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ニーハオ春庭中国日記「合隆鎮のシャンユエ」

2011-11-03 13:18:00 | 日記

ニーハオ春庭「合隆鎮の旅店」
2007/07/31 火
ニーハオ春庭中国通信>合隆鎮の旅店

 中国の宿泊施設、名前のあとに「大酒店・酒店」や「大飯店・飯店」とあるのは高級ホテルが多い。上階は宿泊施設で、1階や2階はレストランになっている。

 北京東方君悦大酒店(グランド・ハイアット・ペキン)、北京飯店(ペキンホテル)、上海四季酒店、(シャンハイフォーシーズンホテル)、香格里拉大飯店(シャングリラ・ホテル)、など。
 一泊300~500usドル。日本円で一泊5万円以上となると、とても私にはおそれおおくて利用できません。

 ホテルや百貨店、会社や官庁などの建物など、大きな建物は、「大厦(ターシャ=ビルディング)」と名乗っていて、ホテルの名前でも、大厦がある。哈爾浜竜門大厦(ハルピン・ロンメン・ホテル)、延吉白山大厦(イェンジン・ベイシャン・ホテル)など。

 名前の後ろに「賓館」とあるのは、星つきも星なしもある。
 8月に大連で宿泊する予定の大連賓館(ダーリェンビングヮン)は、三つ星。旧満州時代に設立された旧ヤマトホテル。名建築の誉れ高い老舗です。

名前だけは「賓客の館」でも、賓客を迎え入れるのはとてもできそうもないっていう雰囲気のところもありますが、名乗るのは勝手。

 次は「招待所」クラス。大学の職員や公官庁の招待所には、ホテル並の設備が整っている所もあります。
 町のなかに「招待所」と看板が出ている所は、だいたい安宿。30~70元(450~1000円)くらいで泊まれる。

 町にも村にもある「旅店」となると、部屋は、ほぼベッドの幅。ベッドのわきに人が通れるだけの隙間があり、トイレは共同。安全面を考えると、バックパッカーをのぞき、一般の観光客は利用しないだろうと思います。
  
 前に来たとき、合隆鎮には旅店があると、バスから見ていました。
 泊まるところがあることはわかっていましたが、そこがどれくらい安全か、については、最終的に自分の判断に頼るしかありません。ほとんどの所は安全ですが、万が一の場合は、自分自身の責任です。

  中国は、安宿でも安全なほうといえますが、人様にはすすめません。衛生面で、たとえば、シーツを換えてなくても平気な人でないと、旅店はちょっと、、、。

 この、「清潔感へのこだわり」も人それぞれ。大学外国人専門家公寓は、毎週水曜日がシーツ交換日で、服務員が取り替えてくれました。
 しかし、洗濯の仕方が気に入らないと言って、自分でシーツを買ってきて、自分で清潔にしたシーツでないと安心して眠れないという人もいました。
 他の居住者が使ったことのあるバスタブはいやと言ってシャワーだけで半年すごした人もいます。

 私のこだわりは、「大勢の人が直箸で大皿から料理をとる中国式の食べ方では、他の人が箸をつけた食べ物が食べられない」という点。
 私の前に新しい皿がきたとき、一番先に私がとりわけ、あとは食べないので、宴会料理、私はあまり食べられない。

 宴会では十皿二十皿の大皿がテーブルに並ぶのですが、新しく来た料理は、一番目上の人の前に置かれます。
 勤務部署の宴会では、「日本では、料理を取り分けるとき、別の箸を使う」ということを知っていて、取り箸を用意してくれるのでいいのですが。
 
 合隆鎮の旅店。バス発着所からぐるりと見渡し、一番近くに目に入ったところへ行きました。
 フロントのおねえさんは、まあよさそうな人だし、部屋を見せに二階へ案内してくれたおばちゃんも気がよさそう。それだけで信用してはいけないこともあるけれど、ま、今夜はここでいいでしょう。

 フロントのお姉さんは、「一泊20元」と言います。田舎の旅店なのに、ちょい割高と思いましたが、「听不懂 チンブートン=耳で聞いても理解できない、わからない」で、筆談だけの日本人、しかたないなと、宿泊決定。

 部屋は、日本の言い方なら4畳半くらいの広さ。セミダブルベッドとテレビと帽子かけがある。あんどん部屋で窓がありません。窓がある部屋がいいと希望したのですが、「没有メイヨー」
 実は窓側の部屋があいていたのですが、その部屋はよくない、というのです。

 中からドアノブ押しボタン式の鍵はかけられるけれど、外からかける鍵は渡されないので、共同トイレに行くために部屋をでるのでも、いちいち財布カメラケータイなどの貴重品は持ってでなければならない。

<つづく>



2007/08/01 水
ニーハオ春庭中国通信>合隆鎮の串焼き店「魏味佳」

 旅店の共同トイレは、しゃがみスタイルの中国式。一応水洗。紙の備えはなし。各自で持ち込み。
 中国式トイレは、和式のように金かくしがついていない。デパートや公官庁も、西洋式腰掛けトイレはほとんどなくて、あるのは、星つきホテルくらい。
 たぶん、ペキンオリンピックめあてに改装しているところでは、西洋スタイルが増えていくのでしょう。

 紙は横のごみ箱に捨てる。うっかり水に流すと詰まるおそれがある。水流が弱いのと、紙が水に溶けないことが多いので。
 私が住んでいる専家公寓は腰掛け西洋式ですが、一度に紙を流すと詰まるのは同じ。3月に到着したばかりのころ、同僚が二人、トイレをつまらせて大騒ぎしたことがありました。

 中国流儀、たとえば、乾杯でコップを合わせるとき、目下の者は、必ず目上の人より、コップを低くして合わせなければいけない、などの作法は同僚に教えてあげたのだけれど、どうもトイレの話などはしにくいので、教えてやらなかった結果、詰まらせてしまったのです。つまらない話と思っても、話しておくべきでした。

