2007/08/17 金
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(1)
8月3日に、妹&姪と大連で合流し、大連賓館に一泊。
大連賓館は旧名ヤマトホテル。古いけれど、満州時代は市内随一のホテルでした。天井が高くて、部屋も広々しています。
妹がホテルについてすぐにしたことは。
私が「3月からの海外旅行保険は90日間の保障だけなので、今は保険の期限が切れている」という話をすると、すぐに日本の友達に電話をかけ、私の保険を申し込みました。
もうすぐ日本に帰るのだし、保険、手続きするの面倒だなあ、と思っていたのですが、8月3日から帰国までの保険を申し込みました。
8月3日の夕ご飯は、友人のハンさんと娘さんのシンシンちゃんを招待して海鮮料理レストランへ。
妹はトゲトゲ大きなウニのカラを割ってもらい、山育ちの身には最高の贅沢とご満悦です。
姪とシンシンちゃんはすぐに仲良しになりました。
童顔の姪のことを「私よりちょっと年上のお姉ちゃん」と思いこんで仲良くなっている9歳のシンシンちゃんに、「このおねえちゃん、来年は三十路だ~」とはバラさないでおきました。
8月7日、妹と姪が日本へ帰る前の晩、夕ご飯は、友人のハンさんが自宅でごちそうしてくれることになりました。
ハンさんが買い物をすませるまで、私たちはいったん大連賓館へもどり、買い物場所で待ち合わせ。
待ち合わせ時間までの時間つぶし、妹のリクエストは、マッサージの店。
ハンさんは、日本人の友人達がよく利用していたという日本語が通じる店へと案内してくれました。「手足情」という店です。
わたしは「マッサージはいいや」と思って、妹を姪にまかせて大連賓館に戻り、近所の古い建物の写真をとったりしていました。
大連中山広場の周囲は、旧満州時代の建物がたくさん残されています。
70~80年前の建設途上の大連で、建築家たちが競い合い、思い思いの近代建築を並べたのではないか、と思える、さまざまな近代建築見本帳のような広場です。
http://www.uraken.net/world/dalian/dalian03.html
写真をとっているうちに、ぼつぼつと雨が降ってきたので部屋にもどり、妹たちの帰りを待ちました。
ハンさんが店の人に「終わったらタクシーを呼んで、大連賓館までと、タクシーの運転手に言ってね」と指示してくれたので、妹と姪だけで無事ホテルに帰ってこられました。
母と娘、ふたりだけで行動する時間というのもあってよかったんじゃないかしら。
ぽつぽつ降り出していた雨が、小雨になってきたので、急いでまたタクシーを拾いました。
ハンさんと待ち合わせの場所でタクシーをおりたときには、どしゃぶり。
妹は傘をもってこなかったから、傘を買いたいと、いいます。
大型スーパーに入り、私も大連の蝦飴などおみやげを買って、レジで支払いをすませました。妹は出口近くで傘を選んでいます。私の意識は妹の方へ向いていました。
雨のなか、タクシーを拾いやすいところまで歩いている途中のこと。
妹が急にキャーと叫びました。どうしたどうした、また転びそうにでもなったか。
わけがわからないうちに、大量の紙がばらまかれました。えっ、えっ、何がおこった?どうしたこれは。
「ど、どろぼう!、どろぼうに髪ひっぱられた。頭なぐられた」と、妹。
<つづく>
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2007年08月18日
ニーハオ春庭「大連でスリに遭遇(2)」
2007/08/18 土
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(2)
道にばらまかれたのは、姪の鞄の中味。
領収書や小銭の1元札などがばらまかれています。
とにかく、なんだかわからないまま、私は大急ぎで道にまかれた小銭入れや紙を集めました。
妹は、前を歩いている姪の鞄に手をつっこむ男の腕が傘の下に見えたので、「ギャー」と、さけんだのでした。
気づかれずに仕事をすませるはずのスリは、気づかれてしまったので、あわてて、鞄のなかからつかみだしたものを道路にばらまいた。仕事のじゃまをした妹の頭をなぐって逃げた。
姪は、雨に濡れた道路に気を取られていて、鞄に手を突っ込まれたことにまったく気づかず、妹が叫ばなければ、大金が入ったほうの財布まで手が入り込んだのかも知れません。が、さいわい、道路にばらまかれたほうは、小銭入れでした。
ハンさんの家では、ハンさんのお姑さんが料理を作って待っていてくれました。
シンシンちゃん、ハンさんのご主人のリュウさんといっしょに、心づくしのごちそうをいただきました。
ゆであわび、ほたて、生ウニ、木耳の炒め物、きゅうりのあえもの。肉饅頭。どれもお姑さん自慢の家庭料理です。ほんとうにおいしかった。
スリにすられそうになったという話も、姪の財布は助かったので、リュウさんやお姑さん達に何が起こった伝えるのも「武勇伝」めいています。
おいしい海鮮家庭料理をいただきながら、私は、姪に説教します。
おしゃれな服を着て、小粋な帽子をかぶっていた姪に対し「そんなガイジンっぽいおしゃれな格好をしているから、スリに狙われちゃうんだよ。私みたいに、10元のTシャツきて、よれよれのジーンズはいて、50元のスニーカーはいて歩いていれば、スリも近づいて来ない」と。
ところが、ところが。
ホテルに帰って、買ったものを整理しようと、私が持っていたバッグの中味を全部だしてみたら、、、、
財布がなかった!
スリが姪の鞄を狙ったのには、前段階があって、スーパーで買い物をしたあと、傘を選んでいる妹に気をとられていたとき、すでに私の財布はすられていたのでしょう。
いつそんな目にあったのか、まったく気づきませんでした。自分の財布でなければ、「さすが、技術をみがいているだけありますなあ、いや、見事な仕事っぷり」と、言いたいくらい。
こんなマヌケな一行だから、ついていけば、もう一度うまい汁が吸えると、スリに目をつけられ、後を付けられていたのだと思います。
しかし、姪の鞄を狙ったことは、妹に発見されて失敗。
<つづく>
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2007年08月19日
ニーハオ春庭「大連でスリに遭遇(3)」
2007/08/19 日
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(3)
けっきょく、一番のマヌケは私、ということになりました。
ぐやじい!!!
