごに詰められ、貨物列車や船やトラックに積まれて外の地方に運ばれる。そしてスーパーや果物屋の店先に並べられるのである。

・コウキさん「みかん」
 みかんは熱い地方で作られる。中国で南豊県はみかんの産地として特に有名である。冬になると小さい枝を切る。それに、ミカンの木を保温するために、木の回りに干し草をかけ、縄で木を巻き付ける。みかんの花は7月に咲く。
 みかんにはいろいろな種類がある。刑(形)の大きい物もある、小さいものもある。皮の厚いものもあるし、薄いものもある。また、秋頃から食べられるものや秋の終わりでなければ食べられないものもある。とれたみかんは、みかんに小さい袋をいちいちかぶせ、箱に詰められ、貨物列車やトラックに積まれて外の地方へ運ばれる。そして、町の果物やや八百屋の店先に並べられるのである。

・キンセイさん「白菜」
 私の故郷の遼寧省は中国の東北にある。中国の東北地方で有名な野菜は白菜だと思う。夏によ(な)ると、種をまき、芽が出、農薬をかけるし、野草を抜き、小白菜になる。秋の季節、白菜は大(き)くなると、農民らが、白菜をとる。トラックに載せ、市場やスーパーで売る。
 昔中国の東北地方にすんだ人々は、冬の時、一番多く食べた野菜は白菜である。白菜はたくさん食べ方がある。一番有名食べ方は、白菜を酸菜に作る、とてもおいしくて、中国の東北地方の人々は大好きだ。

・シンランさん「梨」
 私の故里は、梨の産地である。昔、貴州省は西南で梨の産地として特に有名である。今は外の地方で各種の新産名がでるから、有名ではなくなっている。本省の人が大好です。
 梨の花は4月に咲く。白い花がたくさんなると、雪のように美しいです。一本の木には、小さい実がなくさんなると、栄養が有限から、ただ丈夫な実が残してしまう。9月になると、梨の実が成熟する。そして、箱に詰められ、トラックに積まれて、各地へ運ばれる。人々がおいしい梨を楽しむことができる。

<つづく>
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2009年06月15日


ニーハオ春庭「蟹、桃、香瓜、冬棗」
2009/06/15
ニーハオ春庭・ニッポニアニッポン語教室中国版>果物の産地(3)蟹、桃、香瓜、冬棗

 学生の「ふるさとの名産紹介」の続き。
・カショさん「蟹」
 私の故里の大連が海産物が有名な地方として皆に知られている。海産物の中で、一番おいしいのは、かにだと思う。かににはいろいろな種類がある。形の大きいものもあるし、小さいものもある。かにの肉が多いためによくうれるものもあるし、かにの肉がおおくなくても、おいしくてよくうれるのもある。
 一年中食べられても、9月から10月の中旬までの間でなければかにがおいしくない。海でとれたかには、箱に詰められ、トラックに積まれて近くの地方へ運ばれる。短い時間で運ばなければ、新しくない。そして、市場やスーパーに置かれるのである。

・チョウケツさん「桃」
 私の故郷がももとして全国で知られる。一番有名な種類は常徳ももである。桃の」花は3月にたくさん咲く。遠くから見ると、ひろい海のようだ。毎年人々が大勢ももの景色を見る。ももの花は、おちる時実がたくさんなる。一本の木にあまり多くの実がなると、たた丈夫そうな実を残して、外の実はだんだんとってしまう。
 害虫を防ぐために、4月からももの実に農薬をかけることが必要だ。いろいろと世話をした後で、ももが成熟になる。6月に常徳ももが各地に運ばれ始める。まず、箱に詰められ、トラックに積まれて、外の町へくばられる。そして、市場や果物屋の店先に並べられ、各地の人がたべることができる。

・ソケツさん「冬棗」
 私のふるさと山東省の濱州市は、冬棗の産地として有名です。毎年10月に冬棗の実がなります。冬棗は大きくてとてもあまいです。しかし、冬棗の実ができる間は短いので、ほかの季節が食べられません。冬棗はたくさん栄養があるので、百果王ということが知られます。

・ショウケンさん「豆」
 中国は豆の産地として知られています。特に東北地方は豆が種かれます。豆は、秋にとれます。豆にはいろいろな種類がある。黄色の豆とか緑の豆とか、赤い豆とか、黒い豆もあります。豆には栄養がたくさんあるので、あまり食べると健康にいいです。