 旅店の洗面室にはトイレと洗面シンクだけで、シャワーなし。手洗い流し台に、プラスチック洗面器がおいてあり、体を拭きたい人は、これを利用する。
 まあ、旅店の設備はこんなものです。

 宿が決まったので、夕食を食べに。
 旅店の隣の隣の店。赤い看板に「紅火一方・魏味佳・焼[火考]美食店」と書かれています。
 もう9時をすぎているので、「食事できるか」と尋ねてみると、串焼肉ならできるが、他の料理は、もう料理人が帰ってしまったので、できないといいます。

 9時すぎは、夕食を終えてからのビール&白酒タイムなので、しかたがありません。
 私も、ビール&串焼肉にしよう。

 「魏味佳」の店。注文をとったりビールを運んだりしているのは、40代と30代、20代くらいの人、3人。肉を焼く人は、おじさん。
 お手伝いをしている小学生くらいにみえる子は、この店の子どもなのでしょう。
 会話が不自由でへんな発音のお客さんのようすを興味津々で眺めています。
 頭の横と後ろを短く刈り上げたヘアスタイル、胸にウルトラマン(もどき)のキャラクターがついたTシャツを着て、ハーフパンツをはいています。

 おばさんが、蒸餃子はあるというので、焼き串と餃子を注文しました。海老焼き、烏賊焼き、肉焼き。土豆片(薄切りジャガイモ)など。茄子(チエズ)は、没有(メイヨー=ない)でした。

 ほかのテーブルの人たちがジョッキでビールを飲んでいるので、私も指さし会話で「あれと同じの」と、注文。
 お手伝いをしていた子が、ビヤ樽からコップにビールをつぎましたが、コップ4分の1くらいしかでてきませんでした。
 「没有メイヨー」と、申し訳なさそうな顔をするので、「没関心メイクヮンシー=だいじょぶ、気にすんな」

 おばさんが、瓶ビールならあるというので、「冷たいのがあればもらう」と、注文。
 瓶ビール、冷たいのがない店が多い。ビール、夏でも常温のビールを好む人が多い。
 でも、「魏味佳」では、冷蔵庫から冷たいのをだしてくれました。

<つづく>
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2007年08月03日


ニーハオ春庭「合隆鎮の串焼き肉と饂飩」
2007/08/03 金
ニーハオ春庭中国通信>合隆鎮の串焼き肉と饂飩
 
 「魏味佳」の焼き串、烏賊や海老が焼き上がってきました。
 ビールを注ぎ損ねた子が、話したそうにしています。
 「你是小学生嗎?(ニーシー シャオシュエシャン マ)」と尋ねると「我是、中学生」と言います。
 私が「中国語を話せる」と思ったらしく「?????」と話しかけてきたので、あわてて私の愛用語「听不懂 チンブートン=聞いてもわからない。理解できない」と言い、筆談開始。

 名前は「魏祥ユエ」ウェイ・シャンユェ。ユェは扁が王で、旁が月。[王月]
 店の外の炭火焼きのコンロで串焼きを焼いているお父さんの名は「魏喜[イ書]」。
 ああ、名字が魏だから、店の名が「魏味佳」なのね。明白了(ミンパイラ=わかった)。

 少しでも自分を大きく見せたい年頃なのに、小学生か?って聞いてしまってごめんね。でも、胸のウルトラマン(もどき)のキャラクターがかわいいので、つい「小学生?」なんて聞いちゃったんだよ。
 借り上げヘア、カッコいいよ。中学1年生。9月からは2年生になるんだよね。

 「いつ中国に来たの?」
「今年の3月」
 「毎日ここに来ているの?」
「毎日じゃない。前に一度合隆に来たことがあって、今日は二度め。だけど、もう一回こられるかどうかはわからない。もうすぐ日本に帰るから」
 「明日は何時に合隆を離れるの?」
「明日、夕方までに家に帰る」
 夕方は、学生のクラスパーティによばれています。5時に専家公寓のロビーで待ち合わせ。

 あれこれ、筆談しているうち、中国の学校はもう夏休みになったはずだ、と思い出しました。
 夏休み中で時間があるなら、近所を案内してくれるよう、頼みました。
 8時半から10時半くらいまで、ガイドの契約成立。ガイドといっても、シャンユェが知っている場所は学校くらい。「小学校と中学校」を案内してもらうことになりました。

 「シャンユェの学校はここから遠いの」
「150mくらい離れたところ」
 それなら、私でも歩いていける。

 私が担当している博士課程留学クラスの級長さんは、子どものころの思い出話をして、「田舎で育ち、学校までは毎日2kmくらい歩いて通った」と、話していました。
 田舎出身の学生は、皆勉強熱心で努力家、青雲の志に燃えています。

 合隆の旅店泊まりの朝は、6時起床。あんどん部屋では気分が悪いので、勝手に窓のある部屋に移りました。窓のある部屋はよくない、とおばさんが言ったのは、窓の外は大通り(長隆大街)で、車の音がウルサイかららしい。
 私は音が大きくても明るくても寝られるのだから、こちらの部屋にしてもらえばよかった。

 7時半に魏味佳が開店するというので、朝食を食べることにしました。
 朝食は「麺条=うどん」を注文。
 
 日本で「うどん」というと小麦粉をこねて薄くのし、細長く切った麺を「汁」に入れて食べるのがほとんどですが、中国にはさまざまな種類の麺類があります。
 粉も、トウモロコシの粉も米の粉も、そば粉もあり、切り方も、こねて団子状の固まりにしたのを、包丁で削って釜に放り込んで茹でる刀削麺もあるし、両手で引っ張りながら細く細くのばしていくのもあります。
 日本のような汁に入れるうどんより、具といっしょにたれで和える方式のほうがいろんな種類がある。

 日本の汁うどんに一番近いのは「蘭州ラーメン」
 こちらでラーメンと注文して出てくるのは、日本人の感覚でいうと「うどん」。
 日本でいうラーメンは、こちらでは「日式リーシー=日本式」で、日系や香港系の資本の店のメニューにはありますが、中国の人は日式ラーメンを美味しいとは思わないみたい。