妹や姪といっしょだし、中国人の友人がいっしょなのだからと、油断をしていたってこともありました。
しかし、考えてみると、今回は財布ごとすられたので、無くなったことに気づいたのです。いつもは、お金がなくなったことにすら気づかない。
いつも、500元くらいまでのお金は財布にいれずにそのまま服のポケットにつっこんでおき、適当にお札をだして支払う方式の私、これまでも、きっとすられていたんじゃないかと思います。
財布を持っていると狙われるから、レジで財布からお金を出し入れするな、中国人のように、ポケットに小銭を小分けしてつっこんでおけと、忠告されていたのですが。
持って出たお金と買い物したお金の収支が合わないのは、私の計算力がないせいだと思っていました。
「また、今日も買った値段と支払った値段が合わない、計算弱いからなあ」と、思ってすごしてきましたが、きっと何度もすられていたのかもしれません。今回もすられたことにまったく気づかなかったということを考えると、これまでもまったく気づかれずにすられてきたのだろうと思います。
マヌケです。
すりにしてみれば、こんなウスぼんやりしたおばはんのポケットを狙うくらい、朝飯前のことだったでしょう。日本にいたって、私は毎日注意力散漫で、物をなくす、置き忘れる、どこにしまったかわからなくなる、なんて、日常茶飯事なのだから。
そんなこんなの「大連でスリに遭遇」の一幕でした。
8月3日に保険にはいっておいたおかげで、そう被害甚大でもなくすみました。
本当は私たちが警察に出向いて被害届を書いてもらわなければならないところ、翌日は私は北京に、妹と姪は成田へと出発しなければならず、飛行機の時間を変えるのはまたたいへんなので、ハンさんが書類関係のことは全部処理してくれました。
出会っておくべきは、よき友人。出会わずにすませたいのは、スリひったくり。
え~、別段海外旅行保険会社に頼まれたわけでもありませんが、宣伝をひとつ。みなさん、旅行に出るさいは、保険に加入しておきましょう。何がおこるかわかりません。
<大連のスリおわり>
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2007年08月20日
ニーハオ春庭「善悪功罪勝敗陰陽、なんでもアリが「地球歩くコツ」
2007/08/20 月
ニーハオ春庭中国通信>善悪功罪勝敗陰陽、なんでもアリが「地球歩くコツ」
妹と姪が中国ですごした最後の夜。
スリに頭をなぐられ、ショックを受けた妹でしたが、友人ハンさんご一家の歓待を受け、中国に対して嫌な思いをひきずらずに帰国できたことは幸いでした。
悪い人は、日本にもどこの国にもいます。
たまたま大連で人様の財布を盗ろうとする者に出くわしたのは災難でしたが、中国13億人全員が悪いということはありません。私も半年の中国滞在で、たくさんのよい人に出会えました。
ただ、どの国を旅する場合でも、「他の国に比べれば安全な日本に住んでいると、自分自身で守らなければなければならない携行物や自分の身への注意力が不足してしまいがちだ」ということは意識すべきでしょう。
個人旅行者よりもツアー旅行者に「パスポートをすられた」というような事件が多いのも、ツアーだと「自己管理」という気になりにくいからかも。
私がスリに財布をすられたのも、「中国人の友人といっしょ」という気のゆるみがあったからだと思います。
保険加入のおすすめと共に、「中国にスリがいたからって、中国全体が危険な国というわけではありません」ということと、
「でも、来年の北京オリンピックには、たぶん、中国中のスリが北京に集まってくるよ~」というご注意を。
当局が取り締まりに目を光らせる度合いも強まるでしょうが、そこは、スリたちだって、「腕の見せ所」と、待ちかまえているにちがいありません。
広い中国、「なんでもアリ」です。
以前、「四つ足のものは机以外のものすべて、空飛ぶものは飛行機以外のすべてを食べるのが中国料理」ということを書きました。
「食」以外の分野だって同じこと。どろぼうの技術も4千年の歴史のなかで磨かれているに違いない。
妹と姪は、「スリにあった」という経験も「旅のみやげ話」として、西安や大連で買い込んだ土産物と共に、成田行きの飛行機で帰国しました。
最初にスリ話をしてしまいましたが、では、これからゆっくりと西安大連でこぼこ道中のおはなしを。
ツアーで効率よく名所を見て歩くのとはまたひと味ちがう、「地球の迷い方」満載の道中になりました。
<つづく>
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2007年08月21日
ニーハオ春庭「でこぼこ珍道中in西安」
2007/08/21 火
ニーハオ春庭中国通信>でこぼこ珍道中in西安
8月4日朝、大連から西安へ。飛行機で2時間。
西安の宿は、五一飯店という大衆中華でにぎわうホテル。西安繁華街の中にあり(東大街351号tel-87681098)、1階が大衆レストラン、2階がフロントと西安・淮揚料理のレストラン、足浴マッサージの店。3階以上が客室。
格安ツアーの「キャンペーンクラス」に利用されるホテルです。
五一飯店、「西安グルメガイド、安くてウマイ店」と、ガイドブックには出ています。淮揚料理の有名店だとか。
名所旧跡より何より、美味しい料理を食べられることが旅行の第一目的という食いしんぼ姉妹の旅なので、まずは腹ごしらえ優先で。
客室は、安いけどまあまあ。トリプル室を予約したのだけれど、ツイン部屋にエキストラベッドを無理矢理押し込んで、きちきちってかんじ。
でも、ま、いいか。ホテル見にきたんじゃなくて、兵馬俑を見るんだし、おいしいご飯食べればいいんだし。
添乗員も現地ガイドもいない旅にとって、ことばができないのはやはり不自由でした。
筆談とブロークンイングリッシュで、コップの数が足りない、とか、フロアスタンドがつかない、とか、交渉。
五一飯店HP(中国語と英語のみ。日本語HPなし) http://www.may-first.com/
西安は、紀元前11世紀から歴史の表舞台に登場し、近代史の西安事件(*)に至るまで、長い歴史の中に時を刻んできました。
(*1936年12月12日に西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件)
紀元前11世紀の西周から、前漢、新、晋、前趙、前秦、後秦、西魏、北周、隋、紀元9世紀の唐まで、諸王朝の都として栄えたまちです。
ことに、唐時代の「長安」は、「世界史上の大都市」で、日本からも空海、最澄、吉備真備はじめ、たくさんの留学生留学僧が滞在した関わり深い歴史の街です。
現在の西安は中国陝西省の省都。周囲13kimの城壁に囲まれた城内とその周囲に広がる城外を含む、市街地の人口300万人、郊外地を含めると680万人都市です。
西安の主な観光地は。
紀元前3世紀に、最初に中国を全国統一した秦の時代、始皇帝の陵墓と兵馬俑。
9世紀、唐時代の楊貴妃の墓や華清池。
三蔵法師玄奘がインドから持ち帰った経を納めた大雁塔。
14世紀、明時代に建てられた鐘楼と鼓楼、などなど。
まさに、中国3千年の歴史を俯瞰できる都市です。
最初は、大手ホテルの中にある旅行社へ行き、妹の希望で日本語ガイドつきのツアーに申し込もうと思ったのですが、ふたつ旅行社を回っても、「今日は日本語ガイドツアーをやっていない」といいます。
西安に着いたのが土曜日だったので、土日の予約はもういっぱいだったのだろうと思います。
日本語ガイドに案内してもらったり、ツアーで次から次へと効率よく回るのもひとつの旅の方法ですが、私は、できることなら、少々デコボコでも穴が空いても、自分たちの手と足で自由に歩きたい、という気持ちが強く、それ以上、旅行社めぐりをして日本語ガイドをさがすよりも、自分たちで行けるところに行けばよい、と思いました。
妹は、日本語ガイドがいないと不安なようでした。子どもの頃からずっこけ続きの姉ですから、そのあやしげな筆談をあてにしていいものかどうかと。
「まっかせなさ~い!中国語はあやしいが、コミュニケーション能力は高いのだ!」と、姉。
「まかせるたんびに、ずっこけたんだけど」と、妹。
ま、なんとかなるでしょ。
タクシー代と各地の入場料を合わせるとツアーよりも割高になるのですが、自分たちの好きに回るところを設定して好きなときに休めるのは気楽です。
各観光地の説明は、あとでネットの日本語説明を読めばよい、ということにしました。