・ゴタンさん「香瓜」
 香瓜は、中国の北方で作られる。遼寧省と吉林省と陝西省と山東省と河北省がその産地として有名である。香瓜の芽はすいかに煮て、曲がって長くて、地面にふせう。香瓜の花は4月に咲く。そして、一本の芽に小さい実がとおぐらいなる。大木意味がでるために、丈夫そうな実が五つぐらい残して、外の実はとってしまう。
 葉に害虫がつくのを防ぐために、農薬をかける。実際は香瓜の実に害虫がつかないので、簡単に世話をして育てる。
 香瓜にはいろいろな種類がある。例えば、白糖缶、羊角密。形のおおきいものもあるし、ちいさいものもある。色の白いのもあるし、緑色いのもある。また、夏頃から食べられるものや秋の8月にならなければ食べられないものもある。

 ゴタンさんの紹介文「緑色い」という「新形容詞」が、かわいい。香瓜は、メロンのひとつ。とてもおいしくて安いので、私もよく食べます。冬棗、生ははまだ食べたことがないのですが、そのうち中国からの輸出品が日本にも出回るのではないでしょうか。ドライフルーツとしては、もう売られているようです。
http://guilin.fc2web.com/syoku/pages/k04.htm

<おわり>
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2009年06月16日


ニーハオ春庭「バドミントン」
2009/06/16
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(5)バドミントン
 
 6月13日土曜日、大学の体育館でバドミントンをしました。私の担任クラスの学生に「老師を遊ばせる会」を提案したうちのひとつです。第1回目の「動物園でパンダを見よう会」は大成功で、みな楽しく一日をすごし、おしゃべりもたくさんできました。

 第2回目の「牡丹園で老師と牡丹のどちらが美しいか比べよう会」は、私の博論中間発表打ち上げ会を兼ねるつもりだったので、「発表失敗につき、打ち上げもキャンセル」にしてしまいました。

 もう、牡丹は散ってしまったので、春庭センセとどちらが美しいか、比べることができなくなってしまいました。もちろん、よりいっそう美しいのは、、、、。なにしろ、私は、夫から「化粧しなくても美しい女性と、化粧しても美しくならない女性は化粧しなくてもいい。だから、あなたは化粧しなくてもいいのだ」と、言われてきたのですから、、、、。

 第3回目が、「老師にバドミントンを教えよう会」です。土曜日、午後1時半に体育館に集合。まずトランプカードをひいて男女ペアを決めました。私のペアはチョウケツさん。チョウケツさんは中国経済の研究をしています。大学院時代からの恋人シンランさんと同じ専門。同じクラスにいつもいっしょに座って仲良く授業を受けているカップルです。残念なことに、日本の留学先は別々になり、東京大学と慶応大学に分かれました。

 シンランさんは小学生時代から卓球教室に7年間通って、卓球は選手級。時間があるとき、いつもチョウケツさんといっしょに卓球をしています。だから、「センセー、チョウケツさんは、バドミントンが下手です」と、シンランさんはセンセのペアが自分の恋人になったことを気の毒がってくれました。といっても、日本の水準からすれば、チョウケツさんもなかなかバドミントンが上手でした。他の「選手級」の上手な学生ペアを相手に健闘したのですが、四戦四敗でした。みな、とても上手です。

 2面のコートを使い、試合のない人がレフリーをしました。私はレフリーできないので、試合をしていないときは、バドミントンの上手なショウケンさんとゴタンさんにバドミントンの基本動作を教えてもらいました。二人とも上手なコーチで、日本語で一生懸命、打ち方のコツを解説してくれました。ラケットをにぎる右腕、肩を動かして打つのではなく、肘を支点として、梃子の原理で振り下ろすのだということがわかりました。
 また、私はバックハンドがまったくできなかったのですが、打ち方を教わって、できるようになりました。何事も基礎を教わるのは大切です。

 最後に、私と一番強いヨウショウさんがペアになり、2番目に強いエイケイさんとクラスで一番若いカショさんペアと対戦。これは「老師へのサービス試合」です。
 ヨウショウさんが難しい球をほとんど拾ってくれたし、私もコツを教わっていくらか上手になったので、がんばって打ち返しました。