 魏味佳の「麺条」は、たれで和える方式でした。香菜と肉味噌をまぜる。
 麺の量は、日本の感覚でいうと3人前くらいある。

<つづく>
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2007年08月06日


ニーハオ春庭「合隆の中学生」
2007/08/06 月
ニーハオ春庭中国通信>合隆鎮の中学生

 8時半からガイドをしてくれる約束のシャンユェが魏味佳にはいないので「シャンユエはどこ?」と聞くと「她去上学了(あの子は学校へ行ってる)」

 「あれ?、もう学校は夏休みになったんじゃなかった?学校があるなら学校優先だよね。ま、いいか。」

 うどんを食べているうちに、8時半になり、シャンユェが帰ってきました。
 おばさんに、何か説明しています。どうやら、私と約束したからと早引けして帰ってきたみたい。夏休み中の塾へ行って来たみたいです。

 シャンユェは、中学生1年生。英語を習い始めて1年になるけれど、私の中国語と一緒で、文字を書けば意味はわかるが、聴き取りや会話はあまりできません。
 9月から中学2年生になるのに備えて、夏休み中も村の英語塾へ行くことになっていたのに、勉強をさぼらせたのなら、悪いことしちゃった。

 しかし、塾は毎日あるけれど、この田舎に日本人などめったにやってこないのですから、「中国語が話せない人」といっしょに過ごすことも、中学生にとっていい夏休みの思い出になるんじゃないかと、いっしょに出かけることにしました。

 シャンユエ、今日はハーフパンツではなく、アディダスのスエットパンツ。
 中国のアディダスは、adidosだったりすることが多いのですが、adidasでもadidosでも、ナイキと並んで男の子には人気のブランドです。

 最初は、シャンユェが卒業した小学校。煉瓦を積んだ壁の校舎に古い木製の学童机と椅子。黒板には色チョークできれいに、「夏休みを元気にすごそう」とか書いてある。
 教室の窓や校庭に出るドアは「7月12日封印」と書かれた紙が貼ってあり、夏休み中の教室には子どもが出入りできないようにされています。
 教室によっては、業者が入り、床や壁の改修工事を始めているところも。
 
 教室は、日本のと比べればもちろん、都市の設備が整った小学校に比較しても、校舎も古いし、設備も悪いことは見て取れますが、壁には児童のペン字や図画が貼ってあり、どの国の小学生も、一生懸命に勉強してきて夏休みを迎えたのだなあ、と思いました。

 その次にシャンユェが案内してくれたのは、村役場にあたる、合隆鎮人民委員会。たぶん、この地域で一番立派な建物なのでしょう。

 役場の裏庭は、果樹園になっており、シャンユェは、実をひとつひとつもぎながら、「これは梨子、リーズ」「リーズ」「ちがう、リーズ」と、何度でも四声の発音矯正。「杏子、シンズ」「シンズ」「ちがうよ、シンズ」
 なかなか厳しい中国語の先生です。
 シャンユェにとっては「こんなにやさしい中国語なのに、どうしてできないのか」と思うので、容赦がありません。

 アンズやユスラウメをもいで、「食べてみて」とこちらによこします。「ピングヮ=青りんご」は、まだ実が堅くて、食べ頃にはなっていませんでしたが、アンズはまあまあ。
 ユスラウメは、「桜桃」と呼ばれているもののひとつだそうです。日本では「桜桃」といえばサクランボのことだけなので、桜桃の指し示す範囲が日本語と中国語では違うことがわかりました。

 次は合隆商場。日差しが強くなってきました。
 「很熱(ヘンルゥァ)暑いね」と、言うと、シャンユェは市場の前に露天を出しているジュース屋からイチゴジュースを買っておごってくれました。氷の入った飲み物で、少しは涼しくなるかという心遣いです。
 氷と色つき果汁の素とシロップ、甘く煮た豆などを入れてシェーク。太いストローで豆を吸い上げて食べます。

 市場のなかは、なかなかの広さ。私は衣料品コーナーで10元の膝丈夏ズボンを、夏のパジャマにちょうどいいと思って買いました。

 市場の次は、中学校。校庭には草が生えてしまっていたり、乾燥のあまり、土がひび割れていたり、教室もさきほどの小学校と同じように、煉瓦作りの簡素なものです。
 市中の大学付属中学校などからみたら、貧弱な中学校ですが、夏休みが終わり新学期が始まれば、シャンユェたちの元気な声が校舎にも校庭にも満ちることでしょう。

 7月14日に出会ったシャンユェ。いっしょに撮影した写真をコピーして、届けることにしました。せっかく仲良くなったのだし、バスで1時間はそう遠くもないので、気軽に出かけられます。
 1週間後の7月21日土曜日の夕方、合隆鎮へ再び出かけました。

 「你好ニーハオ」と、魏味佳の店に入ると、店の人たち、にこにこして、「ニーハオ、你来了!」
 写真のコピーを見せると、店の人たちは大喜びでした。しかし、シャンユエの姿がみえないので、たずねると、「シャンユエは長春の親類宅に行っている。あなたに会おうと思って宿舎に電話をしたのに、通じなかったと言っている」

 ええっ、私はシャンユエに会いに村へ来たのに、シャンユエは私に会いに町へ行ってしまった。すれ違いの恋人同士みたいじゃないの。

 宿舎の電話が通じなかったのは、あとでわかったことだけれど、宿舎の電話線切断があったからです。
 夏の間に暖房の修理をしておくということで工事があり、工事人が何を間違えたのか、電話線を切ってしまうというミスがあったのです。
 電話が通じなかったり、インターネットが不通になったりはしょっちゅうでしたが、よりによって、シャンユエが電話してくれた日に電話線をちょん切らなくても、、、、。

 店のおばさんはシャンユエとケータイで話をしていましたが、シャンユエは明日の午後戻ってくるが、あなたはそれまで合隆にいられるかと聞かれました。シャンユエに会いにきたのですから、もちろん、シャンユエが戻るまでいるつもりです。