西安市観光局HP http://jp.xian-tourism.com/
<つづく>
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2007年08月22日
ニーハオ春庭「西安・鐘楼」
2007/08/22 水
ニーハオ春庭中国通信>西安・鐘楼
8月4日午後、五一飯店から徒歩で西安の鐘楼へ。鐘楼の入場料金一人27元。
鼓楼と対になっており、朝の鐘と夕方の太鼓で、住民に時を知らせる役目を担っていました。
高さ36mの鐘楼の上から、四方へのびる道路が見渡せます。
昔、朝、鐘を鳴らして城門を開け、夜、太鼓を鳴らして城門を閉めたのだそうです。
鼓楼は1380年に建てられ、鐘楼は1384年、西大街の広済街口に建てられたました。そののち、鐘楼は1582年現在の場所に移築されました。夕方はライトアップされます。
個人のHP旅行記から
http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2003xian/photo/xian1074l.jpg
鐘楼のテラスをぐるりと回り、四方の景色をながめます。並木の美しい立派な道路が東西南北へ伸び、それぞれ西安城壁の東門西門北門南門へ続きます。
鐘楼の中には、陝西省独特の文化財である「影絵劇」の、「皮革切り絵人形」が壁一面に展示されています。
皮を細かい切り絵作業によって切り抜いた人形。手足の先に棒をつけ、人形を操って、さまざまな物語りを上演します。
伝統的なステージがあり、古楽器が並んでいます。時間によって楽器の演奏があったのですが、私たちが入場したときには、もう楽器演奏は終了していました。
30分くらいあとに影絵劇の上演があるというので、鐘楼のなかを見回りながら、上演を待っていました。こんなふうに見学時間を変更できるのも、個人旅行のいいところ。
楽しみに影絵上演を待っていたのに、ステージに登場したのは、スクリーン。影絵上演は、パソコンからスクリーンに投影して行われたのでした。
な~んだ。パソコンの投影なら、テレビやDVDで見ても同じこと。実際に人が上演すると思ったので待っていたのに、がっかりです。
上演についての中国語説明がわからなかったために、こんな「がっかり」もでてきます。これは、ことばがわからないままの個人旅行のわるいところ。
鐘楼を出ると、回りにぐるりと地上の道があり、最初、それを一周したのですが、反対側に出る横断歩道がないので、次に鐘楼の地下周囲にある地下道を一周しました。
「なんだかぐるぐる同じところを回っているんじゃない?」
と、珍道中。
出口がわからずぐるぐる回るのも、ツアーやガイドがいたらできないこと、と、逆転の発想でデコボコ道中を楽しむことにしました。
<つづく>
13:31 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2007年08月23日
ニーハオ春庭「西安・城壁」
2007/08/23 木
ニーハオ春庭中国通信>西安・城壁
地上の道には横断歩道がなかったので、鐘楼の地下周囲をドーナツ状にぐるりと取り巻いている地下道を一周。地上との上下にはエスカレーターがそれぞれの出口についています。これはありがたい。
それから城壁の南門へタクシーで行きました。タクシー初乗り8元。着いてみたら、歩いてもそんなにかからない距離でしたけれど。
南門から城壁の入場料金ひとり40元。
一般のツアーでは、東門から城壁に上って、東門の近くから周囲を見て次のコースへ行くのが多い。
現在残されている城壁は、唐・隋の時代の土塁をもとに、明代に建てられたものです。建設は1370~78年、ほぼ十年がかりで、土塁から石積みの堅固な城壁になりました。
かっては北京など他の都市も、西安と同じように城壁に囲まれていたのですが、市の発展とともに城壁をこわし街を拡張していきました。
西安市でも、一時は「街の拡張にあわせて取り壊した方がいい」という意見もありました。建てられてから600年以上たつ城壁は痛みも目立ち、補修すべき箇所も多かったからです。
しかし、市は、崩壊してきた城壁を修理しながら保存することを選択しました。
現在中国で「完全に四方を取り囲んで残された城壁」は、ここ、西安市の城壁のみとなっていて、貴重な観光資源となっています。
古いものをやみくもに壊して新しくすることより、大切に保存することがよい結果を生むという見本です。
東西南北に城門が設けられ、かっては、夜、太鼓とともに門が閉められたあと、朝、鐘の音によって開門するまでは、人も車も出入りできませんでした。
城壁は、城内の平和と安全を保障するものだったのです。
城壁は、高さ12m、幅12~14m。
城壁の上では、ジョギングしている人、サイクリングしている人。散歩している人。 欧米人は、ジョギングや自転車で走る人が多い。
貸し自転車は、門から門への往復でもいいし、90分かけて城壁1周でもよい。
1人乗りは90分15元、2人乗りは20元。
一周14kmをノンストップで走れば、90分で戻ってくることが可能だけれど、途中で見学したり休憩を入れて90分以上かかったときは、帰ってきたときに30分ごとに追加料金を支払う。
いや~、元気な人には絶好のサイクリングロード。「3000年の歴史の風をきって走る」って感じでしょうか。
ヤワな我ら3人は、「このカンカン照りの中、何が悲しくてこんな高い場所で走らにゃならんのよ」と、自転車をすすめてくるおっちゃんにはノーサンキュー。
城壁を一周する電動観光車に乗車しました。ひとり50元。
観光用ですが、西安市の「公共バス」のひとつです。といっても、市内バスは1元なので、50元もするバス、一般の市民はたぶん乗らない。
1周14kmの城壁をのんびり走る観光車。切符には「西安城墻遊覧観光車乗車票」とあります。
途中段差があると「はい、おりてください。向こう側でまた拾うから」と、おろされ、日盛りの中歩いた部分もあり、けっこう時間がかかりました。でも、集合時間とか気にする必要がないのは、自由旅行のいいところ。
観光車は、一周切符を持っていればどこでおりてどこで乗ってもよく、どの車に乗り換えても良い。
西安の城壁 中国国際放送局HPより http://japanese.cri.cn/119/2006/05/30/1@64496.htm
<つづく>
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2007年08月24日
ニーハオ春庭「西安・書院門通り」
2007/08/24 金
ニーハオ春庭中国通信>西安・書院門通り
城壁から見渡す西安の町、ところどころに古いお寺の伽藍が見下ろせたりしましたが、全体としては、アパートなどが立ち並ぶごく普通の町並みです。
シルクロードの出発点。
黄砂が多い地方だからかもしれませんが、城壁から見下ろす町並みは、ちょっと埃っぽい灰色の感じがします。
他の都市と同じく、西安も環境問題が大きくとりあげられており、工業化によって空気もいっそう埃っぽくなっているようです。
西安市 西側の城壁 http://members8.tsukaeru.net/skytrekker//chinasiro/seian.html
さて、中国語と日本語の「同じ漢字なのに意味が異なることば」の例として「手紙」と「汽車」をよく例につかいます。
「手紙」、中国語ではトイレットペーパー。
「汽車」、日本語では鉄道の上を走りますが、中国語では道路を走る「自動車」
もうひとつ、私がよく例に出すのが「城」です。
日本語で城は、天守閣を備えたり、周囲に堀をめぐらせたりする「君主の館」。
中国語では、「城(ジャン)」は日本語の「城壁」を意味します。
日本人が「お城を案内してあげる」と、中国人に言ったとき、中国人は西安の城壁のような「町をとりかこむ壁」を見せられるのだと考えます。
中国で「ここは城跡です。壊されてしまい、今はありません」と案内されると、日本人は、かってそこに高々と聳える天守閣があったのかと想像します。
東門の上には秦の始皇帝が全土統一を行った当時の戦車や大石発射台などの「最新鋭軍備」が展示してあります。
城壁を上ろうとする敵兵に、大石をごろごろ落として町を守る、そんな時代もあったのだろうなあ、と、映画『墨攻』を思い出しながら、真夏の城壁上をひとまわりしました。
8月4日夕方、西安市南門東側につづく書院門通りをぶらぶらしました。