 ヨウショウさんは、カショさんをねらい撃ちして、激しいスマッシュを浴びせたのに対して、エイケイさんは、私が弱くても遠慮して狙い撃ちできない、という差があります。コートチェンジのとき、狙い撃ちされたカショさんは、ヨウショウさんのおしりをけっ飛ばすジェスチャーをしていました。
 3ゲームして、2対1で勝利。「接待ゲーム」の勝利、勝因は学生たちの気遣いの結果です。

 シンランさんは、デジタル一眼で撮影した写真を私のUSBにコピーしてくれました。「200枚とりました」と言っていましたが、今は写真をファイルで簡単に渡せるので、老師は「多ければ多いほどいいです」と、先週教えたばかりの文型を使ってお礼をいいました。
 私はバドミントンが上手になり、学生は日本語が上手になった土曜日の午後でした。

<つづく>
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2009年06月17日


ニーハオ春庭「カラオケパーティ」
2009/06/17
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(6)カラオケパーティ

 担任クラス3班のバドミントン大会は、13時半16時半まで。そのあと、1時間の休憩着替えタイムをとったあと17時半から大学内の食堂で、夕食パーティとなりました。
 トランプカードでテーブルの席を決めました。大テーブルふたつのうち、Aテーブルの私の右側はレイトウさん、左側はコウキさん。Bテーブルではにぎやかに中国語のおしゃべりが始まりました。Aテーブルは、学生ができるだけ日本語で話そうとして、中国語日本語チャンポンのおしゃべり。

 東北地方の料理がテーブルいっぱいに並べられたなか、辛い物が好きな四川省や湖南省の学生のために、「重慶水煮魚」という料理も出ました。この「重慶水煮魚」の作り方は、専門のコックに作り方をならったというソケツさんが、昨日16日のスピーチで、詳しいレシピを紹介してくれました。USBスライドで材料や料理中の写真を見せて、ひとつひとつ説明してくれましたので、私も料理法がよくわかりました。

 ソケツさんはクラスの女性中、ただひとりの既婚者なので、おしゃべりの中では「今、ご主人と離れて寮生活をしているソケツさん、ご主人に恋人ができたらどうしますか」などとからかわれていました。ソケツさんは「彼は私だけを愛していますから大丈夫です」と、切り返していました。

 男性で結婚しているのは、班長のキンセイさんひとり。今、奥さんは大連の大学にいますが、夫の国費留学に合わせて私費留学を決め、夫の指導教官と同じ研究室に所属することが決まっています。夫婦で同じテーマ「ナノカーボンチューブ」を研究する予定です。きっと夫婦協力の博士論文が立派に仕上がることでしょう。

 中国の大衆的レストラン中クラスの食堂の多くがそうであるに、カラオケ設備がついています。専門の「KTV」カラオケ店ほど曲数がありませんが、食事のあいまに交代で歌うには十分です。

 クラスきっての歌手は、班長のキンセイさんのほか、一番若いカショさんと、東工大への留学が決まっているシンショウさんです。この3人は、日本人教師歓迎学芸会のときも歌を披露していて、私は歌声を聞いていましたが、パーティでも、かわるがわる歌ってくれました。私とバドミントンのペアを組んだヨウショウさんや、コーチをしてくれたゴタンさんも歌が上手で、交代でうたったり、デュエットしたりしていました。

 私は、テレサテンの「時の流れに身をまかせ」を歌いました。どこのカラオケでもテレサテン(鄭麗君)の歌は必ずあります。日本語の歌をおいてないカラオケ店でも「北国の春」は、中国語版がおいてあるので、たいてい「北国の春」を歌うのですが、今回はテレサテンに挑戦。画面には日本語と中国語の両方の歌詞が出たので、私は日本語で歌い、学生たちは中国語で歌う、大合唱になりました。

 カラオケのつぎは、ゲーム大会。日本でもよく行われる、数字ゲーム。数字を順番に言っていき、3と3がつく数字、3の倍数は拍手するというルールです。中国にもこのゲームがありますが、今回は日本語限定版。中国語では皆上手にできるのですが、日本語になると、とっさの数字が出てこなくて、皆よく間違え、大笑いでした。間違いが多いのは、9と10です。なぜなら、中国語の9は「ジウ」と発音するので、日本語の「ジュウ」とよく間違えるから。9は3の倍数だから拍手をするだけの数字なのに、意識しすぎて9のときに「ジュウ」と言ってしまったり。