 日曜日、午前中ヒマなので、浴池(銭湯)へ。
 シャワー室3元。アカスリ用手袋を3元で購入して、アカスリを頼みました。
 韓国旅行をしたときは、旅行会社のコミッションを含んだ値段なので、岩盤浴とセットで5千円したのに、合隆のアカスリ代は5元(75円)

 シャワーで汗を流してからアカスリ台へ。使い捨ての薄いビニールシートを敷いたベッドにタオルもかけずに横になり、おばさんが、てねいにこすってくれるにまかせます。
 仰向けになり横になりうつぶせになり、おわってお湯で流してもらうと、すべすべになっていて、手で足や背をこするとツルツルしました。

 脱衣室の片隅にベッドがあり、「抜灌ボークァン」をやっていました。
 ガラス製のお椀をツボの上に載せて空気をぬき、中を真空状態にする、お灸と同じ効果の民間療法です。
 私はお灸というのをやったことがないのですが、せっかくのチャンスですから、抜灌を体験することにしました。

 パンティだけはいてうつぶせになると、アカスリのおばさんが、背中にガラス椀を載せていきます。空気を抜いて真空にするとき、痛かったです。やめようかと思ったけれど、がまん。
 全部で20個のガラス灌が背中に。
 比較的短い時間で「これでよし」になりました。鏡に映してみると、7センチくらいの赤黒い丸い痕が背中一面についています。

 夏の町を歩く男の人たち、上半身裸の人も多く、この抜灌の赤い丸が背中にある人を見かけたことがあります。入れ墨にしちゃあ、あまり芸術的な模様とはいえないと思ったものでしたが、これで、あの赤黒い丸の正体がわかりました。
 私の背中にも、いれずみのような丸模様。いったいどれくらいまで、赤黒い痕が残るのやら。シャンユエはいつ合隆にもどるのやら。

<つづく>

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2007年08月07日


ニーハオ春庭「麻辣緬と兎おいしかの山」
2007/08/07 火
ニーハオ春庭中国通信>麻辣麺と兎おいしかの山

 抜灌を終えて、魏味佳に戻ると、おばさんは「蒸し餃子を食べて」と、出してくれました。食べ終わってすることもないので、シャンユエに上げるつもりで持ってきた腕時計やセーターを出して、「これをシャンユエにあげてね」と、託しました。

 さて、帰ろうかとしたら、シャンユエが親類のおばさんや従姉妹(堂姐妹)といっしょに帰ってきました。

 いとこの女の子を、シャンユエは「我的妹妹(メイメイ)」と紹介しました。一人っ子の中国には「妹」も「弟」もいないのですが、こうして「いとこ」を兄、弟、姉、妹として育つのかもしれません。
 シャンユエの従妹、馬可心は、小学校5年生、9月からは6年生です。シャンユエとはとても仲良しのようす。

 シャンユエは、可心といっしょに「麻辣麺」を食べに行こうといいます。この間行った合隆市場の近くの店。
 私はたった今、魏味佳で蒸し餃子12個を食べたばかり。でも、せっかくシャンユエがいっしょに食べようと言ってくれたので、麻辣麺の店に行き、半分くらいはなんとか食べました。

 私が頼んだのは、涼皮(リャンピ)というジャガイモでんぷんでつくったトコロテンのような麺です。半透明でツルツルの食感。日本では、「片栗粉」として売られているジャガイモ澱粉。

 日本で料理するとき、片栗粉といえば、鳥から揚げを作るとき小麦粉と混ぜたりするくらいで、このように、片栗粉で麺を作るというのはしたことがありません。
 中国には、小麦粉だけでなく、トウモロコシ粉、米粉などさまざまな麺があります。

 カウンターの前に並べられた籠のなかに、青菜やジャガイモ薄切り、ニンジンなど、具が入っています。好きな具をどんぶりに好きなだけ放り込み、麺の種類を告げて渡します。
 具と麺をさっと茹でて、どんぶりに戻します。次は、好きな調味料を指定して、あえてもらいます。

 私は例によって「不辣」と言って、唐辛子を入れないようにしてもらいましたが、それでもほかの調味料にも辣いものが入っているので、汗をかきかき、水を飲みのみ、麺を食べました。麺はシャンユエのおごり。

 可心とシャンユエは、楽しそうにおしゃべりしながら食べています。
 食べ終わって、市場で飲み物を買い、飲みながら帰りました。飲み物は私のおごり。

 帰り道、白ウサギの耳を持ったおじさんに遭遇。道ばたでウサギ肉を作り始めました。
 う~、うちのペットは黒ウサギ。

 日本では、肉は薄切りや角切りにしてから店先に並びます。丸ごとの食材として並ぶのは、魚はあるけれど、豚の姿のまま、牛の姿のまま店先に並ぶことはありません。クリスマス時期に七面鳥や鶏の丸焼きが売られる程度でしょう。

 命ある動物を殺し、自分の口に入る肉ができあがるのだという現実を見ないようにして食べているのですが、これは「食育教育」としては間違っている。
 魚が切り身で泳いでいたわけじゃないのと同じく、肉は薄切り肉として野原を駆けていたのではない。

 命ある生き物を殺し、他者の命を自分にもらうのだという感謝の心を持たない子供、一度失われた命はもとに戻らないという感覚を持たない子供が増えているのも、自分の命と他者の命を見つめることなく育つからなのかも。

 私も、町育ちの可心も、うさぎから血を抜くシーンを見て、「ワァ」と言って、目を逸らしてしまいましたが、本当は、ちゃんと見ておくべきだったのかもしれません。

 今回の中国滞在では、狗肉、鹿肉は食べましたが、兎肉は食べませんでした。兎肉、食べればおいしい。鶏肉と同じ淡泊な味です。
 ♪兎追いしかの山~と、兎を追いかけたのは、鬼ごっこをして遊んでいたわけではなく、追った次には「兎美味し」にするためですが、どうも、私たちは肉を食べるとき、生きていたときの姿を思い浮かべることなく、毎日食べています。