書院門通りは、西安市観光局の肝いりで整備された「古文化街」のひとつ。
碑林まで約570m、伝統的な建築の家並みが続き、土産物、書画骨董、書道具などの店が集まっています。
西安市観光局HPより http://jp1.xian-tourism.com/LIST1.ASP?listid=341&Classid=13
街路の脇は常設の骨董屋や貴石、書道具などの店、中央には土産物の屋台。
妹は屋台のみやげ屋で伝統切り絵を買いました。
あれこれ交渉して、ちょっとでも安くしてもらうのが楽しい。売る方は、それを見越して最初は2倍以上の値を言うのです。
ミニチュア中国服のワインボトルカバー、どこにでも売っているようなおみやげですが、まあ、西安で買ったということがいいんでしょ、と,、妹も私も買うことにしました。
1枚25元というのをたくさん買うからと20元に負けさせて得した気になったけれど、隣の店では、同じ物を最初から一枚15元で売っていました。あ、損したかも。
でも、値引き交渉のやりとりが楽しい、ということもあるんです。ま、いいか。
う~、でもやっぱり損した気分。まだまだ買い物修行が足りません。
<つづく>
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2007年08月25日
ニーハオ春庭「西安・道教の寺」
2007/08/25 土
ニーハオ春庭中国通信>西安・道教の寺
8月4日夜、私は夜店がでるという通りへいくつもりだったけれど、身体が丈夫でない妹が「疲れたからマッサージしたい」というので、全身保健マッサージを3人で受けました。
ホテルの外にでれば、90分40元くらいのマッサージ屋さんがいくらでもあると言ったのだけれど、妹は、「もう歩いて外に出たくない」というので、ホテル内のマッサージ店の人に部屋まで出張してもらい、ひとり60分80元。
妹は「きいた」というのだけれど、私はマッサージをしても、特にからだがほぐれた気がしない、損な体質。「きいた気がしない」マッサージなら、しなくてもいいように思うんだけれど、トリプルベッドに並んで揉まれました。
5日朝、鉄道駅前のバスターミナルから兵馬俑行きの路線バスに乗ろうということになりました。
306路のバスが、秦の始皇帝陵墓や楊貴妃が湯浴みした華清池、兵馬俑博物館などめぼしい観光地への往復をしています。
駅までは、タクシーで。ホテルの前に停まっていたタクシーに乗り込み、「火車站」と言い、地図の駅を指し示しました。
地図もっている時点でヨソモノなことはバレバレなので、運転手はパンフレットを出して、売り込みをはじめました。市内東側の観光地を回って、このホテルまで送迎して一日200元だと。
私ひとりならバスを乗り継ぐほうを選びますが、妹と姪もいっしょなので、タクシーを頼むことにしました。
股関節を悪くしてから歩くとすぐに疲れてしまう妹、去年もタイでころんで捻挫をしたので、あまり歩き回らせることはできません。
最初に道教のお寺へ行きました。驪山(リーシャン)の上のほうまでタクシーで上っていきます。驪山は標高1256m。山道の両側は、柘榴の果樹園。
入山料ひとり45元。「高っ」と、思うのに、けっこう観光客が入山していました。
チケットは、馬の絵がある80角の切手(約10円、国内ハガキ料金)つきの絵はがきになっており、「中国驪山・国家森林公園、国家AAAA級旅游、国家重点文物保護単位、国家第一批重点風景名勝区」と書かれています。
この道教のお寺を含む、一帯の入場券なのだろうと思います。
山門から寺院境内へ。石段を登っていきます。
道教のお寺は、仏教寺院と同じような雰囲気です。日本の仏教寺院より色彩が派手ですが。
タイ仏教寺院は小乗仏教で、日本仏教とは異なる感じがします。それに比べ、中国道教寺院は仏教寺院とかわるところがありません。別の宗教なのに、「仏教の宗派がちがう」程度の感じ。
飛鳥時代、皇極(斉明)天皇が、道教に執心したということを思い出します。
宮中で行われる「四方拝」という儀式も、もともとは道教の儀礼。
福永光司著『道教と古代日本』などによると、聖徳太子が書いたとされる『三経義疏』は教科書などには「仏教書」と紹介されていますが、この中にも、道教の教典が含まれるのだそうです。
インド仏教が中国に伝わったとき、その初期から中国道教と習合しました。サンスクリット語から中国語に翻訳された仏典は、道教の教典の用語をとりいれて訳され、また、中国民間宗教の儀礼などをとりいれながら、中国社会に入り込んだのです。
日本に伝わった仏教とは、「道教+仏教」であったのだ、ということが、道教寺院参拝で、実感として納得できました。
<つづく>
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2007年08月26日
ニーハオ春庭「西安・道教寺院門前の青石」
2007/08/26 日
ニーハオ春庭中国通信>西安・道教寺院門前の青石
驪山にくる日本人観光客、ツアーでは華清宮へ直行してしまい、この山中の道教寺院を参拝する人はほとんどいないらしいので、自由旅行で、ここにこられたこと、よかったと思います。
お堂を参拝して参道を降りてくると、おみやげを売っているおばちゃん達に呼び止められました。たらいの中に水を張り、様々な色の石を入れて売っています。
茶色や白の石を卵の形に磨いてあります。
青い石を丸く磨いた石の卵、水に沈んだ青色が美しい。
天青石(セレスタイト)とは違うようだけれど、パワーストーンに詳しい姪によると、青石(チンシー)、日本ではけっこうな値段がするらしい。
おばちゃんは、最初一つ5元と言っていました。
きれいな青色の石を手に持って「おみやげに持って帰るには、石だとバッグが重くなるなあ」と、買うかどうか決めかねていたら、おばちゃん、値段が気に入らないと思ったのか、ふたつで8元でいいよ、となり、3つで9元と下がってきました。
ええっ、青石がそんなに安くていいの?ここらが産地なのかしら。
「4つで10元なら買うけど」と言ったら、「いいよ」ということになったので、買いました。
タクシーの運転手に、「こういう土産屋では買うもんじゃない」とたしなめられました。
4つ10元(150円)なんだから、青石の品質が悪くても、仕方がないと思ったんですが、、、、。
帰国後、青い石の卵を水に沈めてみると、、、、水がだんだん青くなっていきます。
あらま、ただの白い石を青く染めただけの偽の青石でした。そりゃね、4つ10元だもの。こうしてだまされるのも、「自由旅行おみやげやの経験」です。
もっとも、「だまされた」というのは、こっちの勝手な思いこみ。「おばちゃんは「青い石」として売っていたのであって、こちらが勝手に「青石チンシー」と思っただけなんですよね。
おばちゃんが「青石」と言ったのか「青的石」と言ったのか、覚えていないけれど、染めてあったのだとしても、見た目青ければ「青い色の石」として売るおばちゃんは、当然の商売をしただけのこと。
私の髪なんぞ、半分以上は「ごま塩」になっているはずですが、染めたら「見た目は黒髪、若いつもり」で歩いてますから。
今、青い石は、日本の台所の片隅、水のなかで、しだいに青色を薄めつつあります。
<つづく>
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2007年08月27日
ニーハオ春庭[西安・華清池]
2007/08/27 月
ニーハオ春庭中国通信>西安・華清池
9世紀の唐の都、長安。
鑑真が経を読み、阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に仕え、井真成が病を得て早世し、楊貴妃がレイシをほおばりながら湯浴みした。
楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスは、唐代第一の詩人白居易(白楽天)の長恨歌に謳われ、千年の恋となって今に伝わっています。
貴妃・楊玉環の数奇な運命は、現代もさまざまな小説や劇の源泉となっており、西安の町のあちこちにも、「音楽劇・楊貴妃」のポスターが貼ってありました。
747年。玄宗は驪山(リーシャン)のふもとに華清宮を建てました。
驪山一帯は、火山による温泉が豊富な土地で、三千年前の西周時代から温泉保養地として有名な場所でした。
発掘したところ、玄宗専用の温泉浴槽も楊貴妃専用の浴槽もみつかりました。
華清宮、入場料70元。中をまわる観光車ひとり6元