 間違えた人の×ゲームは、①皆に命令されたことをする②ビールをコップで一気のみ③秘密の告白、から選びます。男性はビール一気のみを選ぶ人が多い。中国のビールは2,5%くらいで薄いので、日本の大学では新歓パーティなどでの一気飲みは禁止されていると授業では説明したことがあったけれど、まあ、中国のビールだから大丈夫と目をつぶりました。

 私が×ゲームになったら、「先生は一口飲めばいいです」と、気遣ってくれました。再度の×では、ビールはやめて、「センセの体は章魚のように柔らかいことの披露」をしました。以前に教室で脚の180度開脚は披露したことがあるので(どこでもこれをやるのだが)、今回は背中を反らしてのブリッジを見せました。 

 「皆に命令されたことをやる」をするハメになった学生。「クラスで一番好きな相手を選んでダンスをする」とか、「結婚記念写真のように相手の肩を抱き寄せて写真をとる」などを命令されていました。
 「秘密の告白」では、「恋人との仲はどこまで進展しているか」などのきわどい質問もあり、「恋人とキスしたことがありますか」の質問にヨウショウさんは「もちろん」と答えていました。

 大笑いしてよく食べよく飲んで、最後に先生が「二日酔いしても、必ず月曜日には宿題を出しなさい」と、命令しておひらきになりました。
 ゴタンさんとヨウショウさんが、タクシーに同乗して、私の宿舎まで送り届けてくれました。タクシーを拾うところまでの同行だと思ったので、「ひとりで帰れるから大丈夫」と、言ったのですが、「先生の安全は学生の責任」というので、いっしょに来てもらいました。最後まで気遣いを忘れない学生たちと、楽しい一日を過ごせました。

 月曜日、みな宿題をちゃんと出しました。よい学生たちです。

<つづく>
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2009年06月18日


ニーハオ春庭「中国古箏」」
2009/06/18
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(7)中国古箏

 かって勤務していた大学で、私にとっても楽しみな授業のひとつが「日本と自国の交流史」という発表でした。学生が資料を調べ、発表原稿を作る。教師が添削し、プレゼンテーションのアドバイスをする。私にとっても、知らないことをたくさん学ぶことができ、学生同士でも、お互いに啓発し合える授業でした。
 そのなかに、「中国の琴と日本の琴の比較」という発表があり、現代中国で「中国古箏」と呼ばれている琴は21弦であり、日本の琴が13弦であることと違っている、音階は、どちらもヨナぬき、すなわちドレミソラの5音階であることなどを知ることができました。

 2007年には伍芳の古箏コンサートを聴き、ますます中国古箏の音色に惹かれました。若い頃、姉が生田流の琴のお稽古に通っているのにくっついていき、琴の音色はスキだけれど、正座して弾くのはごめんだと思って稽古を続けることはしなかったのだけれど、現代では山田流も生田流も椅子に座っての発表会も稽古もあって、正座がいやでやめたのは若気の至りだったなあと反省しきり。

 おもいがけず、中国古箏のお稽古をすることができました。クラスメートから「芸術家だから変人でもしかたがない」と、一目置かれているエイケツさん、昆曲(京劇の源流である演劇芸能のひとつ)や能楽の研究をしている女性で、クラス内では孤高を保っています。(ひらたく言えば、友達とのつきあいをしない)
 クラスメートからは「芸術家」として「敬して近寄らず」というつきあい方で、トイレにいくのも連れだって行く仲良しさん同士が多いなか、食事に行くのも寮への行き帰りもひとりで、私はいささか心配していました。いくら芸術家とは言っても、日本語の上達にはコミュニケーション能力を高める力が大いに関わっているからです。

 また、私自身が他人との顔を合わせるつきあいが苦手で、ごはんは他の人と話題を合わせながら気を遣って話をして食べるのが嫌い。ひとりで食べる方が気が楽、という性分ですから、彼女がいつもひとりでいることがいっそう気になってきたというわけです。

 エイケツさんは、日本人教師歓迎学芸会でも琴の演奏を披露し、クラスの皆もエイケツさんの芸術センスを認めています。そして『論語』の中のことば「鬼神は敬してこれを遠ざく」すなわち、鬼とか神様のような力があって、その力をどう使うか予測しがたいものには、軽々に近寄らず、少し距離をとったほうがいいということを実践し、彼女に近づこうとしません。決して排斥はしませんが、いっしょにトイレに行く人はいない。