 中国料理店、店の前や中に食材をそのまま客に見せる形式のところがあり、店の中が動物園のように見える。
 鳩、兎、蛙、亀(スッポン?)、なんでもアリの食材動物園。

 客はしっかり生きのよさを確かめて、こっちのウズラより、そっちの鳩のほうがうまそうだ、なんて品定めをして注文します。
 町の子どもは、「この生きている動物を食べるのだ」と、見ているし、田舎の子は、自分の家で鶏でも兎でもまるごと自分たちで料理するのです。
 私たちは、命を分け与えられて生きています。

 人と人も、お互いに分け与え合って生きています。シャンユエが麻辣麺を私に買ってくれて、私はジュースを買ってあげて、ささやかな分かち合い。
 全部は理解できなくても、なんとなく通じてしまう筆談と、笑顔で通じる心と心、これも人と人の交流のひとつ。

<つづく>
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2007年08月08日


ニーハオ春庭「中国的家族パーティ、シャンユェの一族」
2007/08/08 水
ニーハオ春庭中国通信>中国的家族パーティ、シャンユェの一族

 魏味佳にもどると、店に集まっていた人々が「これから皆で食事しにいくから、いっしょに行こう」といいます。
 蒸し餃子食べたばかりで、麻辣麺も食べて、この上食事とは。

 でも、せっかくのお誘いなので、何が何やらわからないまま、ついて行きました。
 自分の家が食堂なのに、わざわざよそに食事に行くのも、何か特別なお祝い事でもあるのでしょう。この前来た日は、シャンユエのお父さんの誕生日でしたが、1週間後に一族そろってまたお祝い?

 シャンユエがテーブルについた人々について紙に名前を書いて説明してくれました。
 お父さんの魏喜[イ書]には、4人の姉妹がいる。
 大姉が魏淑華(ウェイ・シューファ)その息子、蘭中華((ラン・チュンファ)。
 二姉が魏淑芳(ウェイシューファン)その娘[厂兼]魏[女行]。このシャンユエの従姉妹は学校の教師をしているそうで、英語で簡単な会話ができ、通訳をしてくれました。
 三姉が魏淑霞(ウェイ・シューシャ)その息子、鄭福発(ジョン・フーファ)。5歳くらいのかわいい男の子です。
 四姉が魏淑ロン(栄のツをとった上に草冠)(ウェイ・シューロン)、その子馬可心(マ・クァーシン)。小学生のきりっとした利口そうな女の子。
 そしてシャンユェの父が魏喜イ書。それぞれ、父親の名字を次ぐので、いとこたちの中で、魏を名乗っているのは、シャンユエだけ。

 私も、私の家族の名前を紙に書いてシャンユエに教えました。シャンユエは、私と夫が同じ名字だと知って驚いていましたが、「日本では結婚すると、夫婦は同じ名字になるのだ」と、説明。

 「夫婦別姓では、家族の一体感が保たれない」と説明する別姓論反対者がいるけれど、それなら中国や韓国の夫婦別姓方式では、全部の家族が崩壊していることになるよね。
 「別姓だと家族が一体感が保てないという論は間違っている」ということや、過去の日本は、名字を持っていた人たちも、夫婦同姓ではなかったこと(北条政子は源頼朝と結婚しても源政子と名乗ったりしなかった)などは、説明がむずかしいので、私の「いいかげんな中文」では、伝えられませんでした。

 結婚の届けを出すとき、夫はさも男女平等論者風に「結婚は嫁に行くのでも嫁をもらうのでもなく、男女は平等。法律では、男性女性、どちらの姓を名乗ってもいいことになっている。どちらの姓を役所に届けるか、じゃんけんで決めよう」と、言いました。
 賛成、賛成。男女平等。じゃんけんぽん。夫はチョキ。私はパァ。あ、負けてしまった。

 負けたので仕方なく、私は夫の姓を名乗ることになったのですが、息子が生まれたころ、種明かしをされました。
 じゃんけんをするとき、私はいつもさいしょにパアをだすのだって。私のじゃんけんの出し方を、夫は知っていたのです。
 私は、自分では全く気づいていなくて、「じゃんけんで負けたのだから、しかたがない」と、あきらめていたのです。ああ、だまされた。
 というような裏話も、日本語で話すとうけるのですが、私の中文では説明できません。

 大人との筆談では、日本の漢字は読めないことがあっても、繁体字を書くとなんとか理解してくれるのですが、シャンユエは簡体字以外の文字を書くと、「間違い」と思って簡体字に訂正してくれます。シャンユエの知らない繁体字で書いても、理解してくれないので、筆談でも通じないことがあります。

シャンユエに聞いたら、この日のように5人がそれぞれの配偶者や子どもを連れて一同に集まるのは、1年に1度か2年に1度のことなのだって。
 今回は、二姉の娘が結婚相手を皆に披露するための集まりだったみたい。この娘さんは、師範大学を出て教師をしており、近々軍人と結婚するので、親戚にこの軍人さんを会わせるために集まったのだということでした。
 中国では、結婚しても女性は姓が変わりません。

 しばらくは、ビールで乾杯したりしておつきあいしていましたが、一家の宴会に加えていただいたお礼を述べ、途中で失礼して、帰りのバスにのりました。

 久しぶりの一族大集合の宴会なのに、へんな外人が紛れ込んで申し訳なかったけれど、もうすぐ結婚する娘さんが「Welcome our family party.」と、言ってくれたし、まあ、一族邂逅の「だしもの」になったと思えばいいかな。