建物のなか、観光用に唐時代の衣装をつけた女性がだるそうに寝そべっています。
「う~ん、楊貴妃に扮しているつもりなら、もうちょっとなんとか雰囲気をだしてほしいなあ」と、思ったのですが、この暑さでは、楊貴妃衣装を着ているだけで汗だく、大仕事なんでしょう。
本物の楊貴妃は、夏の暑さをしのぐために、冬の間に切り出した氷を山の洞窟にためておき、離宮まで運ばせて涼をとったということですが、、、、
華清池の写真、リンクフリーとある個人HPより
http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2003xian/kaseichi.html
華清宮から秦始皇帝陵へ。
秦の始皇帝。紀元前259~210年、皇帝在位、前221~210。
中国を初めて統一国家としてまとめ上げた専制君主。
始皇帝は、自分以外の誰をも真に信頼することなく、自分の死後、皇后とその一族が権力を得ることをおそれて、正式な皇后を冊立することがなかった。
不老不死の仙薬を求めて各地に人を派遣したが、徐福も他のだれも皇帝の望みをかなえることなく、自分が統一した国を巡視中に50歳でなくなった。
死後の守りを万全にするため、帝位についてすぐに工事を開始し、巨大な陵墓を建設した。
その陵墓と、副葬の兵馬俑坑は、世界を驚かせた発掘のあと、世界遺産として見学者を集めています。
始皇帝陵は、面積が56平方キロ。入場料40元。
陵墓の土台の部分は四角形に近い形をし、南北の長さは350m、東西の幅は345m、高さは76m。
リンクは、中国百科より始皇帝陵
http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter14/chapter140406.htm
内部は複雑な構造になっていて、盗掘者は容易に副葬品や被葬者に近づけないようになっています。万全の守りをかためたため、兵馬俑がそっくりそのまま2千年の間、地中に潜んでいたのです。
<つづく>
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(1)
8月3日に、妹&姪と大連で合流し、大連賓館に一泊。
大連賓館は旧名ヤマトホテル。古いけれど、満州時代は市内随一のホテルでした。天井が高くて、部屋も広々しています。
妹がホテルについてすぐにしたことは。
私が「3月からの海外旅行保険は90日間の保障だけなので、今は保険の期限が切れている」という話をすると、すぐに日本の友達に電話をかけ、私の保険を申し込みました。
もうすぐ日本に帰るのだし、保険、手続きするの面倒だなあ、と思っていたのですが、8月3日から帰国までの保険を申し込みました。
8月3日の夕ご飯は、友人のハンさんと娘さんのシンシンちゃんを招待して海鮮料理レストランへ。
妹はトゲトゲ大きなウニのカラを割ってもらい、山育ちの身には最高の贅沢とご満悦です。
姪とシンシンちゃんはすぐに仲良しになりました。
童顔の姪のことを「私よりちょっと年上のお姉ちゃん」と思いこんで仲良くなっている9歳のシンシンちゃんに、「このおねえちゃん、来年は三十路だ~」とはバラさないでおきました。
8月7日、妹と姪が日本へ帰る前の晩、夕ご飯は、友人のハンさんが自宅でごちそうしてくれることになりました。
ハンさんが買い物をすませるまで、私たちはいったん大連賓館へもどり、買い物場所で待ち合わせ。
待ち合わせ時間までの時間つぶし、妹のリクエストは、マッサージの店。
ハンさんは、日本人の友人達がよく利用していたという日本語が通じる店へと案内してくれました。「手足情」という店です。
わたしは「マッサージはいいや」と思って、妹を姪にまかせて大連賓館に戻り、近所の古い建物の写真をとったりしていました。
大連中山広場の周囲は、旧満州時代の建物がたくさん残されています。
70~80年前の建設途上の大連で、建築家たちが競い合い、思い思いの近代建築を並べたのではないか、と思える、さまざまな近代建築見本帳のような広場です。
http://www.uraken.net/world/dalian/dalian03.html
写真をとっているうちに、ぼつぼつと雨が降ってきたので部屋にもどり、妹たちの帰りを待ちました。
ハンさんが店の人に「終わったらタクシーを呼んで、大連賓館までと、タクシーの運転手に言ってね」と指示してくれたので、妹と姪だけで無事ホテルに帰ってこられました。
母と娘、ふたりだけで行動する時間というのもあってよかったんじゃないかしら。
ぽつぽつ降り出していた雨が、小雨になってきたので、急いでまたタクシーを拾いました。
ハンさんと待ち合わせの場所でタクシーをおりたときには、どしゃぶり。
妹は傘をもってこなかったから、傘を買いたいと、いいます。
大型スーパーに入り、私も大連の蝦飴などおみやげを買って、レジで支払いをすませました。妹は出口近くで傘を選んでいます。私の意識は妹の方へ向いていました。
雨のなか、タクシーを拾いやすいところまで歩いている途中のこと。
妹が急にキャーと叫びました。どうしたどうした、また転びそうにでもなったか。
わけがわからないうちに、大量の紙がばらまかれました。えっ、えっ、何がおこった?どうしたこれは。
「ど、どろぼう!、どろぼうに髪ひっぱられた。頭なぐられた」と、妹。
<つづく>
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2007年08月18日
ニーハオ春庭「大連でスリに遭遇(2)」
2007/08/18 土
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(2)
道にばらまかれたのは、姪の鞄の中味。
領収書や小銭の1元札などがばらまかれています。
とにかく、なんだかわからないまま、私は大急ぎで道にまかれた小銭入れや紙を集めました。
妹は、前を歩いている姪の鞄に手をつっこむ男の腕が傘の下に見えたので、「ギャー」と、さけんだのでした。
気づかれずに仕事をすませるはずのスリは、気づかれてしまったので、あわてて、鞄のなかからつかみだしたものを道路にばらまいた。仕事のじゃまをした妹の頭をなぐって逃げた。
姪は、雨に濡れた道路に気を取られていて、鞄に手を突っ込まれたことにまったく気づかず、妹が叫ばなければ、大金が入ったほうの財布まで手が入り込んだのかも知れません。が、さいわい、道路にばらまかれたほうは、小銭入れでした。
ハンさんの家では、ハンさんのお姑さんが料理を作って待っていてくれました。
シンシンちゃん、ハンさんのご主人のリュウさんといっしょに、心づくしのごちそうをいただきました。
ゆであわび、ほたて、生ウニ、木耳の炒め物、きゅうりのあえもの。肉饅頭。どれもお姑さん自慢の家庭料理です。ほんとうにおいしかった。
スリにすられそうになったという話も、姪の財布は助かったので、リュウさんやお姑さん達に何が起こった伝えるのも「武勇伝」めいています。
おいしい海鮮家庭料理をいただきながら、私は、姪に説教します。
おしゃれな服を着て、小粋な帽子をかぶっていた姪に対し「そんなガイジンっぽいおしゃれな格好をしているから、スリに狙われちゃうんだよ。私みたいに、10元のTシャツきて、よれよれのジーンズはいて、50元のスニーカーはいて歩いていれば、スリも近づいて来ない」と。
ところが、ところが。
ホテルに帰って、買ったものを整理しようと、私が持っていたバッグの中味を全部だしてみたら、、、、
財布がなかった!
スリが姪の鞄を狙ったのには、前段階があって、スーパーで買い物をしたあと、傘を選んでいる妹に気をとられていたとき、すでに私の財布はすられていたのでしょう。
いつそんな目にあったのか、まったく気づきませんでした。自分の財布でなければ、「さすが、技術をみがいているだけありますなあ、いや、見事な仕事っぷり」と、言いたいくらい。
こんなマヌケな一行だから、ついていけば、もう一度うまい汁が吸えると、スリに目をつけられ、後を付けられていたのだと思います。
しかし、姪の鞄を狙ったことは、妹に発見されて失敗。
<つづく>
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2007年08月19日
ニーハオ春庭「大連でスリに遭遇(3)」
2007/08/19 日
ニーハオ春庭中国通信>大連でスリに遭遇(3)
けっきょく、一番のマヌケは私、ということになりました。
ぐやじい!!!