 「老師を遊ばせる会」というのは、実は日本語の会話機会を作るための方策のわけですが、動物園散歩にもバドミントンにもカラオケパーティにも参加しなかったエイケツさん。一対一でもいいから、なんとか会話するチャンスを作ろうと、「古箏を習う会」を企画しました。琴の弾き方を教えるのはエイケツさん。習う人、クラスで募集したかったのですが、まず最初は私が習ってからと、6月11日に第一回目。6月15日に第二回目のお琴教室を開催。個人教授で教えてもらいました。

 弦が21本ということも日本の琴と違いますが、爪もだいぶ違います。細い爪を指に対して45度に置き、絆創膏でぐるぐる巻きにして弾きます。最初は爪をつけずに、自分の指と爪で練習。音階、楽譜の読み方を教えてもらいました。2回目は、私がネットから採譜した「さくらさくら」を弾いてみました。

 他の学生たち、コミュニケーション能力が高く、多少文法や発音が違っていても、持ち前の表現力でどんどん会話するようになっているのに対して、エイケツさんは、今もぽつぽつと単語を並べていく方式をとっています。それでも、琴を教えるという行動のなかで、一生懸命日本語で説明しようとする姿勢は伝わってきました。

 「芸術家だから、少々変わり者」とみられているエイケツさんですが、ほんとうにデリケートな精神の持ち主で、細やかな感情を持っているのです。
 他のイベントは一回だけで終わりにし、次は縄跳び大会の練習、次は太極拳とつぎつぎに学生といっしょにやりたいことがあるのですが、お琴教室はあと何回か続けたいと思っています。

<つづく>
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2009年06月19日


ニーハオ春庭「生け花教室」
2009/06/19
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(8)生け花教室

 日本は梅雨が続いていますね。留守番の娘や息子からのメールで、いつもは自転車通学の息子、雨の日は、大学まで自分のパソコンをかかえて地下鉄とバスを乗り継がなければならずたいへんだというメールも届きました。自転車なら15分で行ける「自宅から一番近い大学」という条件で選んだ大学なのですが。
 
当地、例年の6月とは大違いで、日本のようなじめじめした日が続いています。5月メーデー連休後、30度を超す暑い日が続いたと想ったら、最高気温16度というふうに一気に下がり、また暑くなってまた下がるという急上昇急降下の気温、そろそろ脂っこい中国料理に胃がもたれてきた、という理由などで、体調を崩す同僚が出てきました。

 私は、今のところベリーダンス練習のおかげで体調は順調です。ベリーダンス、始めた5月は週1日水曜日だけでしたが、6月前半は月水、後半は月水金の週3回というがんばりようで、これはやはり「1年分の授業料先払いしたのだから、モトとって帰ろう」という貧乏症の効用です。
 食べることも食べているので、あまり痩せはしませんが、体調を整えるために、体を動かして運動することはとても効果があると思います。

 来週からはクラスの縄跳び練習に参加するつもり。6月末日に学内縄跳び大会があります。大縄とびは、10人が何回連続して跳べたかを競います。個人縄跳びは1分間に何回跳べたか、回数の多いほうが勝ち。この1分間に何回、という縄跳び競技、中国のテレビにこの縄跳びチャンピオンが出て、1分間に300回近く跳んでいました。この「1分間に何回跳べるか」は、大学入試の「体力検査」にも使われた、ということです。
 体力勝負は、入試も授業も同じです。 

 同僚たちのほか、日本語教師団の団長夫人も体調が悪くなったそうで、心配です。
 団長夫人は、毎週2回、「生け花教室」を開いて、学生たちの好評を得てきました。
 生け花教室は、1回につき5名ずつ学生に教えてきました。日本から持ってきた剣山の数が5つだったので、5名ずつということになったのですが、先生と会話をしながら花を生けるには、ちょうどいい人数だったようです。

 私のクラスからも、男性2名を含め生け花に挑戦しました。花材はその日によって異なり、カーネーションの日もガーベラの日もありました。先生が「日本ではどの花屋でも見かけない」という花材だったときもありましたが、皆、先生の教え通りに熱心に生け、同じ花材を使い同じ構成に生けているのにそれぞれの個性が出た形に仕上がりました。
 私はカメラ係で、学生が生けている様子や、最後の記念撮影を担当しました。