 家族パーティに参加させてもらったお礼というわけでもありませんが、シャンユエを私の宿舎に招待し、町を案内しようと思い立ちました。
 
<つづく>
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2007年08月09日


ニーハオ春庭「動物園で性転換して南湖公園へ」
2007/08/09 木
ニーハオ春庭中国通信>動物園で性転換して南湖公園へ

 ジョウさん、シャンユェを招待して、いっしょに市内で遊んだ2日間。
 7月28日土曜日は動植物公園と南湖で、29日日曜日は、郊外のテーマパークですごしました。

 7月28日土曜日に動物園ですごしたことは、7月29日に書きました。

 この動物園で、ジョウさん、シャンユェとダチョウを見ていたときのこと。
 「ダチョウの羽がふさふさしている方が雄。茶色の地味な方が雌」などと話していたら、ジョウさんが、「彼女はダチョウをはじめて見たそうです」と、言う。

 え?シャンユエのこと彼女だって?ジョウさんは、ときどき日本語を間違えるので、私がいつもheとsheを言い間違えるように、間違えたのかな。

 「シャンユエは彼女じゃなくて、彼、でしょう」と、ジョウさんに言うと「でも、シャンユェは、私は女の子ですと、自分で言いました。私も最初男の子かと思ったのですが、名前の文字が祥[王月]というので、確かめたんです。ユエの[王月]という文字は、女の子の名前によく使われる文字ですから。そしたら、女の子だから女の名前の文字なんだと言っていました」

 私は何度もシャンユェと会っていっしょに過ごしてきたのに、動物園でダチョウの前に来るまで、ずっと少年とばかり思っていたのです。
 日本でも、高校ソフトボールチームとかに、このような「超ボーイッシュ」な少女がいますが、中国で出会ったのは初めて。

 中国の女の子、ひらひら飾りのついたスカートやリボンが大好きで、過剰に「フェミニン」スタイルをしている子が多い。
 中国だって、シャンユエのようにひらひらスカートを好まない子がいることに思い至らなかった。
 日頃は、ジェンダーフリーを標榜しているのに、すっかり「男の子は青、女の子はピンク」式のジェンダー記号に染まっていたことになります。

 シャンユェ、髪を刈り上げスタイルにしていても、ハーフパンツにウルトラマン柄のTシャツを着ていても、女の子。

 少年を女性ひとり住まいの部屋に泊めることに考慮して、シャンユエのお父さんには、いろいろ説明しておきました。
 我が家は2室あり、シャンユエは寝室のセミダブルベッドに泊まってもらう。私は居間のシングルベッドのほうで寝る。部屋は各室とも鍵がかかるから、などと、部屋の図面まで書いて、少年が安心して泊まれることを強調しておいたのですが、、、、。

 お父さんは何をくどくど説明しているのだろうと思ったことでしょう。
 アハハ、たとえ部屋に鍵がないとしても、オバハンは少年を襲ったりしませんってことを伝えたかったんですけどね。
 でもまあ、少年じゃないことがわかり、気兼ねなく泊まってもらえます。

 シャンユエがボーイッシュガールだったことがわかってみれば、私がシャンユエを一目見て気に入った理由も納得できます。私は、ボーイッシュな女の子が好きなのです。
 それにしても、、、、、どう見ても少年です。

 よくよく思い出して、筆談用紙を見てみると、シャンユエのおばさんに「シャンユエはどこ?」と、私が尋ねたとき、紙に「他去上学了」と書いたあと、「他」の「イ」の字を修正して「女」に変え、「她」の字になおしたあとがありました。
 おばさんは、単純に「彼=他」と「彼女=她」の字を間違えたのでしょうけれど、私はそのとき「他」と「她」の字の意味の違いにまったく気づきませんでした。

 動植物公園で1時から3時ごろまですごしたあと、次は南湖公園へ。

<つづく>
21:19 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2007年08月11日


ニーハオ春庭[南湖公園
2007/08/11 土
ニーハオ春庭中国通信>南湖公園

 南湖は、人工湖で、昔は市の水をまかなう浄水湖でした。今は、郊外に浄月潭や新立城水庫などの浄水用の人工湖ができ、南湖は市民の遊楽公園になっています。
 白樺や落葉松の林が広がる中、広さ93ヘクタールという湖。
 冬はスケート、夏はボートや釣り、水泳など、市民の憩いの公園です。

 地図でみれば横の幅が広いところ1km、縦は細長いところもありますが、2kmくらいの広さがある湖です。
 北側の広い湖と南側の細長い湖の間には、南湖大橋がかかっています。

 山中の川をせき止めたダム湖などではなく、都市の中心部を人工的に掘った湖としては、北京の頤和園の中に掘られた昆明湖に匹敵すると言われています。頤和園は、西大后の避暑地としての歴史的な価値もあり、1998年に世界遺産になっていますが、こちらの南湖は、庶民の憩いの場。

 以前、ひとりで南湖公園を散歩したときには、湖の中に水草が生い茂っていました。
 2007年の夏は、過去20年間でもっとも水草が繁茂したということで、湖の水質も悪化したため、市は500人の水草清掃人を投入。6月に10日間をかけて、水草除去を徹底しました。
 今年は暖冬で、湖面の凍結が短かったことが水草繁茂と関係しているのかもしれません。

 「昔は冬になるとスケート場になったのに、近頃は氷が薄くなって危険だから、スケートはできない」と、ジョウさんは言っていましたが、実際には少しは滑れたみたい。例年は、厳冬期3ヶ月はスケートが可能なのに、今年の冬は暖冬で滑れたのは1ヶ月くらいで、あとは氷が溶けてきてスケートには危険になってきたということのようです。

 南湖でボートを借りました。
 湖に出る全員、救命ジャケットを着ることを義務づけられています。

 ジョウさんもシャンユェも「ボートをこいだことがある」というので、足踏み式やモーターボートでなく、手こぎボートを借りたのですが、まず、湖のなかほどまでは、私がひとりでこぎました。
 私は、故郷の榛名湖や赤城大沼でよくボートこぎを楽しんだので、「昔取った杵柄」ならぬ「昔漕いだ櫂」です。

 ジョウさんが「これは、日本語でなんといいますか」と聞くので「昔は櫂といったけれど、今は外来語でオールと言っています」と説明。

 合隆の小学校中学校にはプールがなく、大きな川や池もないので、シャンユェは「泳げない」というのですが、まあ、大丈夫と、湖の中心までいきました。
 年寄りの私を気遣って、ジョウさんが「交代します」と言うので、漕ぎ手交代。しかし、ジョウさんひとりでは漕ぐのがむずかしそうなので、シャンユェとふたりで漕ぐことにしました。