妹や姪といっしょだし、中国人の友人がいっしょなのだからと、油断をしていたってこともありました。
しかし、考えてみると、今回は財布ごとすられたので、無くなったことに気づいたのです。いつもは、お金がなくなったことにすら気づかない。
いつも、500元くらいまでのお金は財布にいれずにそのまま服のポケットにつっこんでおき、適当にお札をだして支払う方式の私、これまでも、きっとすられていたんじゃないかと思います。
財布を持っていると狙われるから、レジで財布からお金を出し入れするな、中国人のように、ポケットに小銭を小分けしてつっこんでおけと、忠告されていたのですが。
持って出たお金と買い物したお金の収支が合わないのは、私の計算力がないせいだと思っていました。
「また、今日も買った値段と支払った値段が合わない、計算弱いからなあ」と、思ってすごしてきましたが、きっと何度もすられていたのかもしれません。今回もすられたことにまったく気づかなかったということを考えると、これまでもまったく気づかれずにすられてきたのだろうと思います。
マヌケです。
すりにしてみれば、こんなウスぼんやりしたおばはんのポケットを狙うくらい、朝飯前のことだったでしょう。日本にいたって、私は毎日注意力散漫で、物をなくす、置き忘れる、どこにしまったかわからなくなる、なんて、日常茶飯事なのだから。
そんなこんなの「大連でスリに遭遇」の一幕でした。
8月3日に保険にはいっておいたおかげで、そう被害甚大でもなくすみました。
本当は私たちが警察に出向いて被害届を書いてもらわなければならないところ、翌日は私は北京に、妹と姪は成田へと出発しなければならず、飛行機の時間を変えるのはまたたいへんなので、ハンさんが書類関係のことは全部処理してくれました。
出会っておくべきは、よき友人。出会わずにすませたいのは、スリひったくり。
え~、別段海外旅行保険会社に頼まれたわけでもありませんが、宣伝をひとつ。みなさん、旅行に出るさいは、保険に加入しておきましょう。何がおこるかわかりません。
<大連のスリおわり>
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2007年08月20日
ニーハオ春庭「善悪功罪勝敗陰陽、なんでもアリが「地球歩くコツ」
2007/08/20 月
ニーハオ春庭中国通信>善悪功罪勝敗陰陽、なんでもアリが「地球歩くコツ」
妹と姪が中国ですごした最後の夜。
スリに頭をなぐられ、ショックを受けた妹でしたが、友人ハンさんご一家の歓待を受け、中国に対して嫌な思いをひきずらずに帰国できたことは幸いでした。
悪い人は、日本にもどこの国にもいます。
たまたま大連で人様の財布を盗ろうとする者に出くわしたのは災難でしたが、中国13億人全員が悪いということはありません。私も半年の中国滞在で、たくさんのよい人に出会えました。
ただ、どの国を旅する場合でも、「他の国に比べれば安全な日本に住んでいると、自分自身で守らなければなければならない携行物や自分の身への注意力が不足してしまいがちだ」ということは意識すべきでしょう。
個人旅行者よりもツアー旅行者に「パスポートをすられた」というような事件が多いのも、ツアーだと「自己管理」という気になりにくいからかも。
私がスリに財布をすられたのも、「中国人の友人といっしょ」という気のゆるみがあったからだと思います。
保険加入のおすすめと共に、「中国にスリがいたからって、中国全体が危険な国というわけではありません」ということと、
「でも、来年の北京オリンピックには、たぶん、中国中のスリが北京に集まってくるよ~」というご注意を。
当局が取り締まりに目を光らせる度合いも強まるでしょうが、そこは、スリたちだって、「腕の見せ所」と、待ちかまえているにちがいありません。
広い中国、「なんでもアリ」です。
以前、「四つ足のものは机以外のものすべて、空飛ぶものは飛行機以外のすべてを食べるのが中国料理」ということを書きました。
「食」以外の分野だって同じこと。どろぼうの技術も4千年の歴史のなかで磨かれているに違いない。
妹と姪は、「スリにあった」という経験も「旅のみやげ話」として、西安や大連で買い込んだ土産物と共に、成田行きの飛行機で帰国しました。
最初にスリ話をしてしまいましたが、では、これからゆっくりと西安大連でこぼこ道中のおはなしを。
ツアーで効率よく名所を見て歩くのとはまたひと味ちがう、「地球の迷い方」満載の道中になりました。
<つづく>
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2007年08月21日
ニーハオ春庭「でこぼこ珍道中in西安」
2007/08/21 火
ニーハオ春庭中国通信>でこぼこ珍道中in西安
8月4日朝、大連から西安へ。飛行機で2時間。
西安の宿は、五一飯店という大衆中華でにぎわうホテル。西安繁華街の中にあり(東大街351号tel-87681098)、1階が大衆レストラン、2階がフロントと西安・淮揚料理のレストラン、足浴マッサージの店。3階以上が客室。
格安ツアーの「キャンペーンクラス」に利用されるホテルです。
五一飯店、「西安グルメガイド、安くてウマイ店」と、ガイドブックには出ています。淮揚料理の有名店だとか。
名所旧跡より何より、美味しい料理を食べられることが旅行の第一目的という食いしんぼ姉妹の旅なので、まずは腹ごしらえ優先で。
客室は、安いけどまあまあ。トリプル室を予約したのだけれど、ツイン部屋にエキストラベッドを無理矢理押し込んで、きちきちってかんじ。
でも、ま、いいか。ホテル見にきたんじゃなくて、兵馬俑を見るんだし、おいしいご飯食べればいいんだし。
添乗員も現地ガイドもいない旅にとって、ことばができないのはやはり不自由でした。
筆談とブロークンイングリッシュで、コップの数が足りない、とか、フロアスタンドがつかない、とか、交渉。
五一飯店HP(中国語と英語のみ。日本語HPなし) http://www.may-first.com/
西安は、紀元前11世紀から歴史の表舞台に登場し、近代史の西安事件(*)に至るまで、長い歴史の中に時を刻んできました。
(*1936年12月12日に西安で起きた、張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件)
紀元前11世紀の西周から、前漢、新、晋、前趙、前秦、後秦、西魏、北周、隋、紀元9世紀の唐まで、諸王朝の都として栄えたまちです。
ことに、唐時代の「長安」は、「世界史上の大都市」で、日本からも空海、最澄、吉備真備はじめ、たくさんの留学生留学僧が滞在した関わり深い歴史の街です。
現在の西安は中国陝西省の省都。周囲13kimの城壁に囲まれた城内とその周囲に広がる城外を含む、市街地の人口300万人、郊外地を含めると680万人都市です。
西安の主な観光地は。
紀元前3世紀に、最初に中国を全国統一した秦の時代、始皇帝の陵墓と兵馬俑。
9世紀、唐時代の楊貴妃の墓や華清池。
三蔵法師玄奘がインドから持ち帰った経を納めた大雁塔。
14世紀、明時代に建てられた鐘楼と鼓楼、などなど。
まさに、中国3千年の歴史を俯瞰できる都市です。
最初は、大手ホテルの中にある旅行社へ行き、妹の希望で日本語ガイドつきのツアーに申し込もうと思ったのですが、ふたつ旅行社を回っても、「今日は日本語ガイドツアーをやっていない」といいます。
西安に着いたのが土曜日だったので、土日の予約はもういっぱいだったのだろうと思います。
日本語ガイドに案内してもらったり、ツアーで次から次へと効率よく回るのもひとつの旅の方法ですが、私は、できることなら、少々デコボコでも穴が空いても、自分たちの手と足で自由に歩きたい、という気持ちが強く、それ以上、旅行社めぐりをして日本語ガイドをさがすよりも、自分たちで行けるところに行けばよい、と思いました。
妹は、日本語ガイドがいないと不安なようでした。子どもの頃からずっこけ続きの姉ですから、そのあやしげな筆談をあてにしていいものかどうかと。
「まっかせなさ~い!中国語はあやしいが、コミュニケーション能力は高いのだ!」と、姉。
「まかせるたんびに、ずっこけたんだけど」と、妹。
ま、なんとかなるでしょ。
タクシー代と各地の入場料を合わせるとツアーよりも割高になるのですが、自分たちの好きに回るところを設定して好きなときに休めるのは気楽です。
各観光地の説明は、あとでネットの日本語説明を読めばよい、ということにしました。
西安市観光局HP http://jp.xian-tourism.com/
<つづく>
09:50 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2007年08月22日
ニーハオ春庭「西安・鐘楼」
2007/08/22 水
ニーハオ春庭中国通信>西安・鐘楼
8月4日午後、五一飯店から徒歩で西安の鐘楼へ。鐘楼の入場料金一人27元。
鼓楼と対になっており、朝の鐘と夕方の太鼓で、住民に時を知らせる役目を担っていました。
高さ36mの鐘楼の上から、四方へのびる道路が見渡せます。