 花に顔を寄せて、さてどう剣山に刺そうかと考えている学生は、いつもの日本語授業のときの顔とも違う熱心さで、とてもよい表情をしていました。
 ちょうど希望者が一巡したところだったので、生け花教室は、先生の体調回復までお休みということです。剣山の数が足りないので、学生の数が4人だったときは私も生け花を習おうと思っていたのですが、次回開催まで、待つことにいたしましょう。

<つづく>
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2009年06月20日


ニーハオ春庭「卒業シーズン」
2009/06/20
ニーハオ春庭>ニッポニアニッポン語教師日誌中国版(9)卒業シーズン

 6月は、卒業シーズン。中国の各地の学校では卒業生たちが、記念写真をとったり、クラスメートと思い思いの卒業旅行を楽しんだり、卒業論文があまりよい成績でなかったので、がっかりしたりという光景が繰り広げられます。

 日本語講師室には、隣の学舎で日本語を学んできた「ビジネス日本語科」の4年生ふたりがアシスタントとして交代で勤務し、コピーをとったりお茶をいれたり、秘書として日本語教師を手助けしてくれています。この助手さんふたりも卒業を迎え、7月はじめにはそれぞれの故里に帰ります。

 19日には、二人は「卒業ガウン」をレンタルして、友達と写真を取り合いました。
 卒業ガウンのレンタル料は、40分が8元。20分延長すると4元。つまり1時間のレンタルが12元になります。しかも、レンタル屋のガウンの数が限られているので、仲良し同士が誘いあってひとつの貸衣装屋でガウンと四角い学士帽子(と呼ぶのかどうかわかりませんが)をかり出しても、せいぜい10着単位で、クラス全体で集合写真を写すには数が足りないので、順番に借りて、図書館前とか学部玄関前などで、互いにデジカメを取り合う。お金のある人は、カメラ屋を呼んで本格的な写真をとるけれど、普通は、友達同士で取り合うので十分だということです。

 講師室アシスタントのふたりは優秀な人たちで、卒業後の進路、一人は中国重点大学のひとつである四川大学の大学院修士課程への進学が決まっており、9月からは故里の四川省に戻って日本語研究を続けます。卒業論文は、日本語の敬語表現について。
 もうひとりは、宮崎駿研究という卒業論文を仕上げ、宮崎駿の世界観やアニメ表現についての論をまとめました。
 卒業後はビジネス日本語学科の5人のクラスメートとともに、中国工業のメッカ深[土川]にある日系企業オリンパス(奥林巴斯)への就職が決まっています。日本でも大学生の就職難が続いているし、中国でも就職市場にかげりが出てきたと聞きますが、日本語をしっかりまなんだ学生を日系企業も必要としているのでしょう。

 さて、中国の大学で、卒業までに要した費用を調べてみました。
 入学金 ナシ(最近増えてきた私立大学には、入学金を取るところもあるが)
 授業料 1年3500元~20000元(学部によって違う)×4年
 寮費  1年 800元~2000元 ×4年
 食費  一日10~20元×30×12×4=約3万元
本代、携帯電話、電子辞書など     約5000元 
服、靴など  約2000元~5000元
旅行その他娯楽費
 などなど、4年間で10万元前後はかかります。中国の一般的な年収平均から考えると、大学費用は、高い買い物になる。 

 大学卒業後の初任給は、会社によってちがいますが、1500~3000元。福利厚生のよい大企業だと、住まいは会社の寮があるところが多く、給与は可処分所得とみなしてよい。初任給の額は、各会社でそれほど差がないように見えても、寮のあるなし、昼食券を出す会社かソウでないかなどによって、可処分所得が違ってくる。

 それにしても、大学卒業までにかかった費用、親が苦労して捻出してくれた家庭の子は、親の支援に報いようと、必要経費を除く所得は、親への仕送りにする人も多い。

 現在、私のクラスの中級日本語の授業では、『野口英世』という読解文章を扱っています。英世の努力がかかれている文章ですが、あわせて、私は、英世の母、野口シカの子を思う気持ちを紹介しています。シカが苦しい家計の中、息子野口清作を学校に通わせるために、暇を惜しんで働いたこと、息子の渡米後は、息子の無事と成功を祈って帰りを待ち続けたことなど。ひらがなで書かれたシカの手紙を紹介すると、自分の親の苦労を思って、しみじみする学生も出てきます。

 大学の卒業式まであとわずか。学部卒業までの日々を心残りなくすごし、卒業後に活躍してほしいと願っています。

<つづく>
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