 ふたりで並んですわり、片方ずつオールを持って漕いだのですが、なんだか同じ所をぐるぐる回っているばかりで、いっこうに前進しません。ふたりが漕いでいるところを写真に撮ったあとは、また私が漕ぎ手になりました。

 南湖大橋のあたりまで行って、橋の向こうに広がる湖を見ようと思っていたんだけれど、疲れたので、橋で二分されている湖の半分だけ見て、元のボート発着所まで戻りました。

<つづく>
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2007年08月12日


ニーハオ春庭「長影世紀城3Dムービー」
2007/08/12 日
ニーハオ春庭中国通信>長影世紀城3Dムービー

 南湖から宿舎に戻ったあと、ジョウさんは、大学の友達と食事する約束があるというので、夕食前に分かれ、宿舎で休んでからシャンユエと夕ご飯を食べに出ました。

 私はカレーライスとかハンバーグステーキとか、合隆では売っていない食べ物をシャンユエに食べてみてほしかったのですが、シャンユエは「慣れた食べ物のほうがいい。冷麺を食べよう」というのです。

 シャンユエの家は食堂なのだから、普段家では食べないようなものを食べる方がいい経験になるだろうと思ったのですが、ケンタッキーのハンバーガーは、あまりシャンユエの口にあわなかったようで、慣れた料理のほうが美味しいということなのでしょう。

 シャンユエは、冷麺と家常菜を注文し、支払いをすばやくしてしまいました。
 私がシャンユエを招待したのだから、私が払うと言っても、ずっとおごられているばかりではかえって気兼ねなようで、「今度はおごる」と言ってききません。
 冷麺はシャンユエにごちそうになることにしました。

 シャンユエは、夜10時には寝るというので、「晩安ワンアンお休みなさい」と、寝室で休んでもらいました。

  7月29日日曜日、ジョウさんとシャンユエと、「長影世紀城」へ行きました。市の郊外南方にあるテーマパークです。
 朝9時半に家を出て、タクシー40分弱でつきました。思ったよりも遠かった。

 車に乗り慣れないシャンユエは、カーブの多い道にちょっと酔ってしまったので、帰りは軽軌鉄道で帰るということにしました。

 「軽軌鉄道」は、市の南側から西側をまわり、北側の鉄道駅まで市の中心部半周している、高架鉄道。
 2007年冬季アジア大会の前に、昨年12月に開通したばかりです。

 私が通勤するキャンパスの前に「大学前」という駅があるので、何度かこの軽軌鉄道んに乗ったことがあります。
 市の中心部にある宿舎近くには最寄り駅がなく、バスかタクシーの乗り継ぎが必要になります。それで、面倒なので行きはタクシー一本にしてしまったのですが。

 「長影世紀城」は、ふたりとも、まだ一度も入ったことがないというアミューズメントテーマパーク。
 映画の制作会社が運営している、「映画テーマパーク」です。2005年5月29日に鳴り物入りでオープンした娯楽施設です。

 「最新鋭の映画技術を投入した3Dムービー、4Dムービー」の上映が主なアトラクションです。
 と、言っても、日本でさまざまな種類の3Dムービーを見てきた者にとっては、特別「最新」とびっくりする映像はない。
 ジョウさんとシャンユエにとっては、初めての3Dだったので、大喜びでした。

 はじめて3Dをみる中国の人にとっては楽しめると思うけれど、地元の人にとって入場料240元は高すぎる。レストランのウェイトレスの月収は500~800元。

 日本で30万円の月給を得ている人に、ディズニーランドパスポート券15万円といったら、彼女をデートに誘うには勇気がいるでしょう。二人分のチケットを買ったら、月給がおわってしまう。
 上海北京などの「高収入地域の人」が、「この町にきたから観光していこう」という場合に一番ちょうどいいのではないかと思います。

 動感球幕影院「魔方星城」。
 椅子ががたがたゆれたりカーブしたりするのを体感しながら、目の前に宇宙旅行の映像が展開し、宇宙怪獣の体に飲み込まれたかと思うと、また宇宙空間に放り出される、という3Dムービー。

 私は、ジョイポリスだったかディズニーランドだったかで、同じコンセプトのムービーを見たことがありましたが、映像については詳しくないので、これが「最新3D技術」なのかどうかについてはわかりません。

 シャンユエはとても気に入ったようすで、「1時間も待ったのに、見ているのは15分くらいで、短い。もっと見ていたい」と言いました。でも、ジョウさんは「ここと、宇宙森林は一人一回しか乗れません」と説明。

 「宇宙森林」はディズニーランドの「スペースマウンテン」と同じ。ジェットコースターとしては、それほどの急降下や急カーブはないけれど、真っ暗な中を走るので、体感速度が倍増する仕組み。

 一回しか乗れない「3D魔方星城」と、「宇宙森林」のほかのアトラクション、水で煙幕を作った上に映像を映し出すムービーや、レーザー光線によるムービーなど。

 シャンユエは、4Dムービー「世紀明珠」で、ネズミが出てくるシーンで椅子の下がゴニョゴニョ動いたり、大蛇がすぐ目の前にいるように見えたりすると喜んで、終わって外に出てくると、いつもはクールなボーイッシュガールなのに、大興奮でジョウさんに話しかけていました。

<つづく>
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2007年08月13日


ニーハオ春庭「ヒーローショウ」
2007/08/13 月
ニーハオ春庭中国通信>長影世紀城ヒーローショウ

 入場者数は、夏休みの日曜日といってもそれほどの人数が入っているようには見えないのに、1時間待ちのアトラクションもあったのは、アトラクションの実演時間が短いため。
 一日の上映時間が決められていて、人気の高いアトラクションは、すぐに満員になる。それで、並ぶ必要があるのだけれど、終日上映にすれば、全部のアトラクション利用時間を合わせても、3~4時間あれば、ひとまわりできるはず。
 並んでいる時間のほうが長かった。