昔、朝、鐘を鳴らして城門を開け、夜、太鼓を鳴らして城門を閉めたのだそうです。
鼓楼は1380年に建てられ、鐘楼は1384年、西大街の広済街口に建てられたました。そののち、鐘楼は1582年現在の場所に移築されました。夕方はライトアップされます。
個人のHP旅行記から
http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2003xian/photo/xian1074l.jpg
鐘楼のテラスをぐるりと回り、四方の景色をながめます。並木の美しい立派な道路が東西南北へ伸び、それぞれ西安城壁の東門西門北門南門へ続きます。
鐘楼の中には、陝西省独特の文化財である「影絵劇」の、「皮革切り絵人形」が壁一面に展示されています。
皮を細かい切り絵作業によって切り抜いた人形。手足の先に棒をつけ、人形を操って、さまざまな物語りを上演します。
伝統的なステージがあり、古楽器が並んでいます。時間によって楽器の演奏があったのですが、私たちが入場したときには、もう楽器演奏は終了していました。
30分くらいあとに影絵劇の上演があるというので、鐘楼のなかを見回りながら、上演を待っていました。こんなふうに見学時間を変更できるのも、個人旅行のいいところ。
楽しみに影絵上演を待っていたのに、ステージに登場したのは、スクリーン。影絵上演は、パソコンからスクリーンに投影して行われたのでした。
な~んだ。パソコンの投影なら、テレビやDVDで見ても同じこと。実際に人が上演すると思ったので待っていたのに、がっかりです。
上演についての中国語説明がわからなかったために、こんな「がっかり」もでてきます。これは、ことばがわからないままの個人旅行のわるいところ。
鐘楼を出ると、回りにぐるりと地上の道があり、最初、それを一周したのですが、反対側に出る横断歩道がないので、次に鐘楼の地下周囲にある地下道を一周しました。
「なんだかぐるぐる同じところを回っているんじゃない?」
と、珍道中。
出口がわからずぐるぐる回るのも、ツアーやガイドがいたらできないこと、と、逆転の発想でデコボコ道中を楽しむことにしました。
<つづく>
13:31 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2007年08月23日
ニーハオ春庭「西安・城壁」
2007/08/23 木
ニーハオ春庭中国通信>西安・城壁
地上の道には横断歩道がなかったので、鐘楼の地下周囲をドーナツ状にぐるりと取り巻いている地下道を一周。地上との上下にはエスカレーターがそれぞれの出口についています。これはありがたい。
それから城壁の南門へタクシーで行きました。タクシー初乗り8元。着いてみたら、歩いてもそんなにかからない距離でしたけれど。
南門から城壁の入場料金ひとり40元。
一般のツアーでは、東門から城壁に上って、東門の近くから周囲を見て次のコースへ行くのが多い。
現在残されている城壁は、唐・隋の時代の土塁をもとに、明代に建てられたものです。建設は1370~78年、ほぼ十年がかりで、土塁から石積みの堅固な城壁になりました。
かっては北京など他の都市も、西安と同じように城壁に囲まれていたのですが、市の発展とともに城壁をこわし街を拡張していきました。
西安市でも、一時は「街の拡張にあわせて取り壊した方がいい」という意見もありました。建てられてから600年以上たつ城壁は痛みも目立ち、補修すべき箇所も多かったからです。
しかし、市は、崩壊してきた城壁を修理しながら保存することを選択しました。
現在中国で「完全に四方を取り囲んで残された城壁」は、ここ、西安市の城壁のみとなっていて、貴重な観光資源となっています。
古いものをやみくもに壊して新しくすることより、大切に保存することがよい結果を生むという見本です。
東西南北に城門が設けられ、かっては、夜、太鼓とともに門が閉められたあと、朝、鐘の音によって開門するまでは、人も車も出入りできませんでした。
城壁は、城内の平和と安全を保障するものだったのです。
城壁は、高さ12m、幅12~14m。
城壁の上では、ジョギングしている人、サイクリングしている人。散歩している人。 欧米人は、ジョギングや自転車で走る人が多い。
貸し自転車は、門から門への往復でもいいし、90分かけて城壁1周でもよい。
1人乗りは90分15元、2人乗りは20元。
一周14kmをノンストップで走れば、90分で戻ってくることが可能だけれど、途中で見学したり休憩を入れて90分以上かかったときは、帰ってきたときに30分ごとに追加料金を支払う。
いや~、元気な人には絶好のサイクリングロード。「3000年の歴史の風をきって走る」って感じでしょうか。
ヤワな我ら3人は、「このカンカン照りの中、何が悲しくてこんな高い場所で走らにゃならんのよ」と、自転車をすすめてくるおっちゃんにはノーサンキュー。
城壁を一周する電動観光車に乗車しました。ひとり50元。
観光用ですが、西安市の「公共バス」のひとつです。といっても、市内バスは1元なので、50元もするバス、一般の市民はたぶん乗らない。
1周14kmの城壁をのんびり走る観光車。切符には「西安城墻遊覧観光車乗車票」とあります。
途中段差があると「はい、おりてください。向こう側でまた拾うから」と、おろされ、日盛りの中歩いた部分もあり、けっこう時間がかかりました。でも、集合時間とか気にする必要がないのは、自由旅行のいいところ。
観光車は、一周切符を持っていればどこでおりてどこで乗ってもよく、どの車に乗り換えても良い。
西安の城壁 中国国際放送局HPより http://japanese.cri.cn/119/2006/05/30/1@64496.htm
<つづく>
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2007年08月24日
ニーハオ春庭「西安・書院門通り」
2007/08/24 金
ニーハオ春庭中国通信>西安・書院門通り
城壁から見渡す西安の町、ところどころに古いお寺の伽藍が見下ろせたりしましたが、全体としては、アパートなどが立ち並ぶごく普通の町並みです。
シルクロードの出発点。
黄砂が多い地方だからかもしれませんが、城壁から見下ろす町並みは、ちょっと埃っぽい灰色の感じがします。
他の都市と同じく、西安も環境問題が大きくとりあげられており、工業化によって空気もいっそう埃っぽくなっているようです。
西安市 西側の城壁 http://members8.tsukaeru.net/skytrekker//chinasiro/seian.html
さて、中国語と日本語の「同じ漢字なのに意味が異なることば」の例として「手紙」と「汽車」をよく例につかいます。
「手紙」、中国語ではトイレットペーパー。
「汽車」、日本語では鉄道の上を走りますが、中国語では道路を走る「自動車」
もうひとつ、私がよく例に出すのが「城」です。
日本語で城は、天守閣を備えたり、周囲に堀をめぐらせたりする「君主の館」。
中国語では、「城(ジャン)」は日本語の「城壁」を意味します。
日本人が「お城を案内してあげる」と、中国人に言ったとき、中国人は西安の城壁のような「町をとりかこむ壁」を見せられるのだと考えます。
中国で「ここは城跡です。壊されてしまい、今はありません」と案内されると、日本人は、かってそこに高々と聳える天守閣があったのかと想像します。
東門の上には秦の始皇帝が全土統一を行った当時の戦車や大石発射台などの「最新鋭軍備」が展示してあります。
城壁を上ろうとする敵兵に、大石をごろごろ落として町を守る、そんな時代もあったのだろうなあ、と、映画『墨攻』を思い出しながら、真夏の城壁上をひとまわりしました。
8月4日夕方、西安市南門東側につづく書院門通りをぶらぶらしました。
書院門通りは、西安市観光局の肝いりで整備された「古文化街」のひとつ。
碑林まで約570m、伝統的な建築の家並みが続き、土産物、書画骨董、書道具などの店が集まっています。
西安市観光局HPより http://jp1.xian-tourism.com/LIST1.ASP?listid=341&Classid=13
街路の脇は常設の骨董屋や貴石、書道具などの店、中央には土産物の屋台。
妹は屋台のみやげ屋で伝統切り絵を買いました。
あれこれ交渉して、ちょっとでも安くしてもらうのが楽しい。売る方は、それを見越して最初は2倍以上の値を言うのです。
ミニチュア中国服のワインボトルカバー、どこにでも売っているようなおみやげですが、まあ、西安で買ったということがいいんでしょ、と,、妹も私も買うことにしました。
1枚25元というのをたくさん買うからと20元に負けさせて得した気になったけれど、隣の店では、同じ物を最初から一枚15元で売っていました。あ、損したかも。
でも、値引き交渉のやりとりが楽しい、ということもあるんです。ま、いいか。
う~、でもやっぱり損した気分。まだまだ買い物修行が足りません。
<つづく>
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2007年08月25日
ニーハオ春庭「西安・道教の寺」
2007/08/25 土
ニーハオ春庭中国通信>西安・道教の寺
8月4日夜、私は夜店がでるという通りへいくつもりだったけれど、身体が丈夫でない妹が「疲れたからマッサージしたい」というので、全身保健マッサージを3人で受けました。
ホテルの外にでれば、90分40元くらいのマッサージ屋さんがいくらでもあると言ったのだけれど、妹は、「もう歩いて外に出たくない」というので、ホテル内のマッサージ店の人に部屋まで出張してもらい、ひとり60分80元。
妹は「きいた」というのだけれど、私はマッサージをしても、特にからだがほぐれた気がしない、損な体質。「きいた気がしない」マッサージなら、しなくてもいいように思うんだけれど、トリプルベッドに並んで揉まれました。
5日朝、鉄道駅前のバスターミナルから兵馬俑行きの路線バスに乗ろうということになりました。
306路のバスが、秦の始皇帝陵墓や楊貴妃が湯浴みした華清池、兵馬俑博物館などめぼしい観光地への往復をしています。
駅までは、タクシーで。ホテルの前に停まっていたタクシーに乗り込み、「火車站」と言い、地図の駅を指し示しました。
地図もっている時点でヨソモノなことはバレバレなので、運転手はパンフレットを出して、売り込みをはじめました。市内東側の観光地を回って、このホテルまで送迎して一日200元だと。
私ひとりならバスを乗り継ぐほうを選びますが、妹と姪もいっしょなので、タクシーを頼むことにしました。
股関節を悪くしてから歩くとすぐに疲れてしまう妹、去年もタイでころんで捻挫をしたので、あまり歩き回らせることはできません。
最初に道教のお寺へ行きました。驪山(リーシャン)の上のほうまでタクシーで上っていきます。驪山は標高1256m。山道の両側は、柘榴の果樹園。
入山料ひとり45元。「高っ」と、思うのに、けっこう観光客が入山していました。
チケットは、馬の絵がある80角の切手(約10円、国内ハガキ料金)つきの絵はがきになっており、「中国驪山・国家森林公園、国家AAAA級旅游、国家重点文物保護単位、国家第一批重点風景名勝区」と書かれています。
この道教のお寺を含む、一帯の入場券なのだろうと思います。
山門から寺院境内へ。石段を登っていきます。
道教のお寺は、仏教寺院と同じような雰囲気です。日本の仏教寺院より色彩が派手ですが。
タイ仏教寺院は小乗仏教で、日本仏教とは異なる感じがします。それに比べ、中国道教寺院は仏教寺院とかわるところがありません。別の宗教なのに、「仏教の宗派がちがう」程度の感じ。
飛鳥時代、皇極(斉明)天皇が、道教に執心したということを思い出します。
宮中で行われる「四方拝」という儀式も、もともとは道教の儀礼。
福永光司著『道教と古代日本』などによると、聖徳太子が書いたとされる『三経義疏』は教科書などには「仏教書」と紹介されていますが、この中にも、道教の教典が含まれるのだそうです。
インド仏教が中国に伝わったとき、その初期から中国道教と習合しました。サンスクリット語から中国語に翻訳された仏典は、道教の教典の用語をとりいれて訳され、また、中国民間宗教の儀礼などをとりいれながら、中国社会に入り込んだのです。
日本に伝わった仏教とは、「道教+仏教」であったのだ、ということが、道教寺院参拝で、実感として納得できました。
<つづく>
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2007年08月26日
ニーハオ春庭「西安・道教寺院門前の青石」
2007/08/26 日
ニーハオ春庭中国通信>西安・道教寺院門前の青石
驪山にくる日本人観光客、ツアーでは華清宮へ直行してしまい、この山中の道教寺院を参拝する人はほとんどいないらしいので、自由旅行で、ここにこられたこと、よかったと思います。
お堂を参拝して参道を降りてくると、おみやげを売っているおばちゃん達に呼び止められました。たらいの中に水を張り、様々な色の石を入れて売っています。
茶色や白の石を卵の形に磨いてあります。
青い石を丸く磨いた石の卵、水に沈んだ青色が美しい。
天青石(セレスタイト)とは違うようだけれど、パワーストーンに詳しい姪によると、青石(チンシー)、日本ではけっこうな値段がするらしい。
おばちゃんは、最初一つ5元と言っていました。
きれいな青色の石を手に持って「おみやげに持って帰るには、石だとバッグが重くなるなあ」と、買うかどうか決めかねていたら、おばちゃん、値段が気に入らないと思ったのか、ふたつで8元でいいよ、となり、3つで9元と下がってきました。
ええっ、青石がそんなに安くていいの?ここらが産地なのかしら。
「4つで10元なら買うけど」と言ったら、「いいよ」ということになったので、買いました。
タクシーの運転手に、「こういう土産屋では買うもんじゃない」とたしなめられました。
4つ10元(150円)なんだから、青石の品質が悪くても、仕方がないと思ったんですが、、、、。
帰国後、青い石の卵を水に沈めてみると、、、、水がだんだん青くなっていきます。
あらま、ただの白い石を青く染めただけの偽の青石でした。そりゃね、4つ10元だもの。こうしてだまされるのも、「自由旅行おみやげやの経験」です。
もっとも、「だまされた」というのは、こっちの勝手な思いこみ。「おばちゃんは「青い石」として売っていたのであって、こちらが勝手に「青石チンシー」と思っただけなんですよね。
おばちゃんが「青石」と言ったのか「青的石」と言ったのか、覚えていないけれど、染めてあったのだとしても、見た目青ければ「青い色の石」として売るおばちゃんは、当然の商売をしただけのこと。
私の髪なんぞ、半分以上は「ごま塩」になっているはずですが、染めたら「見た目は黒髪、若いつもり」で歩いてますから。
今、青い石は、日本の台所の片隅、水のなかで、しだいに青色を薄めつつあります。
<つづく>
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2007年08月27日
ニーハオ春庭[西安・華清池]
2007/08/27 月
ニーハオ春庭中国通信>西安・華清池
9世紀の唐の都、長安。
鑑真が経を読み、阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に仕え、井真成が病を得て早世し、楊貴妃がレイシをほおばりながら湯浴みした。
楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスは、唐代第一の詩人白居易(白楽天)の長恨歌に謳われ、千年の恋となって今に伝わっています。
貴妃・楊玉環の数奇な運命は、現代もさまざまな小説や劇の源泉となっており、西安の町のあちこちにも、「音楽劇・楊貴妃」のポスターが貼ってありました。
747年。玄宗は驪山(リーシャン)のふもとに華清宮を建てました。
驪山一帯は、火山による温泉が豊富な土地で、三千年前の西周時代から温泉保養地として有名な場所でした。
発掘したところ、玄宗専用の温泉浴槽も楊貴妃専用の浴槽もみつかりました。
華清宮、入場料70元。中をまわる観光車ひとり6元
建物のなか、観光用に唐時代の衣装をつけた女性がだるそうに寝そべっています。
「う~ん、楊貴妃に扮しているつもりなら、もうちょっとなんとか雰囲気をだしてほしいなあ」と、思ったのですが、この暑さでは、楊貴妃衣装を着ているだけで汗だく、大仕事なんでしょう。
本物の楊貴妃は、夏の暑さをしのぐために、冬の間に切り出した氷を山の洞窟にためておき、離宮まで運ばせて涼をとったということですが、、、、
華清池の写真、リンクフリーとある個人HPより
http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2003xian/kaseichi.html
華清宮から秦始皇帝陵へ。
秦の始皇帝。紀元前259~210年、皇帝在位、前221~210。
中国を初めて統一国家としてまとめ上げた専制君主。
始皇帝は、自分以外の誰をも真に信頼することなく、自分の死後、皇后とその一族が権力を得ることをおそれて、正式な皇后を冊立することがなかった。
不老不死の仙薬を求めて各地に人を派遣したが、徐福も他のだれも皇帝の望みをかなえることなく、自分が統一した国を巡視中に50歳でなくなった。
死後の守りを万全にするため、帝位についてすぐに工事を開始し、巨大な陵墓を建設した。
その陵墓と、副葬の兵馬俑坑は、世界を驚かせた発掘のあと、世界遺産として見学者を集めています。
始皇帝陵は、面積が56平方キロ。入場料40元。
陵墓の土台の部分は四角形に近い形をし、南北の長さは350m、東西の幅は345m、高さは76m。
リンクは、中国百科より始皇帝陵
http://japanese.cri.cn/chinaabc/chapter14/chapter140406.htm
内部は複雑な構造になっていて、盗掘者は容易に副葬品や被葬者に近づけないようになっています。万全の守りをかためたため、兵馬俑がそっくりそのまま2千年の間、地中に潜んでいたのです。
<つづく>