 私が「園内のレストランでお昼ご飯をたべよう」と言っても、シャンユエはお昼を食べて時間を取られるよりも、ひとつでも多くのアトラクションを利用した方がいい、という熱中ぶりでした。
 お昼ご飯は、園内の売店で串に刺したソーセージをかじっておわり。
 家が食堂なので昼ご飯は毎日食べられるけれど、この遊園地には、そうそうは来ることができないでしょうから、私もソーセージかじってランチ。

 「英雄秀場ヒーローショウ」は、昔、後楽園遊園地で娘や息子と見た「なんとかレンジャー」タイプの、ヒーローが怪獣と戦うショウなのかと想像していましたが、映画製作所のアトラクションなので、コンセプトは「戦争物映画の撮影風景」

 太った「リーベングイズ」の軍人がジープに乗って登場。
 愛国抗日の英雄ゲリラたちが、派手な銃撃戦やゲリラ活動によって勝利をおさめ、高々と紅旗を掲げるまでを、映画撮影風景として見せるのです。
 防火服をきて背中に火をつけて転げ回ったり、2階の屋根の上から飛び降りたり、ワイヤーアクションで空中銃撃戦を演じたり。

 派手に銃を撃ち合うのは、子どももいっしょに入場するアトラクションとしては、日本ではできないでしょう。
 アクションは楽しめましたが、やっぱりこの地では、「日本鬼子リーベングイズ」は悪役をふられるなあと思うと複雑。

 「悪いのは軍国主義者、一般日本人民は軍国主義者の被害者である点で、中国人民と同じ」という史観や、日中戦争時代を「許せ、しかし忘れるな」と教えているので、一般の旅行者や居住者がいやな思いをさせられることはないですが、必ず悪役をふられる側に存在する人間であることは事実ですから。

 シャンユエがこの次この遊園地に来られるのはいつになるかわからないから、全部のアトラクションを利用して帰ろうと思ったのですが、4時半の「英雄秀場Hero Show」を見終わったら、もうどのアトラクションも終了しており、5時半閉場といっても、実際にはアトラクションは5時で全部おわり。13のアトラクションのうち、3つは結局入れませんでした。

 全部のアトラクションを見ることはできなかったけれど、ジョウさんもシャンユエも、とても楽しんでくれたので、私としては、大満足の一日になりました。

 5月に山東省世界遺産をみるツアーに参加したとき、私とジョウさんのバス座席のすぐ前に若いカップルがすわっていました。150cmくらいの彼女と180cmくらいの彼の身長差カップルだったので、印象に残ったのですが、このカップルに偶然また会いました。
 2人連れは仲良くアトラクションを楽しんでいましたが、人口600万人の町で、5月旅行と7月テーマパーク、2度も会ったのはよくよくご縁があったのでしょう。いっしょに写真を撮りました。

<つづく>
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2007年08月14日


ニーハオ春庭「夏休みの思い出」
2007/08/14 火
ニーハオ春庭中国通信>夏休みの思い出

 長影世紀城の入場料金がひとり240元(3600円)。
 これは、中国の物価水準から考えると、とても高い値段です。
 昨年の都市地域外の一般勤務者の平均年収が1万元(約15万円)を超えた、と新聞に出ていました。都市部では、もっと高い年収になるでしょうが、大学新卒月給でも、1000~3000元くらいです。

 一家3人で遊んでお昼ご飯を食べれば1000元くらいかかりますから、月収1000~3000元の生活をしている人にとって、そう簡単には遊べない。
 1元のバスにのって、10元20元で夕食を食べている私にとっても、240元は「高い!」と感じる値段です。

 それでも長影世紀城へ行ってみようと、ジョウさんとシャンユエを誘ったのは、ジョウさんに対しては、今まで中国語の家庭教師として世話になったことへのお礼の気持ち。シャンユエに対しては、「特別な夏休み」をプレゼントしたい、という一種のサンタクロース的楽しみからです。

 日本人と知り合っていっしょに過ごしたということだけでも、シャンユエにとっては今までにない夏休みになったことと思いますが、これから先、長影世紀城という文字を見るたびに、私を思いだしてくれるのではないか。
 シャンユエは、中学時代の夏休みの一日、日本人のおばさんといっしょに遊園地へいったこと、忘れないでいてくれると思います。

 私にとっても、どんな美しい風景の観光地より、歴史的遺産の文化施設を見学するより、ひとりの中学生と友達になり、お互いに言葉は十分には通じないまま、おぼつかない筆談で会話し、心通じ合ったというひとときは、忘れがたいものになりました。
 シャンユエはお父さんに電話して、もう一泊してよいという許可を得ました。

 夜、シャンユエと折り紙をして過ごしました。シャンユエは「中国折り紙」で蛙や舟を作ることができます。
 私がつるの折り方を教えると、すぐに覚えて、2羽3羽と折っていました。
 
 鶴の羽や蛙のおなかに、「工作順利(仕事が順調にいきますように)」「一家幸福(一家が幸せでありますように)」などの、さまざまな寿言を書き込み、寿言を送る相手として、私の夫の名前も書き込んでいます。

 「あれ?どうして、夫の名前を知ってるの?あ、そうだった、私が書いて教えたんだったね」
 魏一族の家族パーティで、お互いの家族の名を教え合ったとき、私の夫の名前も、レストランの伝票の裏に書いて教えたのですが、シャンユエはしっかり覚えていたのです。

 私も、シャンユエの名前を忘れないよ。
 シャンは祥、ユエは王扁に月。
 [王月]は、「淑」や「麗」の字のように、女の子の名前に使われる文字だということも覚えました。

 シャンユエは、刈り上げヘアスタイルとウルトラマンのキャラクターTシャツが好きな女の子。きりっとりりしい女の子です。

 再見!シャンユエ。きっといつかまた会える。

<おわり>

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